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心のうちに在る風景を

多くの唱歌・童謡が教科書から消えたのは、1970年代以降という。
もう村というものがないから、”村”が入った歌はやめよう。”ねえや”は職業蔑視にあたる。等々、言葉狩りのような形で消された歌も多かったよう。
しかしここ数年のブームもあって、教科書に復活する歌も増えたようだ。

「幼いときにおぼえなければならないことを、おぼえないで成人した大人がふえた。それがどうしたと当人たちは言うだろうが、マザーグースを知らないイギリス人はない」
とは、山本夏彦氏の言葉である。

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【読書】
心のうちに在る風景を_b0059565_13494134.jpg山本夏彦著「世間知らずの高枕」を読む。コラムの達人による名物コラム、150編を収録したもの。
前に読んだ本で一気にファンになり、これが2冊目。ただ重複しているコラムも幾つかあったので、今度は選んで買わないと。



しかし変わらず圧倒される。何回読んでも目を瞠る。
800字、または1,200字。わずか2ページ、3ページ。それだけのものが持つ、切れと冴えと深み。毒と悲哀と温かさ。
文章力という言葉があるけれど、その言葉がこれほどふさわしく、また足りないと思える文は、探したってそうそうお目にかかれるものではない。
かいつまんで言え、ひと口で言え、字引はせいぜい5行か10行で言ってのける。それを基本とする氏の書かれる、極限まで削ぎ落とした文は、美しいというほかはない。古語と武士の美と思う。

また、各コラムのタイトルが秀逸だ。「敗者復活戦と称して」「三人寄れば閥」「あとの半年ゃ寝てくらせ」……以前に「タイトルだけが人生だ」というコラムを書かれたぐらいであるから、氏のつけられた題には一層の切れがある。たかだか日記の題すら悩む私には、到底できない芸当だ。(真似する気だったのか)(そもそも同列に置くな)

前の感想でも書いたが、氏の意見に手放しで賛成はしない。それは氏も本意ではない。
しかし例え異見を述べたところで、こちらの根拠は満足に語れず、またそれだけの深さもなく。ばっさりと斬って捨てられること間違いなし。
その語り口の鮮やかさと、意を違えようとも認めずにはいられない、核の堅固なその主旨と。
ミクロを観察しつつも、マクロの見方を失くさない。届かない場所から、幅広く深く据えられたその視点。惚れ込まずにはいられない。

小説家としても素晴しい書を何冊も残されているが、あまりにコラムが魅力的に過ぎて、まだ長編に手を出す気になれない。

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【個人的事情】
縁あって、コーラスに参加することになった。といっても本番は来週で、練習はあと1回しかないというぎりぎり具合。
音痴の矯正にまでは至らないので、せめて足を引っ張ることのないように努めるしか。

日本の曲では「ふるさと」「真っ赤な秋」「赤とんぼ」などを歌うのだけど、そのうちの「赤とんぼ」について少々話し合いがあり。4番フルに歌うか、3番をはずすか、といったもので。

3番といえば、「ねえやは15で嫁にゆき…」という歌詞である。差別用語と指摘された”ねえや”が入っている歌である。
それでもコーラスの人達は、この3番をはずすことを渋る人達が多かった。
15という若さで少女が嫁ぐ。これを聞いて、差別だの職業蔑視だのを真っ先に思い浮かべる人の、幼い頃に育まれたものは一体何かと不思議に思う。

「この3番は、涙が出そうで好きでした。18年アメリカに住んでいても、まだ英語の歌で涙できないのです」
一人の方が言われた言葉が胸に沁みた。
幼い頃に得たものは、年月を経てからその熟した姿を現して、私たちにその意味と大きさを教えてくれるのだ。
by senrufan | 2006-11-13 13:41


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