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自分と鞄と小銭だけ

遠出をしたところで入った日系書店。
バーコードではなくレジの手打ちでがんばるおばさま、や、おねえさま。

黄緑をベースにラメを散らした長い爪を持つ彼女は、指の第一関節でレジを打っていた

* * * * *

【読書】
自分と鞄と小銭だけ_b0059565_1015012.jpgクレイグ・ライス著「セントラル・パーク事件」を読む。ビンゴとハンサムのコンビのシリーズ第一弾。

1908年に生まれ、1957年に49歳という若さで急死したライス。その作品も1930~50年代を舞台としており、今読むと古いと思う人も多いだろう。しかし私はライスの作品が以前から好きで仕方がない。



この作品も舞台は昔のニューヨーク。マンハッタンのアバートの賃貸料が週に5ドルの時代だ。
ビンゴと相棒のハンサムは、観光客相手に写真を撮って売りつける商売で細々と生きている。しかしある時撮った写真に写っていた男性が、7年前に失踪した富豪・ピジョン氏だとわかった時点から、彼らの賭けが始まる。
もうすぐおりる予定の50万ドルという巨額の生命保険金の分け前を狙って、共同経営者や弁護士、果てはギャングと渡り合うが、行く先々で殺人に合ったり恐喝にあったり。大混迷の様相を呈した事件の最後に見える真相は。

ライス名義での作品数が18と決して多くはない中で、有名なのは弁護士マローンのシリーズ。ライ・ウィスキーが大好物で、親友のヘレンとジャスタス夫婦と共に、あの手この手で奮闘する。
ライス作品で魅了されるのは、その卓越したユーモアのセンスだ。コージーやユーモアミステリーと謳われる作品はここ数年でかなりの数になったが、ライスのユーモアは根本的にその色を違える。それは一見軽妙な遣り取り、抱腹絶倒の筋運びに思えるが、背景にあるのは平和な穏やかなものではない、というところにある。

白状すると、私は古いハリウッド映画が好きだ。ジーン・ケリーやアステアの映画は特に好きだ。
現在のようなCGなどとんでもなく、色もモノクロか平面的なカラー。でもあの頃の、暗い中を笑いと涙で進んでいくような、貧しさと残酷さが共にありながらも、決して失くさない情があるような。随分と世の中は複雑になり、笑いも暗いものから軽いものまでバラエティに富むようになったけれど、あの頃の単純で、でも本質だったような在り方の笑いが好きなのだ。
ライスの描くユーモアはそれと共通する。ギャングと争いと貧富の差と。今のような基盤が満ち足りた上に成り立つ笑いではなく、どこかギリギリの暗さを負っていて。世の中を憎んでワルで通そうとするのに徹しきれない、ごまかしようの無い優しさが溢れている。

ジェットコースターに乗っているようなミステリーだったマローン・シリーズと比べて、このビンゴ達のシリーズは穏やかだ。商売道具のカメラさえ質に入れるような貧乏暮らしの中で、悪いことをしようと奮闘する(?)のに、持っている良心が大き過ぎるビンゴに、天才的な記憶力の持ち主ながらも実生活能力が足りないハンサムが、実に微笑ましいボケとツッコミの名コンビを形成している。
しかし各章の終わりごとに提示されるどんでん返しに振り回されるのは、いかにもライスらしい。そうやって糸がこんがらがってもつれまくって、最後の最後で一気に解かれる爽快さも変わらない。
そしてその最後に見えるのは愛と優しさだ、なんつったら鳥肌の爆笑モンだが、そうとしか言いようがなかったりして、ちょっと赤面しつつも大満足。

日常の中に、いきなり土足で踏み込んでくる非日常。それを嘆きつつも、反射のように茶化すことを忘れない。そんな骨太で逞しい、あの頃の時代の人々が映し出される。古い、と敬遠される向きもあるだろうが、私にとってはむしろ忘れてはならない原点だ。
ライスの作品を読み返すたび、そんな気持ちを味わっている。
by senrufan | 2006-10-14 10:14


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