その瞬間の意味

【イベント】
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明日はMartin Luther King, Jr. Day。キング牧師の功績を讃える為の音楽イベントが、今日オークランドにて開かれたので行ってきた。
目当ては、先月もクリスマスコンサートに行ったOakland Interfaith Gospel Choir。お嬢も一度ゴスペルを生で聴いてみたいと言うので、今回は家族と、ゴスペル導師である友人と4人で。

最初は近隣の学校3校から集まった子供達によるコーラス、そしてAfrican-Amrican音楽の演奏。この時点でふと横を見ると、旦那は船をこぎ、お嬢はあくびを連発してた。ええい音楽的センスのない奴らめ、この癒しムードに乗れないなんて。(眠らないように手をつねりながら)

続いてジャズのデュオ、演説などを経て、ようやく最後に待ちかねたOIGCが登場。前回のコンサートでは聞けなかった曲を演奏してくれて、のっけから友人と私は立って踊って手拍子しまくり。お嬢にも立つように薦めたのに、「恥かし~」と言って立たず。旦那は隣のおばさまの豊かな横幅に阻まれて立てず。

しかし、どの人もソロを立派に務め上げるだけの実力があるのがすごい。詳しい人から見れば、そのソロの良し悪しは勿論あるのだろうけど、私のような素人は、その声量とダイナミックさ、声の張りと伸びだけで圧倒される。
そんなメンバーばかりが集まったコーラスなのだから、揃った時の迫力は言わずもがな。恥かしいとかそんな理由では抑えられず、有無を言わさず体が上に引っ張り上げられてしまう。無理に逆らおうとすると、その反発で体が痛くなるのは前回体験済みなので、今回は最初からその声に従った。ここでは重力の矢印は上を向く。

最後は参加者全員と観客で、「We Shall Overcome」を歌って締めくくり。音程はともかく声質は良いお嬢も、目一杯声を張り上げていた。



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Peace is not just the absence of war, but it's the presence of justice.
         ---------- Dr. Martin Luther King, Jr.

開演前、舞台上のスクリーンに流れたのは、あの時代のスライド。キング牧師やマルコムXなどの黒人指導者達、公民権運動の様子、ローザ・パークスの映像など。演奏の合間に、キング師の演説の短いフィルムも数回映された。

そしてイベントの後半、Dellums氏によるスピーチ。アフリカ系アメリカ人として、北カリフォルニア州で初めて議員に選出され、差別撤廃措置に尽力し、アフリカ援助及びHIV根絶運動などに携わり、現在はオークランド市長に立候補中だという。
キング師の残した数々の名言を多数引用したスピーチを行い、場内は何度も拍手に包まれた。しかし私は一度も拍手をすることなく聞き終えてしまった。自分でもなぜかははっきりと述べることはできず、ただ漠然とした抵抗感だけがあった。

キング師の言葉は、あの時代に、あのような事と正面から戦っていた人間だからこそ、紡ぐことができたものであると思う。「I have a dream」があまりに有名だが、今日聞いた他のスピーチも、どれも本質をつきつつ見事にまとまったものであり、彼が残した業績と結末を知っているからこそ、感動せずにはいられなかった。
それを現在の政治家が引用し、自分の考えと共通するものとして語ったところに、私がどうしても手を叩けない理由があったのではないかと、他人事のように推測する。

Dellums氏はまだこの国から差別はなくなっていないと強く訴える。ハリケーン・カトリーナの時を見たでしょう、まだまだ貧困はなくならない、黒人差別は厳然とあるのです。キング師の目指した自由と平等を、この国に実現させていかなければなりません……
正直、またか、という気持ちが私の一番の感想だったかもしれない。当たり前に感動を呼ぶであろうと、何度も使われる”自由と平等”という言葉に辟易した。そんな資格もないくせに、我ながら不遜なことこの上ない。

「ここは自由の国だ」という大義名分を与えれば、横行するのは他者を省みない自分中心主義だ。
社会という囲いの中に在る限り、他者の権利を尊重し侵害しないという制限がまず大前提であることは、自由という言葉の輝きの影で、ほとんど口にされない。
人全てが平等ということもありえない。何かしらの不平等や差別は必ずあり、全人間に公平であろうとするのは不可能だ。
だからこそ差別に相対するものとして、他人を理解しようとし、相手の価値観を尊重する気持ちこそが大事なのに、この国の末端にいて、それを感じる機会が少ないことが悲しい。

キング師の時代には、まずは公民権運動、そしてベトナム戦争という明確な目標があった。それ故に彼の語った言葉は価値と重さがあり、彼の勇気は今でも我々の胸に訴えるだけの力を持つ。
あまりに大国となって、病巣があの頃のように単純でない現在、現役政治家がキング師と同内容の自由と平等を堂々と訴えるだけの演説を聞き辛く感じてしまうのは、ただただ私があまりに捻くれてしまったせいだろうか。

始終顰め面を崩せなかった私の横で、お嬢が「今日来てよかった」とスピーチに感動していた。
私にも、確かに”自由・平等・愛”という言葉に真っ直ぐに感動していた頃はあったのに。
今では一遍のゴスペルソングの方が、よほど心の琴線に触れる力を持っている。
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by senrufan | 2006-01-15 13:45 | Trackback | Comments(0)
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