眩しい限りの存在

【舞台】
b0059565_2304452.jpgミュージカル「キレイ~神様と待ち合わせした女~」をDVDで観る。友人からのありがたい頂き物。(抱きしめつつ)

舞台は架空の日本。3つの民族が争い、人間の補充兵及び食料となるダイズ兵たちが戦っていた。
そんな中に現れた、記憶のない少女ケガレ。ダイズ兵の死体を回収して缶詰工場へ転売する回収業の仲間に入る。
幼い頃、地下での長い監禁生活を強いられていた彼女は、回収業の女組長、その息子達、社長令嬢たちと関わり、外の世界に少しずつ自分を染めてゆく。
しかし全力で過去を忘れたはずのケガレが、時々怯える「神」の存在。
ケガレの過去と現在と未来の姿が入れ代わり立ち代り現れ、少しずつ明らかになるケガレの本来の姿。



彼女の名前「ケガレ」がキーワード。
地下から出る時、「ここを出たらお前は穢れるよ」という神の声を聞き、外に出た途端、全力でそこの全てを忘れた後も、唯一残っていたのが「穢れ」という言葉。だから名前を聞かれた時、そのまま「ケガレ」と名乗ってしまうんだ。

では「穢れる」とは、何の意味においてなのか。
監禁生活を正当として、外の世界に出ることを「穢れ」と教える。知らないで欲しくて閉じこめるんだから、そうやって洗脳しちゃうよね。
じゃあ監禁生活が純粋培養だったかというと、実は毎晩性的虐待を受け続け、最後にはそれを愉しむようになってしまったという事実。純潔という言葉の対極として、この場合も「穢れ」だね。

多重人格者は、幼い頃に性的虐待を受けているケースが多いという。そして過去の事実と一つずつ向き合うことによって、人格統合をはかるのが治療の一つ。
この物語も、言ってしまえばそんな少女の葛藤のストーリー。あるいは、マジシャンという一人の狂人が生み出した悲劇。
けれども、そんな新聞の小さな記事のような言葉で片付けることは嫌なんだ。

戦争を利用して生きていたのが、戦争反対に変わるキネコ。
現実の悲惨さに耐え切れなくて、目を閉じ続けるジュッテン。
知能を失った代わりに花を咲かせ、復活した途端に花を失うハリコナ。
欺瞞と本音の間で苦しみ、ケガレの無邪気な卑しさに魅かれるカスミ。
「食べられたい」から「生きたい」と強く願うようになったダイズ丸。
みんな、みんな、現在で過去と向き合いながら、未来を生み出そうともがいているんだよ。

生への執着というなら、人間の持つ最も動物的な部分である生殖機能がそのもので。
毎月女性が迎える生理、実はなんとも不毛だね。卵を作って作って、実を結ばなかったらあっさり流して。
だけど、実はこの上なく逞しい行為でもあるわけだ。だってその身の内に、生命の素を何回も生み出すんだからね。生んでは流す罪深さと、いつか結ばれたものを体内に育み、外界に産み出す偉大さと、それが女性の力の源で。
男性はその身体から新しい命を産み出すことはできないけれど、例えばハリコナの見せた花、ダイズ丸が最後に咲かせた花。自分の命の何かを削って生んだそれは、ケガレとミサの背中を押して、新しい命に繋げたよ。

主演の奥菜恵、人形のように可愛らしい顔から、清楚なイメージしか持っていなかったのだけど、これはすごかった。そんな清潔さが、逆に外の世界に出てきたケガレの無垢さ、小銭をきれい!と喜ぶ無邪気さにぴったりで、あの大きな目をいっぱいに開いて、真っ直ぐに外の世界を見つめてる。
未来のケガレ=ミサは、南果歩。あの細い体から出る、張り上げるとしゃがれる声が力強くて、昔から好き。
キネコの片桐はいり、最高。この人も、何をやってもはいり流になるね。
ジュッテンの宮藤官九郎、実は役者としてのクドカンを観るのはこれが初めて。(恥) こんなに味のある役者さんだったとわ!
ハリコナの阿部サダヲ、もーもーかわいすぎ! 頭のゆるい役でこれだけ可愛らしさを出せるなんて、サダヲちゃーん!って叫びたくなる。相変わらずアドリブは天下一品。
カスミ嬢の秋山菜津子、大好きだ。彼女こそ自分の中にある穢れた部分と純粋な部分を自覚済みの、ある意味統合された真っ当な女性像。
忘れちゃならないダイズ丸の古田新太。オトボケ・つぶやき系はやはり絶品。魚肉ソーセージが大変良くお似合いでした。
あああ他にも青年ハリコナの篠井英介とか! 作・演出に加えてジョージまでこなした松尾スズキとか! お尻ペンペンされたマタドールの猫背椿とか! 書き切れないほど皆好き。

ミュージカルなので当然色々歌があるのだけど、これはぜひ歌詞を文字で読みたいね。
どんな些細な言葉でも膨大な意味があるようで、そういう言葉を追っかけていくだけで、どんどん観客にとって広がっていく作品だと思うのだ。

過去と現在、それぞれのミサが出会って、膝枕をしながら話すラスト間近のシーン。
何度でも何度でも、やりなおそ。
できなかったら、潔く滅びよ。
メンスのように、生まれそこなお。
穢れと穢れが出会い、向き合い、打ち明け合い、そしていつか溶け合って一つになる。
そうして生まれた新しい命の名を、改めて尋ねてほしい。
ケガれケガれて、あたしはキレイ。

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by senrufan | 2005-11-08 02:28 | Trackback | Comments(0)
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