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貴女に捧げる花束を

「泣きな。いくらでも、気のすむまで泣いたらいいんだよ」
   ----- 渥美清
       (日本人、俳優、1928年3月10生まれ)

* * * * *

【個人的事情】

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悲劇とは、畳み掛けてくるものなのかもしれません。
おうちカフェの美味しいお料理で、ずっと皆を楽しませてくれてきたtamachanが、
3月7日、次の世界に旅立っていってしまいました。

最初に知ったのは、友人からのメッセージで。
ちょうど別な友人と一緒にいた時で、え、なんのこと? 何を言ってるの? と、
数瞬は信じられなかった、その知らせ。
段々と頭に、その言葉が形になってきた時、一緒にいた彼女が、落ち着いて、落ち着いて、
と何回も呼びかけてくれたのを、うっすらと覚えてます。




1月、2月と、忙しさと体調がすぐれないことを理由に、おうちカフェを休まれていたtamachan。
極度の貧血と診断された為、しばらくおうちカフェをお休みします、というお知らせをもらったのが、2月25日のこと。
私も、こちらに戻って間もなかった頃でもあり、貧血ならメールも辛いかも、と、連絡するのを先に延ばしたこと。

父の時も、tamachanの時も、いつもこうやって間に合わず、心残りと後悔の山ばかり。
自分という人間は、決して短くはない年月で、一体何を学んできたんだろう。
もらってばかりで、与えることのできない自分に、一体何の価値があるんだろう。
まだ実感の伴わないtamachanの逝去に、そんな思いばかりが沸いて止まりませんでした。


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私がtamachanと会ったのは、確か2011年、だったかと。
Yukaさん主催のマクロビクラブで出会った時、私以上にマニアックな人がいた!(おい)と驚き、喜んだんですね。
だって、甲田療法をやったことがある人なんて、それまで身近にいたことはなかったですからねえ。

すごく細身で、どこか頑なな雰囲気で、でも竹を割ったような、という言葉がぴったりの、凛々しい女性。
ずばっ、と物事を切る舌鋒が小気味良く、それに続く笑い声が大好きで。
彼女といる間は、とにかく笑いっぱなしで、食のことでは教わりっぱなし。
ほかの人よりおしゃべりなわけでは決してないのに、彼女の一言一言がすごく的確でツボで、会えるたびに、好きだなあ、と思うことばかり。

そんな豪快なようで、でもどこか不器用さも感じられた彼女の手によるお料理は。
身体の隅々まで行き渡るような、優しさと繊細さに溢れてて。
ヴィーガン、というくくりの中で、これだけのものを提供してくれること。
どこのレストランに行くよりも、彼女のお料理が好きでした。


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もっとずっと前のtamachanを知っている人から聞いた彼女の姿は、もっと細くて、いろんなものを背負った辛さが滲み出ていたそうで。
途中、乳ガンも患ったというtamachanが、良いお友達に会えて、ヴィーガン料理に会えて、素敵なパートナーさんに出会えた後。
私の大好きな、あのtamachanになってくれたのかと思えば、その全てを取り込んで、
乗り越えてきた彼女の勇気と、その過程で出会った方々と食の全てに、
感謝と感嘆の気持ちを覚えるばかりです。

一度、パートナーさんも交えて、tamachanご飯をいただいたことがあるのですが。
お話上手で聞き上手なパートナーさんのそばにいると、tamachanがすごく可愛く感じられたんですね。
ハンサム女子で凛々しい彼女が、そんな風に柔らかさを見せてくれた時間。
友人の末席の一人にすぎない身でありますが、しみじみと嬉しかったのでございます。

以前のガンから、10年以上元気で過ごしてくれたこと。
彼女が出会った全ての「食べ物」と、彼女自身の真摯な姿勢。
誰にも、何の批判や疑いを受ける余地も隙もない、と思います。


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ずっと前に、何の話をしていたのかは忘れたのですが、tamachanに言われたことがあるのですよ。
「Miyukiちゃんはバランスがとれた中庸だから、大丈夫だよ」

マクロビをかじりつつ、でも様々な偏見を捨てきれない俗物の私は、
tamachanのような人から言われたことにすごく驚いて、どぎまぎして、でも涙がにじむほど喜んでしまった言葉でした。

私にとって、宝物のような言葉をくれた2人の人が、続けて逝ってしまいました。


26年前に義母が旅立ったのが、3月6日。
tamachanが旅立ったのが、3月7日。
3月8日の自分の誕生日を、昔と同じように祝う気持ちには、もう二度となれません。

大切な人のことを忘れないでいられるように、その日に逝ったんですよ。
そう言ってくれた友人の言葉を、頭ではわかっていても、感情が納得できるまでには、まだまだ時間がかかることでしょう。

明日から、またしばらく日本に行ってきます。
実家の母のそばにいながら、お嬢の卒業式や引越しをこなしてくる予定です。
帰ってきたら、何年も一緒のマクロビ仲間と、ゆっくり話したい、と思っているところです。


 tamachanレストラン訪問記録 : 
   2013年:グランドオープニング 5月 7月 11月 12月 
   2014年:1月 2月 3月 4月 5月
   2015年:4月 5月 6月 12月
   2016年:1月 2月 3月 4月 5月 6月 8月 9月
by senrufan | 2017-03-10 14:00


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