求める光の在り場所は (16)

「クリスマスの意味は、プレゼントを開くこと以上に、心を開くことにある」
   ----- ジャニス・メディテリー


フィンエアーとサンタの秘密



そうだったんだ!というサンタの秘密。
Finnair(フィンランド航空)とサンタクロースの素晴らしいチームワークについては、以下のページにて。
しーっ、内緒ですよ。

Working for Santa


IT世代の子供達が考えるサンタクロースって、
ちょー高性能のスマホを持ってて、煙突からじゃなくテレポートで家の中に入ってくるとか、
そうきたか!と、こちらが子供のように目をきらきらさせながら聞きたくなる想像がいっぱいで。

昔々からの伝統も、時代に合わせて姿を変えていくからこそ、現在でも”伝統”であるわけで。
むしろ、以前なら魔法としか説明できなかったことが、飛行機が飛んでインターネットで世界が繋がった現代だからこそ、現実味を帯びて信じられるようになってきたこともあるかもしれないですよね。

そんな風に姿を変えながら、ずっと子供達のそばに、”サンタクロースのような存在”がいてくれればいいなあ、と思います。
サンタを信じて、サンタの真実を知って、いつしかサンタを演じるようになった、大人の一人からの願いです。


Duracell Star Wars Commercial: Battle for Christmas Morning



* * * * *

【旅行】

8. ワジェンキ公園

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ワルシャワ市民の憩いの場、ワジェンキ公園
総面積はおよそ76万㎡という広大さで、ヨーロッパで最も美しい公園の一つと言われている場所です。

こちらを訪れた理由は、一つは勿論公園を見たいこと、公園内にあるワジェンキ宮殿を見たいこと。
そして、ショパンにこだわる旦那のお目当てが、もう一つあったのでございます。




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それは、公園西側にある、フレデリック・ショパン像
季節が季節なら、周囲のバラ園と共に一層華やかだそうですよ。


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この像には沢山の複製があって、一つは日本にもあるそうで。
日本のピアノといえば、のヤマハの町、浜松にあると、こちらの記事で教わりましたです。(感謝です!)

台座には、先日像で見た、やはりポーランドが誇る詩人、アダム・ミツキェヴィチの詩の一部が刻まれています。
「炎は絵画を燃やし、盗人は宝を奪い、しかし歌は残る」
第二次大戦でナチスドイツに破壊された像ですが、後年復元されました。


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ショパン像の周りには人が絶えなかったのに、その後ろにひっそりとあるフランツ・リストの胸像には誰も……
ピアニスト&作曲家として、世界的名声は決してひけをとらない方なのに。


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像を後にして歩き始めたら、いやはや、ほんとに広いわ、この公園。
果てが見えないぐらいに広いんですわ。


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でも、ところどころに鳥がいてくれるもんですから、娘ときゃあきゃあ騒ぎながら歩いていくうちに(騒音)、前方に宮殿が見えてきましたよ。
ポーランド最後の王、スタニスワフ・アウグスト・ポニアトフスキが夏の離宮として使っていた、ワジェンキ宮殿です。


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ナチスドイツによる破壊をぎりぎりで免れ、宮殿内にあって略奪された美術品も、大半が戻ってきたそうで。
現在は、国立美術館の分館にもなっているそうです。


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建物の裏手に回ると、こんな見事な景観が。
こちらの宮殿の別名が「水上宮殿」というのは、さもありなん、ですね。

ワジェンキとは「浴場」という意味で、元々は浴場を利用する人の為の建物として、17世紀後半に建てられたのだそうで。
それをポニアトフスキが、ロココ調の宮殿として建て直させたんですって。
公園内のこちらの湖は、ポーランドの母なるヴィスワ川から水を引いているのだそうで、やっぱり治水は時の権力者の力のバロメーターですな。(違)


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9. 無名戦士の墓~ピウスツキ元帥広場

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最後にお嬢の希望により訪れたのは、ワルシャワのサスキ公園のはずれにある、ピウスツキ元帥広場です。
この広場にある無名戦士の墓と、広場自体が彼女のお目当てでございました。


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無名戦士の墓とは、無縁仏の兵士の墓と言いましょうか、身元不明の戦死した兵士を埋葬した墓です。
ですので、当然ポーランドだけでなく、名称や形は違っても、世界のいろんな国にありますね。


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絶やすことなく燃え続ける、平和の火。
衛兵に常に守られている彼らの御霊が、安らかであらんことを、と祈ります。


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そして、墓を背にした広大なスペースが、ピウスツキ元帥広場です。
第二次ポーランド共和国の建国の士であり、初代国家元首を勤めたユゼフ・ピウスツキの名をとっています。

何十年もソ連やドイツにその運命を翻弄され続けたポーランドのように、こちらの広場も数回、その名を変えているんですね。
冷戦時代史に傾倒するお嬢にとっては、「勝利広場」という名が、一番馴染みがあるようです。

で、その彼女が、何故ここに来たかったかといえば、ポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世が、教皇になった数ヶ月後にポーランドを訪れ、大聴衆の前でミサを行ったのが、こちらの広場だったから、なんですね。
その演説が、ポーランドの民主化運動を後押しすることになった、と言われています。
以下、検索で見つけた、教皇のミサ演説の原文です。

HOMILY OF HIS HOLINESS JOHN PAUL II(Victory Square, Warsaw, 2 June 1979)

ナチスの、そしてソ連の支配に苦しんでいたポーランド国民を、人間の罪を背負って十字架にかかったキリストになぞらえた、この演説。
国民の98%がカトリックであるポーランドの人々に、どれだけの勇気を与えたかは、想像に難くありません。

神を、国民の団結を信じなさい。
恐れずに、くじけずに、自身の信仰を見失うことのないように。
決して精神の自由を手放してはなりません。

教皇の言葉に聴衆は、
「We want God! We want God!」
と歓声と共に叫んでいたそうです。

ベルリンの壁の崩壊が1989年。ソ連解体は1991年。
両件とも、事件が起こった当地は、ポーランドではありません。
しかし、冷戦史を振り返った時、第二次大戦と共産主義が共に終わりを告げたのは、
1979年、ヨハネ・パウロ2世が故郷ポーランドを訪れた時である、という解釈が成り立つのは、
決して荒唐無稽なことではないのでしょう。


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という歴史上の話は、無知な私には無理無理なので、あくまで個人的に感じたことを、少しだけ。

チェスキー・クルムロフツアーをお願いした時、ガイドのNさんからお聞きしたことなのですが、
プラハの春に代表される悲劇を内包するチェコでは、今は結構な割合の国民が無宗教だというのです。
こんなに苦しんでいるのに、神様は助けてくださらなかった。
神様はいない、として、どこか観光するにしても、教会などの宗教系施設を訪れることを避ける人もいらっしゃるとか。

これは、日本に多い無宗教とは、意味合いが全然違いますよね。
日本人の場合、無宗教であっても、無神論者なわけではないですからね。(世間教)

ところが、同様に苦難の歴史を持つポーランドでは、だからこそ神を信じると。
いまだ、国民の95%以上が敬虔なカトリックであること。
クラクフツアーの時にお世話になったガイドのCさんの口から語られるヨハネ・パウロ2世についての言葉が、確かな誇らしさに満ちていたこと。

この違いは、一体なんだろう。
何が彼らを分けたのか。

大きな理由の一つは、ポーランドにはヨハネ・パウロ2世がいらっしゃったこと、であるのでしょうか。
物理的・精神的指導者がどういう人物であったか、どういう信条の持ち主であったか、
そして、どういう道を国民の前に描いてみせたか、ということが、その国の未来を大きく左右したであろうことは、言うまでもないでしょう。

悲しみの頂点で、彼らが求めた”光”。
その在り処の違いで、これだけの差が生まれたことに、戦慄に近い思いさえ覚えます。

現在のポーランドとチェコを比べて、どちらが良いかという話では全くありません。
いまや国ではなく、信仰や思想で世界地図が描き直されるのではないかという昨今において、
ここにもまた、確かに異なる色を持つ場所がある、ということであり、
その分岐点、その歩みの差に、強く興味を抱いている、ということでございます。

お嬢が、冷戦下におけるポーランド史を専門にしようかと思った気持ち、すごくわかるなあ。
今からでも遅くないのよ? そっちを勉強して、母ちゃんに指南してくれてもいいのよ?(ちらっ)(ちらっ)


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世界各国を歴訪され、また従来のカソリックの枠を超えた活動と言動で、精力的な活動を行っておられるフランシスコ法王。
ヨハネ・パウロ2世の様々な改革に目を瞠りっぱなしだった私にとって(歳が丸わかり)、猊下の訃報は大変衝撃が大きいものでしたが、
フランシスコ法王の現在の活動ぶりを、勝手ながら非常に頼もしく感じております。
また、ヨハネ・パウロ2世同様、ヨハネ・パウロ1世の存在を、決して忘れてはいけない、とも思います。

教会離れが危惧されるようになったと言われているのは、ここ数年か数十年かは知りませんが、
どんな歴史ある宗教でも思想でも、その時代に合わなくなったら、人心が離れていくのは当たり前のことであり。
サンタクロースが今でも”伝統”であり続けているのは、原型を頑なに守っていたから、ではないことは明白でありますからして。

日本のこの先も、一体どうなっていくのかなあ、と思った時。
あれが分岐点であった、とわかるのは、その時を何年も過ぎてから、と考えれば、
その時に立ち会ってるのかもしれない、という高揚感と責任感、そして、違う道を選んでしまったらどうしよう、と背筋が寒くなる思いを同時に抱きます。

お嬢達世代、そして次の世代に移った後、この時代が、どういう解釈で振り返られることになるのか。
プラハとワルシャワへの旅行は、そのことに対しての過去の学びを、一つの形で与えてくれた旅となりました。

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長らく続けてきた中欧旅行記録も、観光編はこれにて終了です。
関係ないけど、「かんこうへん」とタイプして変換したら、真っ先に出てきたのは「肝硬変」でした。やだなおい。

あとはご飯編その他を書けば、完全にオサラバです。
って、まだあるんかい!
おう、あるよ! 来年にな!
そしてお友達に、またプラハに行ったの!?って言われちゃうんだよな!(実話)

そんなことは銀河の彼方に置いておいて、何はともあれ、

皆様のホリデーが、温かな光に満ちたものでありますように。
願うその時にこそ、望む光が降りてくるものでありますように。

素敵なクリスマスをお迎えくださいませ。

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by senrufan | 2015-12-22 11:54 | Trackback | Comments(0)
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