「自分とは『創る』ものであって、『探す』ものではない。
それが大した作品にならなくたって、それはそれで仕方がない」
----- 養老孟司
「無思想の発見」より
料理ブログ・
読書ブログ、月イチ更新済みでございます。
Twitterで回ってきた面白ネタから。
<お嬢様らしいけなし言葉>
無礼な人=はっきりしてらして
いばっている=自信がおありで
ずるい=世渡りにたけていらっしゃる
けち=合理的なことに徹していらっしゃる。贅沢なことがお嫌いなの
のろま=おっとりしていらっしゃる
うるさい人=いつもお元気そうで
太っている=ふくよかでいらっしゃる
貧相な人=お目立ちになる方ではいらっしゃらない
気がきかない=おっとりしていらっしゃる
だらしがない=頓着がないお方ですから
趣味が悪い=個性的な装いをなさる方で
お地味な(お派手な)御趣味でいらして
意地悪=悪意はおありにならないのでしょうけど
仲がよくない=わたくしとはいまひとつそりが合いませんで
嫌い=わたくしは苦手なのでございます(人)。たくさんはいただけません(食べ物)
どの方が発信してくださったのか、はっきりわからなかったのですけど、
検索途中で以下の記事を発見いたしました。ありがとうございました!
お嬢様ことば速修講座
お嬢様への道の第一歩は、けなし言葉を習得するところから、ですね。(きりっ)(すでに老女なくせして)
* * * * *
【アクティビティ】
マクロビオティックを、イコール、玄米菜食と思っている方は、結構な割合でいらっしゃる。
私も必要がない限りは、「そうではないですよー」とだけ言って、説明はしないのだ。
つか、私みたいなヘタレが、上手く説明できるもんでもないしなあ。(オノレを良く知ってます)
そのマクロビの大先輩というか先達に当たる、と勝手に私が思っているのが、
精進料理。
マクロビならともかく、精進料理ならご存知の方も多いはず……なのだけど、
以前にあったことで、これもちと自信がなくなってきた昨今。
何はともあれ、その精進料理のシェフとして、私も名前を存じ上げていた
棚橋俊夫先生が、なんとベイエリアにいらっしゃるという。
またまたpyonさんがリードしてくださって、先生のお料理教室を開いてくださって。
随分と申し込みがあったそうで、幾つか開かれたお教室は、たちまち満席になったらしい。
改めて、このエリアの方々の意識の高さに驚くばかりだよ。
初めて拝見した生(!)の先生のお姿に感激。
表参道のお店を閉められた後、今は精進料理を広める為、日本国内に限らず、海外も積極的に周っていらっしゃるそうで。
特にこちらベイエリアでは、”Zen”の精神とその料理に関心が高い方が多くて、一流と言われるシェフが何人も、先生の教えを求めて集ったそうである。
アメリカのほかのエリアは全然知らないけれど、私の知ってる範囲のベイエリアを考えれば、さもありなん、と思うよな。
まずは、精進料理の基本の”き”。
一汁一菜、つまり、汁物・おかず一品・ご飯にお漬物。
この食卓を整える為に、大切な三つの精神は、というと、
「旬」・「身土不二」・「一物全体」。
マクロビで教わったことのルーツは、やはり精進料理にあったのだ。
季節の恵みに感謝して、土と日と水と風が育てた恵みを、余すところなくいただくには。
素材を選んで、調味料も吟味して、丸ごとありがたく調理する。
先生がわざわざ日本から運んできてくださった、先生が”本物”と思われる醤油、酢、砂糖、葛粉など、一つ一つ丁寧に説明を受けたよ。
当然、生産者の方のご苦労についても語ってくださって、改めて頭が下がる思いだよ。
お話の後、早速調理にとりかかる。
精進料理といえばはずせないのが、胡麻豆腐。
これまた先生が日本からお持ちくださった、すり鉢と山椒の擂粉木を使うのだ。
先生に教わりながら、胡麻豆腐の為の鉢と、すり胡麻の為の鉢を、一人ひとり擂粉木を使いながら擂っていく。
座禅や瞑想も良いけれど、先生にとっては、この胡麻擂りこそが座禅になる、とのこと。
私も、ちょーぎこちない手つきで擂りながら、なるほどなあ、なんて思ったり。
交代で擂っている傍らで、ほかの食材の準備もね。
汁物にはきのこやお芋、菜用の野菜と果物を。
ご飯は、銅製の釜で炊く。(おおお)
先生は玄米ではなく、白米を勧められる。
玄米はちゃんとしたものでない限り、農薬などでかえって危険だから、ということで。うん、確かに。
皆の努力で滑らかになった生胡麻を、さらしで良く絞って、胡麻乳(胡麻のミルク)を作ってね。
葛粉を加えて、鍋に移して、混ぜながらゆっくりと炊いていく。
型に入れて冷やして、固まったら切り分けるのだけど、さて、試食の時間までに、どこまで固まるか。
炒り胡麻の鉢には、砂糖やお酢、醤油などを加えて、和え衣に。
香ばしい香りがたまりません。
精進料理とは、素材を作る料理、とおっしゃる先生。
だから、それぞれの材料を仕込むのには時間がかかるけど、一旦揃えば、その後は早い、とな。
その点がまた、日本国外のシェフが驚くポイントだそうだ。
さて、炊き上がったご飯、出来上がったおかずと汁物をテーブルに運んで、いよいよご飯の時間だよ。
どん、と置かれたお皿や釜から、各自よそっていただこう。
よそったお皿を前に、皆で両手を合わせて、
「いただきます!」
胡麻豆腐、やっぱり固まりきらなかったけど、柔らかいままで器に入れられたお豆腐は、最高に旨かった。
今まで食べてた胡麻豆腐はなんだったの!? と思うぐらいに、んまかった。
コクは勿論、舌触りも別モノ。固まりきらなかったから余計に、なのかもしれないが。
大根炒めは、根も葉も全部使ったよ。
じっくり油で炒めて、醤油で味をつけただけなのに、なんでこんなに美味いのか。
こんな感じで、ほかほか炊き立てご飯にのせて、いただいた。
やばい、何杯でもいけてしまいそう。
酢味噌和えは、ほうれん草にりんご、柿、アボカド、ルッコラ、そしてにんじんを。
生であったり、火を加えてあったりの具が、またカラフルな味わいを醸し出してるよ。
汁物には、きのこ2種類と、海老芋ならぬピンクがかったTaro(名前忘れた…)、菜の花を。
焼いたお芋がほくほくで、シンプルなのに力強い美味しさの椀であったこと。
いただきながら、まだまだ続くよ、先生の楽しい学びのお話は。
今の禅寺では、まともな胡麻豆腐なんて作ってない、全て機械でやってる、とか、
若いお坊さん達はファストフードばっかり食べてる、とか。
禅寺の現状を嘆かれるのは、それだけ先生が、真摯に精進の精神に向き合われている証拠。
だから、こうやって国外に招かれるのは、実はとても嬉しい、と。
初めての精進料理という分野に、目を輝かせながら、全身で学ぼうとする人が多い、と。
先生が伝えていかれたいのは、料理の技法だけでなく、その精神。
精進である理由は、その源は、養生学にこそあるわけで。
そこに辿り着こうとしない限り、形だけ真似しても意味がない、と先生は考えていらっしゃる。
そういう理由もあって、マクロビオティックは嫌いです、とはっきりおっしゃるよ。
あれは精進の良いとこ取りをしただけだ、という先生の見方も、わからないではないのだな。
動物性食材を使わなければマクロビ、と考える向きも多い中、実は生活実学である、なんて思うのは、学んでいる人しかおらんだろ。
ましてや、精進料理という根をしっかりと張ることに取り組んでいらっしゃる先生が、腹立たしく思われても、ある意味仕方がないのだな。
ある程度かじった身からすれば、精進料理とマクロビは、結構な違いがあるのだが。
流派や名前に関係なく、それより何より、目指すところは心身の健康とバランス、と私は思うので。
人それぞれに、いろんな教えから学んで、自分なりの養生と、自然との共存法を見つけていけば良い。
学びたい素晴らしい知恵がこれだけ溢れているのに、テリトリーなどにこだわる理由はないからね。
本当に、参加させていただいたことが、この上なく嬉しかったお教室。
楽しかった、いっぱい教わった、嬉しかった。そんな言葉が止まらないで、困ったよ。(にやけながら)
どんな文化も、根本に何らかの信念がないものが、何千年も続くはずがない。
全てをいただく「一物全体」とはまた、学びの姿勢についても言えることなのかもしれない、と思った体験でありました。
ZECOOW Culinary Institute