「地上にひらく一輪の花の力を念じて 合掌す」
----- 石牟礼道子
(日本人、作家、1927年3月11日生まれ)
3月11日、午後2時46分。
今年もまた、合掌させていただきました。
震災から3年経って、忘れられることへの危機感が、メディアなどで訴えられていましたが。
自分だけに限って思うのは、むしろ自分の中に定着した感の方が強いように思います。
9.11を経験して、3.11があって。
生活の中で、例えば次のチャリティーについて考えることや、
Animals Goさんにボトル類を持っていくことなどが、当たり前の一部になってきたのでございます。
忘れられる、わけがない。
知ったからには、その前には戻らない。
知らなかったことへの罪悪感や後悔、自分ができることがあまりに限られていることへの遣り切れなさ。
そんな苦い感情も、全て静かに、自分の中の一部になっていることを実感するのです。
* * * * *
【個人的事情】
さて、過去日記を差し置いてのグダグダ戯言です。
なので、お読みにならないことを強くお薦め以下いつもの通りです。
しばらく前からじわじわと上がってきていた、STAP細胞論文に対する疑惑、めいたもの。
とうとう先日、小保方さんが博士論文で盗用したのではないか、という記事が出ましたね。
STAP論文、取り下げ勧告も 理研、小保方氏「すみません」
小保方晴子さんの博士論文、アメリカのサイトの文章と酷似 冒頭の20ページ
検索すれば色々とニュースが出てくるのですが、中には
こんなサイトもあったりして、かえって怖いというかナンというか。
で、当然私@あっぱらぱーには、実際はどうなの?なんてことがわかるわけがありませんので。(開き直り)
あくまで、これに関連して思い出したことなどを、ぐちぐちとつぶやいてみるですよ。
震災から一年経った時、日記に書いたこと。
キーワード(……)は、
「知らない」、でございます。
東日本大震災より、一年を経て
まず単純に、博士論文の一部はコピペしたものなの?ということについて、ですが。
世の中には、エッセイなり論文なりを書いたら、その中に、過去にどこかで使われた記述や表現があるかどうかをチェックするソフトウェアやサイトがあるのに、なんでそれを使わなかったん? というのが、真っ先に思ったことでございます。
The Purdue Online Writing Lab(OWL)
Turnitin
こちらの高校や大学では、こういうツールを通して、過去に使われたとされる表現は避けるように、もしくは引用として、必ず引用元を記載する、というのは、鉄板常識の一つです。
それこそ論文どころか、宿題のエッセイや短いレポートですら、同様です。
お嬢の高校では、その類のことが3回見つかったら、それで退学になるほどで。
ましてや、大学以上の研究分野では、推して知るべし、でございますね。
勿論、そういった手順を踏んだところで、剽窃は簡単になくなるものではなく。
チェックする側がどれほど時間をかけても、きりがなく。
だからこそ、盗用であると判明した場合には、相当厳しい罰則が課せられるのです。
小保方さんの博士論文は、果たしてそういうステップを踏んだのか?
いや、それをしたとかしなかったとか、引用元の文章がデータベースに登録されていなかったので見つからなかったとか、そういう話ではないのでしたね。
問題は、それを盗用しようという意図があったのか、それとも、意図はなかったのに、リファレンス元を記載すべしということを「知らなかった」のか。
そこが焦点であることは、言うまでもありませぬ。
引用なら引用で、ちゃんと「引用」と書かなければならなかったこと。
”論文”に対する姿勢や書き方の指導という意味で、教育機関側にも問題があることは明らかでしょう。
自分で調べて書く・発表するという宿題が、小学校の時から数限りなく出されるこちらでは、資料の調べ方や引用のルールまで、その年代のレベルに合わせて指導されることであり。
学年が上がれば、参考にした文献のリストの作り方まで、更に細かく学んでいきますから。
それでも剽窃は、本人のモラルに帰することである以上、どれだけ指導しても消えるものではないにしても。
少なくとも、「知らなかった」という理由での盗用は、ほとんど可能性のないことであるように思います。
お嬢が通っていた塾の小論文の授業で、なかなか苦労していたことは、以前に
書きましたが。
この授業で彼女が経験したことは、実はもう一つあったのです。
授業では、その日の資料、つまり小説なり記事なりを渡されて、先生の指導の元、皆でディスカッションし、その日の宿題として小論文を仕上げ、次の授業で提出する、という手順。
なのですが、一通り資料の説明が終わって、先生が皆の意見を聞いても、なかなか皆は言わないのだそうで。
先生が一人ひとりあてて尋ねても、「特にありません」とか、「○○さんと同じです」とか、
もしくはきちんと意見があっても、恥ずかしがって言わない、など。
そういう中で育ってきた私には、そうそう、そうなんだよねえ、と目の前にまざまざと光景が浮かぶほど、良く知った展開でございます。
むしろ、その光景の中に、若かりし頃の自分の姿まではっきりと。(遠い目)
で、お嬢がずっと気になっていたことを、ある日尋ねてきたのですよ。
それは、授業の間、誰かが意見を言うと、それをさらさらとメモって、自分の意見として、宿題の小論文を書いてくる子達が、何人かいたのだそうで。
自分の考えがないと、しかも、オリジナリティーのある意見でないと認めてもらえない、という現地校のやり方を身に着けてきたお嬢。
現地校でも当然、授業中にいろんな子が意見を述べるわけですが、その後の宿題のエッセイで、誰かが言ったことを自分の意見として書くというのは、本当にとんでもないことで。
上記ソフトウェア等まで通して、エッセイを仕上げることが当然と思っていたのですから、
上記のようなことを目にして、え、それでいいの!? と彼女が驚いたのは当たり前でありますね。
ところが、大変お恥ずかしい話でありますが。
その時、現地校のそういったやり方に感心していたにも関わらず、「日本」式のそういった授業や宿題の進め方について、そういうものだ、とどこかで流していた自分に気づかされたのでございます。
その後、先生と個別面談の機会がありましたので、このことについてもお話をうかがいましたところ。
これは、言葉はアレですが、非常に”日本的”なことで。
自分で考えることを奨励するのは当たり前ですが、そうでなかったら、ほかの人の意見を色々聞いて、それを自分の”知識”として蓄積させて、問題を与えられた時、その中から適当と思われる”意見”を引き出しから出して述べる、というやり方を取るように指導する。
一人でも多くの生徒を志望校に合格させることがお仕事である先生には、それが取るべき方法である、とお話しくださいました。
私自身、現時点での大学受験を考えるに、それが先生としてとらざるをえない方法であろうと思いますし、そこまで「知らなかった」自分に、責める資格もありません。
これが”日本”なのだ、と。
”日本”を知りたくて、日本の大学を選ぼうとしているお嬢にとって、考えるべき材料であるのだ、と。
そう伝えることになるのかもしれない、ということで、先生とお話ししたことでした。
現地校ではそういった指導をされているのだ、という事実と、人の意見を書くということに対する、価値観の差。
エッセイや論文に対する姿勢や指導方法について。
議論すべきであろう事柄は、沢山ありますが。
後で気づいた時に、「知らなかった」という言葉で許されることが、それほど多くあるわけではない、のですよね。
極端な話、今回の論文だけでなく、もしかしたら日本の研究者のごく一部の方々は、単に「知らない」のかもしれない。
欧米が、と言いながら、国際的な場での発表を意識した論文である場合でも、そこで要求されるルールを「知らない」のかもしれない。
そういうものだ、という、ナアナア感。
自分が慣れてきたルールや価値観で、他をも判断する姿勢。
それが「知らない」ということに発するものだということを「知らない」ままで。
震災後、いかにそれまで無知であったかを思い知った自分と、重ねずにいられません。
その視点は、先日の別な事件でも。
浦和レッズサポーター人種差別行為まとめ
「Japanese Only」という言葉が持つ意味。サッカーという競技の歴史や構成員。
本来の意味を知っての行為であれば、個人的には到底受け入れられるものではありませんが。
もしそうではなく、「ここは日本人で盛り上がりたい」的な意味で使ったのだとしても、私には悲しくてなりません。
反論も異論も、賢い方々が沢山言ってくださっていることですので。
私レベルでは、たとえば、
「自分がとある国に行った時、『外国人お断り』と書かれていたら、どう思う?」
とか、でしょうか。(聞くなってばよ)
悪意がなかった、としても、「知らなかった」ということで招いてしまう罪。
原発について、そこで働く方々について、電気を消費する自分について。
「知らなかった」では済まされない自分の罪と同じです。
無意識の、無知から来る差別や失言、決め付けや思い込み。
「知らない」ことを「知らない」がゆえに起こしてしまう事柄が、どれほど多いことか。
今、こうやって書いている内容さえ、後で恥ずかしさのあまり、転げ回りたくなることなのかもしれませんが。
それでも、「知らない」ままでいるより、どれほどありがたいことか、と思います。
メディアの取り上げ方や、私が追いかけるニュースソースに偏りがあるのであろうことは承知の上で、この手の事柄を目にするたびに思うのは。
お嬢に、
日本の大学でなく、アメリカの大学に行ってほしかった。
その思いがなかなか捨てられない理由の一つが、こういった事にあるんだなあ、という再認識であったりするのです。
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あーー、山ほど過去日記が溜まっているのに、なんでまたこんなグダグダを……
そんな自己嫌悪を和らげるべく、こんなツイートを引用させていただくです。
「浦和の『JAPANESE ONLY』は日本人選手だけで戦うって意味だ」と言う人に、「じゃあエロビデオの『ADULT ONLY』は、演者が全員大人ですよって意味なのか?」っていうやり取りが一番笑った。
----- alk48