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小さな足が、海を越え (7)

「我々は正義と悪、やること・やらないことのリストは必要としない。
我々に必要なのは本、時間、そして静謐だ。
『汝、~べからず』はいずれ忘れられるが、『昔々~』は永遠に続くのである」
   ----- フィリップ・プルマン
       (イギリス人、児童文学作家、1946年10月19日生まれ)


料理ブログ読書ブログ、月イチ更新済みです。

週末になると頭をよぎる、以前目にしたTweet。

「【休みの定義】「休む」というのはただゴロゴロしたり寝たりするだけじゃなく、
やりたいことをやり、やりたくないことをやらないことです。
一番難しそうなのが「やりたくないことをやらないこと」。
けど、そうしないと本当に休んだことにはならないのです。。。」

だから週末になると、料理したくなーい!の気分に襲われるのでありました。(つまり言い訳)

* * * * *

【雑事】

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実はまだ続いておりました、お嬢シリーズ。
そろそろ、ちゃんと自分で整理しなければなりません。ということで、タグも変更です。

帰国子女受験の為の予備校生活を通して、10数年ぶりに触れた日本の教育事情。
その過程で考えたこと・感じたことは、改めて自分が、どういうことを願ってお嬢を育ててきたのか、ということを考え直す、良い機会を与えてくれました。
日本の学校に通うのは初めてのお嬢の感想が、一々新鮮で面白かったのもあるのですけど。
その中で育った私が、それを聞いて、当事者(?)の一人としてどう思うか、と自分の中を探ってみる。
これは、子育て全般において行うことと、全く同様のことでもありますね。




前回の末尾に書いた、「ぐだぐだ」なるもの。
こうやって、ようやく書き始めながらも、いまだにどこから、どうやって、この「ぐだぐだ」を書いたらいいのか、全くもって五里霧中、なのですが。

ということで、単刀直入ストレート。ぶっちゃけ、
お嬢にはアメリカの大学に行ってほしかったのに、彼女は日本の大学を選んだ。
この中にほぼ全て入っているのでは、と思います。


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彼女がどれだけ日本の学校に行きたがっていたか、間近でずっと見てきました。
小学校で、中学で、高校で。
何回か、日本に帰国するかも、という機会も訪れ、その度に期待させては、心ならずも裏切ってしまうことを繰り返し。
相次いで日本に帰国していく、周囲の日本人のお友達が、彼女に「取り残された」感を抱かせたこともあるでしょう。

特に、日本の学年で中三の時、帰国する可能性もあるということで、こちらの日系の塾の受験クラスにお世話になったのですが。
この一年は、彼女にとっても私にとっても、辛いことが沢山あった年でした。
日本の高校受験の為に、日本の勉強を頑張らなければ、かといって、現地のハイスクールの成績は落とせない。週5~6日のスイミングの練習も休めない。
思春期の一番大変な時期と重なって、物理的にも精神的にも、本当に酷な一年だったと思います。

そして、それだけ頑張ったにも関わらず、ほとんどのクラスメート達は帰国して、日本の高校に進学した傍らで。
お嬢はまた、日本の学校に通うという望みを諦めなくてはならなかったのでございます。


日本の学校で、彼女が体験したかった事のうち、実はごく些細なものもあるのです。
給食とか、掃除当番とか、委員会とか。制服、上履き、廊下、屋上。
経験した人にとっては、は? なんでそんなもの、というものも。
日本、という場所。日本の学校、という場所。
それらを象徴するものの中に、確かにそういうものが存在していたのです。

自分が知っているからといって、その憧れを、くだらない、と切って捨てることは、私には到底できないことでした。

そういったものへの憧れも諦め、最後に残ったのは、大学時代を日本で過ごす、という選択肢でありましたが。
私達を含め、彼女に近しい大人達はこぞって、アメリカの大学への進学を勧めたのです。
なんだかんだと言いつつ、やはりレベルの高い教育が受けられるアメリカの大学。
そこに進学できる機会と資格を、みすみす逃すことはない。
日本の大学には、留学という形でいけば良いじゃないか。………

それに対してお嬢は、
いくらアメリカの方が良いと言われても、それは自分で思ったことじゃない。
アメリカと日本のどちらを選ぶか、と言われても、私は日本を知らないので、判断しようがない。
だから、自分で体験させてほしい。自分で感じて、考えさせてほしい。
それには、留学生という”お客さん”の立場で行ったって、意味がない。
受験こそ帰国生という立場ではあるけれど、入学後、一般の生徒の一人として過ごすことで、日本という場所を自分なりに知っていきたいの。



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ハイスクールの2年の時に、諸々の辛い体験を乗り越えて。
3年生、4年生と進んで、卒業の前には、この学校にいられて良かった、と。
日本の学校には行ってないから、比較することはできないにしても。
それでも、このハイスクールにいられたことは、本当に幸せだったと思う、とお嬢が言ってくれた時、
ようやく何かが報われたような気がしたのでございます。

その時には当然、日本の大学に進むことだけは決まっていましたから。
彼女がそう言うようになってくれたことで、ああ、日本に行っても、この子は大丈夫かも、と励まされた思いもしたのです。

ここでアメリカの大学に進学したところで、「日本を知らない」という思いは、一種引け目のような感情は、その後もずっとついてまわるわけで。
そして、あの時に行っていれば、という後悔を、徐々に重くしていくより。
彼女の目で、彼女の心で、日本という場所がどういうところなのか、できる限り経験してほしい、と思ったので。
当たり前ですが、わかる範囲は日本のほんの一部に過ぎない、としても、それはアメリカでもどこでも、同様のことですから。

親の都合で、違う国で育つことになったお嬢。
彼女のハイスクールへの思いと同じように、日本で育っていたらどうだったか、という比較はできませんが、それでも我々は、このエリアで彼女を育てられたことついて、感謝こそすれ、カケラも後悔しておりません。
ここがどれほど恵まれた場所か、というのは、お嬢も重々承知なのですけれど、
それでも少なくとも、「自分で選んだことではなかった」という一点においては、彼女の”傷”は癒えることがなかったのです。

自分の目で見ておいで。それが、前に進む道の一つと思うから。
そう言って、快く(当人比)送り出し、受験もめいっぱい応援しておりました。
そんな種々のことが落ち着いて、彼女が楽しく大学生活を送り始めた頃になってから。

ずっと隠して、今まで目をそむけていた事実。
「お嬢に、日本の大学を選んでほしくなかった」という思い。
それがまた、私の中に場所をとるようになってきたのでありました。

(また適当に続きます……)
by senrufan | 2013-10-19 13:24


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