「自分の人生が完成することなどあり得ない。
例えば定年を迎えたからといって、それは人生の完成でも何でもない。
双六の「あがり」ではないのです。
サラリーマンだった経験を生かして、自分の人生の完成を目指していく。
その過程にこそ生きる熱と幸福感が生まれてくると私は思っています」
----- 桂文枝 (6代目)
(日本人、落語家、1943年7月16日生まれ)
料理ブログ・
読書ブログ、月イチ更新しております。
お嬢はただ今、初の日本の大学の期末試験真っ最中。
そんなアナタに面白Tweetを。
「一夜漬け:試験勉強を一晩で済ませること。
あさ漬け:試験勉強を当日の朝に済ませること。
ぬか漬け:ある程度の期間を設け、こまめに手入れしながら勉強すること。
お茶漬け:お茶のカフェインを摂取して目を覚ましながら勉強すること。
福神漬け:勉強せず神頼みすること。」
せめて、福神漬けはやめておけ。
* * * * *
【読書】
我が家の本棚を見たことのあるお友達や、読書ブログをご覧になったことのある方はおわかりと思いますが、私の本の趣味は、大層偏っておりまして。
今現在、我が家の蔵書(除マンガ)が約1,900冊あるうち、
ミステリーが1,100冊と、6割を占めている上、
その全冊が、
翻訳された海外ミステリーなのでございます。
あとはSF、ファンタジー、エッセイ、ノンフィクション、時代劇などですが、どれも1割か、それ以下。
日本人作家の本は、エッセイと時代劇、ノンフィクションあたりのみ。
本屋大賞とか、お薦め本情報を漁る時も、海外ミステリー対象ばかりチェックして、国内ミステリーは一切検索せず。
なので、常に活字に飢えているものの、日本でブームになった小説や、人気の作家さんの本も全然読まないので、こちらの図書館の日本書籍コーナーに行ったり、日本語本の古本市を訪れても、読みたいと思う本にあまり出会えないのですよ……
せいぜい、エッセイや時代劇ぐらい。ハウツー本や自己啓発系は、相当苦手ですし。
しかも、海外ミステリーが好きなら、こちらで原書を読めばいいではないか、と自らへの怒りにかられながら、強く思うのですが。
重度の英語アレルギーである為、それも叶わず。残念無念でございます。うん、ワタシ、逝っていい。
活字中毒どころか、ただの
ちょーーー偏食。好き嫌いはイケマセン、って給食の時間に言われたのに。
こんなにダメダメでどうしようもなくても、それでも冷めることのない、海外ミステリー好きの熱。
どうして国内ではなく海外版なのか、ということについて、ぼんやりと答えというか、言い訳は持っていたのですが。
先日読んだ、養老孟司先生の
「ミステリー中毒」という本で、そうです、そうです、そうなんです!ということが書かれていたので、調子にのって、この際、言葉にしてみようと思います。
以下は、あくまで私がこう感じている、というだけのタワゴトであり、国内作品をけなそうという意図はカケラもありませんので、その点はどうぞご了承くださいませ。
養老先生は、その読書量でも有名ですが、海外ミステリーが大好きであられるということを知ったのは、実は結構最近のこと。
スティーブン・キングなどのホラー系もお好き、というところは、残念ながら重なりませんが、なぜ海外ミステリーか、という分析的な一言一言に、逐一喜んだり、頷いたり。
ますますファンになってしまって、どうしましょう。(どうもしない)
勝手に先生に励ましていただいて、述べてみようとするならば。
私が海外ミステリーを読んで楽しいのは、それが
「娯楽」であるから、です。
日常は日常で過ごし、その合間の息抜きは、日常と全然関係のないことを味わいたい。
完全に離れた事柄を、しかも楽しめれば楽しむほど、日常からの健全な”逸脱”を果たし、心身のリフレッシュになるのでございます。
ですから、日常がせっぱつまっている時ほど、本が読みたくなったりするのです。別名・現実逃避です。
そういう意味で、海外が舞台の方が良いんですよ。名前も、いっそカタカナ名の方がありがたい。
日本が舞台ですと、どうしても自分の日常や、過去の思い出がよみがえったりして、あまりよろしくないのです。
加えて、
ユーモアの好み、というのもございます。
ウィットに溢れた、丁々発止のやりとり。P・G・ウッドハウスやクレイグ・ライスなんか、最高です。
wetではなく、dryな方が好き。日本式の笑いも勿論楽しいのですけど、こればっかりは好みとしか言い様がないのでありますね。
あとは、
構成力、と言ったら失礼になるでしょうか。
日本の小説は、私には”水”や”流れ”というイメージがあって、ウェットな人間関係や事件が、連想式に進行していくように感じられるのですが。
海外作品の方が、もっと骨格が堅固で、石造りの建物が作り上げられていくイメージがあり。
どれだけ波乱万丈な筋立てでも、その広がる風呂敷の広大さとか、それが畳まれていく時の見事さとか、爽快さを感じる作品が多いのが、また好きなのでございます。
結局私は、何か事件や出来事が起こった時、その原因や経過は勿論のこと、それに関わる人達の心情を知りたいのですね。
ニュースを見ても、読んでも、出来事としての概略はわかったとして、当事者の方々の考えや思いが知りたくて、でも、それは叶わない。
報道されたとしても、それは必ず、誰かのバイアスがかかった見方です。
ですから日常では、そういったものには距離を置いて接するクセがついてます。
推理小説では、それがない。
書き手が語らなかったところでは、わからない部分もあるにしても、
少なくとも主役が思ったこと・感じたことは述べられているので、それを知ることができた、という満足感を味わえます。
そして、これは養老先生も書かれてましたが、登場人物の、つまりは登場人物を通して作者の、「倫理感」や「価値観」といったもの。
これらに触れられるのが、また楽しくて。
私がミステリーの次に読むのが、エッセイなのですが、その理由はここにも在る、と思います。
勿論、自分から見て、お説教色が感じられる作品は苦手でありますけれど、
娯楽という面を満たしつつ、その裏にそういったものがどれほどうかがえるか、というところにも、作者の力量が表れますよね。
日本人作家さんの作品は、現代小説より、むしろ時代劇が好きで、池波正太郎や藤沢周平はかなり読んだのですが。
面白いことに養老先生が、
実生活から距離があるから、面倒が起こりにくく、倫理・道徳を直截に語りつつ、娯楽として読ませるもの、
として、これらのジャンルは重なる、と分析されていらっしゃって。
今まで何も考えず、ただ「好みだから」ということで選んできたジャンルに、こういった共通性があるらしい、ということに、ほほぉ、と目を開いたのでございました。
ちょっと横道に逸れますが、私は特定の芸能人にハマることが、ほとんどありません。
や、あの俳優さん好きー、とか、あの人の音楽好きー、とかは勿論ありますが、追っかけるほど好きになることがないんですね。
本やネットは大好きでも、TVを見られないという、これまたちょーー偏食(変食)体質である為、
「ハマるほど、その人のことを知る術がない」というのが、大きな理由であるようです。
ドラマで見て、かっこいい!と思ったところで、それは役柄の上のこと。
インタビューを見て、感じの良い人だなー、と思っても、それは一部分のこと。
実際に頻繁に会う人でさえ、わからないことが沢山あるのに、話したこともない人のことを把握しようというのは、大変難しいものでございます。
というか、私に判断する力量がないだけ、とも言います。(身も蓋も)
その点、小説では、それが結構できちゃうんですよ。
考えていることや、価値観や倫理観が提示されているから、その「人」が人間として好ましいかどうか、自分自身の価値観に照らし合わせて、自分なりの判断ができる。
かといって、別に二次元キャラにはまったりはしませんが(そういう年齢は過ぎました……)、
ルフィのような息子が欲しー、とか、理想の男性は秋山小兵衛とダンブルドア校長、とかぐらいは言っちゃえるわけでございますよ。
考えること、感じること、諸々に対する思い、良しとすること、嫌なこと、事件の裏、裏の裏……
いろんな点をひっくるめて、その「人」を、「出来事」を知りたい、という気持ち。
現実では成し得ないそれが、とある出来事を中心にして、様々な側面を照らしていく過程で、
人物と事件を理解するだけの手がかりをもらえる、という理由で、ミステリーが好ましく、
また、娯楽性に長け、ユーモアのセンスやストーリーの進行法、構成といった面で、海外作品が望ましい。
国内作品ならば、エッセイでその人に触れるか、もしくは、わかりやすい時代劇で遊ぶのが楽しい。
例外も多々ありますし、いいトシして偏食はやめねばいかん、と右往左往しつつ、
結局、こんな理由もあって、海外ミステリーが大好きなんだな自分、ということを確認してみたかったのでありました。
ま、ただの好み、ってだけのこと、なんですけどね。