染めてはいけない色がある

「他人の感情、生活に想像力を働かせて、それを察知する技術、つまり、共感というものは、自我の限界を打破する、という意味で称讃すべきものであるばかりではなく、自己保存の上に欠くべからざる手段なのである」
   ----- トーマス・マン
        (ドイツ人、作家、1875年6月6日生まれ)


友達から教わった、誕生日色事典
誕生日花や誕生日石は知ってたけど、色まであるとは。どうやって決めたんだろうなあ。

誕生色辞典:誕生色 366色の色名 

* * * * *

【学校】

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お嬢は現在こちらで、日系の塾に通っておりまして。
高2に上がった今年から、小論文の授業をとってます。

小論文のクラスは、昨年の夏期講習で初めて受けたのですが、良い先生のご指導の元、時事問題を取り上げた内容にすっかり惚れ込みまして。
以来、社会問題や政治にぐんと関心を抱くようになったこともあって、彼女がとても期待していたクラスだったのですね。
現地校ではEssay(エッセイ)をばんばん書かされますし、それなりに得意にしていたこともあって、親としても、楽しんでくれるだろうとしか思ってなかったのでございます。

それが蓋を開けてみたら、大苦戦の連続。
自由に思うところを述べていく現地校のエッセイと違って、主張を絞り、段落という形を明確に、起承転結のメリハリをつけなくてはならない日本の小論文は、文字通り「エッセイ=作文」と「論文」の差があるということを、お嬢のみならず、親までも実感させられているのです。




構成の悪さは彼女自身も自覚しているので、それは懸命に努力中なのですが。(あくまで当人比)
一度我慢できなくて爆発するように言ったのが、「自分の考えが書けない辛さ」について、だったのです。

帰国子女の斬新な考えが欲しい、というのが、帰国子女受験の目的じゃなかったの?
それなのに、型にはまった考えでも、きれいな形にできた方が点数がいいなんて。
滞在年数が長いほど、海外暮らしで得たものを身に着けられるのに、それを出したら拒否されるってどういうことなの?
結局欲しいのは、海外で暮らしながら、”日本人”で在り続けた人ってこと?
滞在年数が短くて、言葉だけじゃなく、価値観も身に着けない人の方が有利だなんて、それが日本の為になると思うのかなあ?

や、冷静に見れば、原稿用紙の上に考えを広げすぎな彼女は、これから大いに学んでいかなきゃいけないのですけどね。(ごめんなあ)(母ちゃん似だな)
どう言っても、”まともな”小論文が書けない以上、負け犬の遠吠えでしかないと重々承知した上で、それでも吐き出した思いでありました。
実際、先生にお聞きしたところ、これは滞在年数が長い子ほど陥る悩みだそうですよ。


先日、その塾での個人面談があって、先生から色々教わったのですが。
お嬢は滞在年数が長いので、もし日本の大学を受けるのであれば、A大学は薦めるが、B大学やC大学は薦められない。
理由は、A大は帰国子女らしい、自分の考えをしっかり持っていて、それを主張できる子を欲しがる傾向にあるが、B大やC大はそうではなく、むしろ滞在年数の短い子の方が受かっているように見える。……

ディベートが得意で、売られたケンカはもれなく買う(……)お嬢ですが、それでも中身は相当に日本人だと思うのですけれど。
彼女の日本人らしさを判断するポイントが、自己主張が強すぎるかどうかならともかく、自分の考えを持っているか否かであるとしたら、なかなか悩ましい問題のようにも感じます。

といいつつ、話を聞く限り、現在の日本の帰国子女受験のやり方に、納得する点もあり。
例えば学科試験や、日本語での小論文試験。形はともあれ、日本語能力試験はやはり必要だと思いますし、それが高いのが望ましいのも自然なこと。
学校側としては、授業についていけない生徒だと困るわけで。入った本人も困るわけで。何のために入ったの?ということになってしまう。
だから英語など、滞在国の言語能力だけでの選考には、留学生以外では、基本的に賛成する気持ちはありません。
いくらグローバルな言語=英語であるとしても、日本にある学校に通うのだ、ということの意義を忘れてはいけないでしょう。

「現地校での活発な活動」が難しいのも、こちらにいれば良くわかる話。
現地で対等に活動できるほどの語学力の為には、4年でも足りないぐらいなのに、駐在員ではその前に帰国することがほとんどで。
現地語の勉強でも大変なのに、帰国した後の受験を考えると、日本語教育にも力を入れざるをえず。そんな状態で、スポーツやクラブ活動など、どれだけ時間を割けることか。
学年が上であればあるほど、その厳しさは増していくのです。

じゃあ、滞在年数が長い子の方が有利かといえば、今度は逆に、日本語教育の問題が。
現地校の学年が上がるほど、勉強が大変になってきますので、よほど日本帰国が確実でない限り、もしくは本人の日本語維持のモチベーションが高くない限り、現地校優先となるのは仕方のない話。
考えれば考えるほど、帰国子女の能力と個性をどう判断するかは、採用する学校側にどれだけ理解と知識があるか、ということが、まずは大きなポイントになりそうです。


大学側が、求める人材像を持っているのは当然で、それに合う学生を選ぶのが、受験というものでありますから。
それが”日本人らしさ”を持つ生徒を集めたいのであれば、そしてもし、それが”自己主張は控える”ということであったとしても、お嬢には申し訳ないのですが、非難されることではないと思います。

ただ、帰国子女受験枠を設けているということは、そうではないものを期待した趣旨の元で実施されている、と見えるのですけれど。
当の学校側が、この辺りの事情をどこまで把握してくれているのか。
良く知っているなら、その上で帰国子女に求める資質は、一体何なのか。
説明会での話や、学校のパンフレットに書かれている言葉が、どこまで実際に近いのか、ということが、小論文の書き方一つをとっても、大いに気になるところなのでございます。


さて、先日の京大入試カンニング事件で、学校側の対応に幻滅を感じたお嬢。
そんな彼女が考えた、「日本の大学&入試(案)」を教えてくれました。

・様々な国の、様々な大学と提携
  → 色々な教授が来て、バラエティに富んだ講義が受けられる
    いろんな国の、いろんな意見の学生が集まる
    その大学に合わないと思った時、そこで勉強したクレジットを持って、
    他の大学に道を繋げることができる

・奨学金制度の充実

・入試内容の案

 1. 文系・理系に一旦分かれる
   理系:超難問を1問与えて、どう考えて、どう解くか、その思考回路を見る
   文系:大まかに法学系、経済系、文学系に分かれて、それぞれに適した
      社会問題を挙げて、具体的な解決策を考えさせる
     例:法学系-ある事件の裁判例を挙げて、自分ならどう判決したかを
           述べる

 2. もう一度全員を一緒にして、5~10人のグループに分ける
   テーマを与えて、学校内外で取材
      (suicaを渡して、それで行ける距離内)
    → 戻ってきて、グループごとにプレゼンテーション

 3. また全員集めて、今度は20人ぐらいのグループに分ける
   身体を使う問題を与える
     例:木に、一定距離離した2本の縄を渡す 
        → 全員が一度も引っかからずにその隙間を通れるまで、
          どのぐらいの時間がかかるか競争

 4. 面接 
   試験官は、大学内に限らず、”見る目がある”人に任せる

    
自分の色・考えを持っているか、リーダーとフォロワーの役割を臨機応変に変えられるかどうか、人の価値観を尊重できるか、等々、ペーパーだけでは判断できない特質を、どのように汲んで、どうやって良い人材を確保するか。
大学側としても、真剣に考えていかなければいけないことだと思います。
帰国子女受験に限らず、一般入試でも、少しずつ変わっていく必要があるのではないでしょうか。

と、小論ちっくにまとめてみましたが、判定は如何に。(サクラチル)




母:「ところで、こおゆう案を出すということは、当然自分もそれに受かるだけの自信が」
お嬢:「それを言うなあああああ」

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by senrufan | 2011-06-06 07:05 | Trackback | Comments(6)
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Commented by すれっぢ at 2011-06-08 22:47 x
帰国子女枠で入学するのも大変だったんですね~。ちっとも知識ない自分は、てっきり帰国子女で海外生活長ければ面接だけで即入学!!な~んて甘い考えを持ってたのですが、現実は全然違うんですね。しかし、なんで型にはめようとすんのかな~という気も・・・折角型にはまらない良さをもってるのに。
Commented by Miyuki at 2011-06-09 09:01 x
*すれっぢさん
確かに日本の一般受験より楽な面もあるので、それは否定できないのですが、同時にこういう苦労もあるんですよね~。特に帰国子女が増加しているここ数年、レベルを上げたり枠をせばめたりと、色々厳しくなってきているのは事実です。ほんとにねえ、せっかくの帰国子女枠なんだから、もっと遊んではじけた形にすればいいのにねえ(笑)
Commented at 2011-06-11 02:06 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2011-06-11 02:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by senrufan at 2011-06-13 05:30
*非公開コメントさん
レスが遅くなってしまってすみません! ログインしないで見ると、鍵コメに気づかないという情けなさ(涙)
しかし、待った甲斐のある素晴らしいご意見に感謝です~vv 甲斐? 誰に? それは私に(殴)

そです、逮捕されたのは一人でした。
でもって、うんうん、その”見せしめ”の意味はすごく良くわかるのですよ~。
後々への影響は勿論、一緒に受けた子達の気持ちを考えると、強い対応があってしかるべきであった、とは思うのです。

ただ同時に、それでも他にやり方はなかったか、と考えずにはいられなくて。
現在たとえば東京都青少年健全育成条例改正が問題になってますが、過去に一同人誌作家をスケープゴートにしたてて逮捕して、といった見せしめ劇があったのですね。当然その女性の人生は、そこでボロボロに崩れてしまったと思われます。
じゃあそれで抑制効果があったのか? ある程度はあったでしょうけれど、それは「隠れる」要素が強まっただけで、根本を正すことにはならなかったのですよね。見せしめ、力で抑圧、というやり方は、結局対処療法でしかない、というのが個人的な意見でございます。(続く)
Commented by senrufan at 2011-06-13 05:48
柔軟性があるという印象を持っていた京大なので、勝手に処遇に期待していたところがありまして。
こういう現代的な、これからも避けられないであろうタイプの犯罪。しかし、相手はまだまだ発展途上の学生。そういうことに対して、教えて諭す側の大学から、もっと何か未来に繋げるやり方があったのではないでしょうか。
警察に訴えれば、権力側は抑圧と罰というやり方しかとれないわけですから、そこにいかずに何とかできなかったものかなあ、と。といって、具体的な案が出せない私には、何も言う権利はないのですけどねー、たははー(殴)

大学に良い人材を集めるには、大学側がそれだけの姿勢と懐の深さを常々示していかなければならないと思います。犯罪をおかしてでも、というのは、何十年も続けてしまった学歴重視の社会が引き起こしたものであって、学校側の責任も大きい。
子供が大学に夢を持てるように、真正面から向き合って受けたくなるように。家庭と教育機関の役割を、改めて考えさせられた事件でありましたね~。

いやー、こんな話ができるなんてすっごく嬉しいです、ありがとうございます!! 機会があったら、一緒に飲みたいっ! そして色々お話ししたいですうvv


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