器を形づくるもの

「私は鳥が歌うように、絵を描きたい」
   ----- クロード・モネ
       (フランス人、画家、1840年11月14日生まれ)

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【イベント】

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舞踏集団「山海塾」。
今年の海外ツアーで、こちらの地元での公演がありました。
本国日本では、名前は知りつつも観たことがなく。まさかアメリカで観ることになるとはなあ、と、ちょっと感慨にふけったり。

と言いつつも、写真や記事は色々と見てはいましたので、イメージだけは頭の中に。
ええと、坊主頭で腰布系、つい「水島…」と呟いてしまうお姿で。(わかる人だけわかって)
瞑想や思想、深遠、象徴といった言葉を伴ったもの。

果たして、こんなイメージが正しいか。
お嬢と一緒に、地元はスタンフォード大学のホールにて行われた公演に、のんびりと行って来たのでございます。




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車を停めて、ホールまで歩いていく途中、後ろから歩いてこられていた、おばさま方の小グループ。
「今までいろんな珍しいダンスを見てきたけれど、Butohは初めてよ」
こんな言葉が耳に入ってきたのです。

ちなみに舞踏とは、広辞苑によれば、
「手の『舞』と足の『踏』を合わせた語。舞踊(ぶよう)。主に明治時代、ダンスの訳語として用いられる。現在は前衛舞踊などで使用」
この最後の意味は、山海塾によって付け加えられたものだったりして、なんて思ったり。

The Japanese butoh dance troupe Sankai Juku

というのが、こちらでの山海塾の紹介名。
そして、舞踏(Butoh)については、とあるダンス評論家によって、

dark soul danceとも訳される、第二次大戦後、敗戦国である日本が占領下において、欧米化の波にもまれていた頃に生まれた前衛舞踊芸術、

という説明がつけられていたのであります。
お嬢と一緒に、???でありました。傾げた首は45度。
それとも、私達が無知なだけですか。

ともあれ今回の演目は、
「TOBARI - As If An Inexhaustible Flux(降りくるもののなかで―とばり)」
山海塾の創始者である、舞踏家の天児氏によれば、Tobariとは、「昼と夜の境目」
そのタイトルにふさわしく、月と星と共に、無限の夜空に頭上を、背中を、足元を、四方を丸く囲まれて踊る、夢のような舞台でございました。


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作品は、7つのシーンで構成されています。
Ⅰ From unlimited nothingness
Ⅱ A shadow in a dream
Ⅲ Reflecting on each other
Ⅳ A vertical dream of the future
Ⅴ Night blue
Ⅵ In an inexhaustible flux
Ⅶ Into unlimited nothingness

1つ1つのシーンは途切れることなく、流れるように繋がっていて、間に休憩もなし。
それは、空に、夜空に、区切りが一切ないように。月の輝きが、流れる星が、途絶えることがないように。

踊り手は、天児氏を含む8人。
肌に白く粉をはたいた彼らが、ゆったりと、時に素早く、身体一つで表現するものは。
幻想的な音楽以外は、衣擦れと摺り足の音しか聞こえない、無音であるが故に雄弁な。

たった一つの塵から全てが生まれ、やがて全てが再び塵に還る。誕生と死、そして再生の物語。
輪廻転生を基として、完結した輪の中に見られるのは、ただ一方向に流れているようで、実はまたその場所に帰り着き、しかしそこでとどまることのない、数多の命達。

天児氏が、自らの身体で持って、声無き雄弁さで訴えるのは。
個々人の命には限りがあるが、命そのものは長く続くもの。
我々は、永続性と非永久性という、相反する2つを内包する存在である、という主張です。

輪廻を信じているわけではありませんが。
全ての命は繋がっていて、それは輪という形になるんだろう、と思っている私には、しっくりと身の内に落ち着く訴えです。


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一貫して静かな舞台なので、いわゆるダンスに慣れた人達には、果たしてどう受けとめられたのでしょうか。
私個人としては、まずは踊り手の方々の身体つきが、いわゆるダンサーの人達とは、ちょっと違うように見えたりして。
すごく筋肉質でもなく、むちゃくちゃ逞しいわけでもなく、なんというか、しっかりと力はあるのだけど、穏やかな丸みがあるような。
まあ、間近で見たわけではないし、身体に白い粉をはたいてるせいで錯覚してるのかも、なー。

身体という点からすれば、天児氏の身体と踊りは、やはり一味の違いを感じたり。
1949年のお生まれということは、今は還暦を過ぎていらっしゃるはず。
でも舞踊家ということで勝手に、60歳には見えない若々しい肉体、なんぞを想像していたのですけど、なんというかむしろ、きちんとお年を召していらっしゃるような。
そういうお身体でもって、ゆるやかだったり、鋭かったり、手足や胴体を動かしていかれる一挙手一投足が、なんとも風格と余裕を感じさせ。

一般的に、ダンサーやアスリートと聞いた時に、脳裏に思い浮かべる身体と動きがあるのですが。
山海塾が、彼らの”舞踏”を通じて、鍛えて作り上げていく身体と動きは、また一線を画したものであるのかもしれなくて。

主張するもの、示したいもの、目指すものをそれぞれに持つならば、そこに至る為の道具であり、表現する為の手段である身体も動きも、またふさわしいものに成っていくんだろう。
そんな風に思ったことでした。


山海塾
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by senrufan | 2010-11-14 12:37 | Trackback | Comments(2)
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Commented by まきりん♪ at 2010-11-17 23:55 x
舞踏の舞台をご覧になったのですね。私は20代は毛嫌いしていたのですが、30代で実際に稽古に参加して、はまってしまいました!舞踏、面白い!まだ山海塾の舞台はみたことがないのですが、バンクーバーの地元グループ、Kokoro Danceの公演は楽しんでいます。
Commented by Miyuki at 2010-11-18 16:26 x
*まきりんさん
あ、やっぱり舞踏って、そういう言葉として使うんですね~。でも世界共通言語ではないんですよね?? 他の国にはこの手の踊りはないのかな。Kokoro Dance、名前が可愛い!


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