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あの日、あの時、聞いた声

「幼年時代の思い出から得た神聖な貴重なものなしには、人間は生きてゆくこともできない」
   ----- フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
       (ロシア人、作家、1821年11月11日生まれ)


70字くらいで表わした

Miyukiを70字位で表わすと…
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ツイッター診断メーカー。
日替わりで変わる、私の性格。

元ネタ(?)の「脳内メーカー」、あれも楽しかったなー。

* * * * *

【個人的事情】

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しばらく前から、Twitterも始めてます。

始めるか始めないか、実は結構悩みまして。
何を悩むことが、と聞かれれば、ほんとにクダラないこと、だったのですけど。

始めたい理由はあっさり、フォローしたい人達がいるから、に他ならず。
迷う理由は、RSSリーダーだけでもかなりの量なのに、つぶやきまで追っかけてたらきりがない、ということと、
自分自身がツイッター上に書くことを、はたして有用と思えるか、という2点にあったのです。




1点目に関しては、フォローする人を選択・限定すれば良い、ということで解消したんですけどね。
2点目については、最初は、自分がぽっと思いついたことのメモ書きとして使おう、ということも考えたのですよ。そのままブログネタメモに使えるし、なんて。

手書きから遠く離れてしまった私は、家ではデスクトップ(名前はヒラリー)で、出かける時はラップトップ(名前はさゆり)を担いで、PCでちょこちょこと書き物をしているんですが。
鞄の中身を移しかえるように、別々のNotepadやWordに書いたようなものが、常に一箇所にまとめておけて、どこからでも読めたら、どこからでも続きが書けたら、と思ってて。
ネットが使える場所であれば、ツイッターを使えば手軽だなあ、と最初は考えたんですよ。

が、それがいくら範囲限定とはいえ、公けの場に出るんだ、と思ったら、そんなプランも消えました。(ぷ・しゅ~)


ブログでもソーシャルネットワークでも、そこに書いてアップすることは、公けの目にふれさせることになる、という基本中の基本。
ネット上でのその手の活動が至極一般的になって、交流することの喜びを知って、抵抗感と紙一重の自律心が、緩やかに解されて。
ツイッターという、手軽で端的な効果の利器の上にあっては、更にそれが加速します。

自分が考えること、感じることを、「人の目にふれさせても良いものかどうか」という視点から分類した時に。
それが、ブログという形で残しておこうとする内容と、自分の中に沈めておきたい事柄を、どの時点で判断して分けていくのか、というステップを加えて考慮すれば。
ツイッターという、少なくとも自分一人ではない場に、言葉という形をとって表すことには、どうしたって慎重にならざるをえないので。

今はもっぱら、フリーメールやGoogleドキュメントを使って、ヒラリーとさゆりという、2人の愛人の間を行き来しております。気分はお金持ちの大旦那(違)
余談ですが、こういった情報管理用ツールとして薦められたサービスに、EvernoteDropboxZoho Notebookがありました。
こおゆうことを考え始めると、スマートフォンやiPadが欲しくなっちゃいますねえ、やっぱり。あ、別物ですが電子書籍リーダーも。


そんなこんなで、ようやっと始めたツイッター。
フォローしている人もごく少数なら、自分のつぶやきは1~2日に1回あるかないか、という程度。ごくごくささやかに、ほんわかとやっております。

そんな自分的ツイートですが、最初の方で、こんなことを書いたのですね。

「メールがさらっと書けない娘。お礼とかになると尚更で、ずっと下書きフォルダに入れたまま。」

「タイミングを逃したら意味がないんだよ、と説教しつつ、昔の自分もそうだったことを思い出す。」

「友人宅で夕食をご馳走になって帰宅。ただの家庭料理、と言うけれど、それがどれほど嬉しくて美味しいか、言葉を尽くして説明したかったり、ただ嘆息するだけで通じてくれないかと思ったり。」

「そんな感じで、言葉に振り回されるのと使いこなせるのとは紙一重、ますます言葉依存症になっている自覚。良いのか悪いのかもわからないまま。」

言葉にする、という行為の、意味と結果。質と量と長さと、タイミング。
それこそ、子供の頃から抱いてきた悩みですが、ここ1~2年で更にとらわれ始め、今では随分と考え込んでしまうこと。
そのわりに、いまだに話すのも聞くのも下手なばかりで。いまだに、どころか、悩むほどますます、のような感までも。


実は1年以上前から、日記に残しておきたいと思っている事柄がありまして。(またかよ)
通り一遍にまとめてしまえば簡単なのに、あーでもない・こーでもないと悩むこと、ほんの数秒間で、すぐに投げ出すことを繰り返していたのですよ。プチアルツと樹上の哲学者(つまりナマケモノ)気質の強力コラボ。

でも、この「言葉にすること」が、大きな自分的キーワードとなっている現在。
そして、そろそろ1年の終わりが見えてきた今。(……)
あれとこれとを、うにっ、と絡めて、年内に済ませたいなあ、なんて思ったので。

これをプロローグ(吐血)として、近々新しいシリーズ(吐血再び)を始めたいと思います。







でもって蓋を開ければ、なんでこれと言葉が繋がるっつーんだ(呆)、と思われること必至の、一人上手の世界の予定です……
by senrufan | 2010-11-11 11:39


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