胸に響くは彼の調べ

「痛みは一時的なものだ。その痛みは1分続くかもしれない。1時間続くかもしれない。1日続くかもしれない。1年続くかもしれない。でも、最終的には痛みは治まり、別のものがそれに取って代わるだろう。だが、ここで諦めたら、それは一生涯続く」
   ----- ランス・アームストロング
       (アメリカ人、サイクリスト、1971年9月18日生まれ)

* * * * *

【映画】
b0059565_5525597.jpg

映画「Fiddler on the Roof (屋根の上のバイオリン弾き)」を観に行って来ました。
公開が1971年のミュージカル映画で、上映時間が179分という大作、アカデミー賞3部門受賞。
元々はどなたもご存知の通り、NYで舞台化された人気ミュージカルで、日本でも森繁久彌主演で900回上演という記録を作り、現在でも上演が続いているのですね。

それだけの人気作でありながら未鑑賞だった私、最初は舞台を観に行こうと思ったのですが、ちょうど上映会の知らせを目にしたので、お嬢と一緒に訪れてみたわけです。




舞台は1905年、帝政ロシア領内、ウクライナ地方の小さなユダヤ人村。牛乳配達屋のTevyeは、妻と5人の娘と、つつましくも穏やかな生活を送っている。
ある日、長女のTzeitelに、裕福な肉屋との結婚話が持ち上がるが、すでに内緒で仕立て屋と恋仲になっていたツァイテルは、なんとかテヴィエに認めてもらおうとする。
続いて次女のHodelは、家庭教師として家に滞在していたPerchikと恋に落ちるが、彼はマルキストとして活動中に逮捕、シベリアに送られてしまう。ホーデルは彼を追って、一人シベリアに発つ。
三女のChavaは、ロシア人青年のFyedkaと会うたびに惹かれていくが、テヴィエの許しが得られないまま、駆け落ちに至る。
テヴィエの一家の変遷と平行して、高まっていくロシアによるユダヤ人迫害。とうとうユダヤ人の国外追放が宣言され、村の全員は身の回りのものを持っただけの状態で村を追われ、徒歩でそれぞれの場所に向かっていく。


……と書くと、それだけ?という感もしないでもない、一家庭内の騒ぎだけのように見えますが。
まずこの、「娘が父親の決めた相手と結婚しない」ということが、当時はユダヤ的に大変なことであったんだそうですよ。

父親が娘の結婚相手を決めるのがユダヤの伝統であったのに、娘3人に全て背かれ、その都度悩むテヴィエ。
そして一々「テヴィエ苦悩の時間」というのがあって、向かい合ってる娘や相方の時間は止まっている状態で、テヴィエが脳内で色々考えている、その時間がユーモラスで面白いのです。
ああいうこともある、こおゆうこともある。「On the other hands...」と、様々な可能性を並べて、それはもう、想像力豊かであることったら。

しかし背景を鑑みるに、実は相当に奥が深い葛藤なのだろう、と思うのです。
ロシアに移住してきたユダヤ人として、テヴィエが何世かわかりませんが、少なくとも娘達世代にとっては、ユダヤは確実に遠くなりつつある、はず。
ヘブライ語がわからないとか、行事が簡素化されてくるとか、きっと普段から色々あった、はず。
そこにマルキストの学生が演説ぶったり、ロシア人から嫌がらせを受けたり、なんぞが重なれば、それなりの年になった身としては、一体世の中はどうなっていくんだ、と不安にかられたところで、何の不思議もありません。
「Tradition!」と彼が叫ぶのは、そんな諸々がこもったこと、と思うのです。移民のハシクレのような身としては。

それでも、その空白の”葛藤の一時”を経て、娘達に許しを与えるテヴィエは素敵です。
シベリアに向かおうとするホーデルとの別れは、どれだけ娘を愛しく思っているか、切々と胸に染み渡ります。

なにも、とびきり学がある必要はなく。
地に足をつけて生きる、ということの本当の意味。
テヴィエを見ていると、そんな言葉が浮かんできます。
だからこそ、彼らを襲った「国外追放」という津波が堪えます。


何回か書いている通り、ユダヤ文化にはそれなりに興味を持っておりまして。
表層的なことばかりではありますが、本を読んだり検索したり、ユダヤという言葉にぴくっ、と反応するのがデフォルトです。

ただ、そうやってユダヤを追っていくと、「なんでだろう」という言葉ばかりが浮かんできて。
なんでだろう、なんでいつも彼らなんだろう。
弱いものいじめとか、村八分とか。どうしていつも、彼らなんだろう。
幾つか理由らしきものの説明を聞いても、まるで小学生の子供のように、そんなことばかり考えて。
なんでかなあ、と、じんわりと目頭が熱くなってしまったり。


タイトルになっている「屋根の上のバイオリン弾き」は、映像の中にも、影絵のような姿で数回登場します。道の上でも弾いてます。
実はお嬢が、このバイオリン弾きをかなり嫌がりまして。「疫病神としか思えない」と。
確かに、テヴィエが苦しんでいる時などにしか出てこないし、その時の効果音も不気味系で、あまり良い印象ではないのですね。
いくら弾いてるのがアイザック・スターンであったとしても、です。

しかしWikiで教わったところ、このバイオリン弾き、マルク・シャガールの絵である「The Fiddler」が元になっているそうで。
シャガール自身、帝政ロシア領で生まれたユダヤ人であり、ユダヤのモチーフを様々な形で絵に盛り込んだことは、良く知られています。
その彼にとって、バイオリン弾きとは、
「a metaphor for survival, through tradition and joyfulness, in a life of uncertainty and imbalance」
つまり、不安材料に満ちた人生において、伝統と喜びを通して、たくましく生き抜いていくことの象徴である、とのこと。

東欧におけるユダヤ人コミュニティ崩壊の証人でもあるシャガールにとって、辛い中でも音楽を愛し、祝日を音楽で彩り続けるユダヤの精神を、その姿にこめたのだろうか、と考えれば。
あの時も、あの時も、葛藤しつつも受け入れて、浮き立つことはなくとも前を見て。
そんなテヴィエの背に向かい、どうか幸あれ、と祈らずにはいられません。

*-*-*-*-*-*-*-*-*

余談ですが、夏を境として、お嬢がぐんと名画やアンティークへの興味を増しまして。
それをコアとして、要はヨーロッパ文化や風景への憧れを、どんどんと募らせている模様。
ヨーロッパに連れてけ、とねだられておるところ。なんで上から目線なの。

とりあえず、図書館を大いに利用中です。本は勿論、映画も色々そろってるのが嬉しいですねえ。
一番最近借りたのは、こんなところ。
ベニスに死す」 (ビヨルン・アンドレセン……!)
The Red Baloon」 (フランスの短編映画で、街並と色彩が素敵)
昼下がりの情事」 (何回観てもヘプバーンがいじらしい)

祖父、つまり私の父@名画狂に、お薦め映画を尋ねたりしている彼女に付き合って、私も芸術の秋となりそうな。


問題は、彼女がヨーロッパに憧れる根底には、アメリカが嫌いという思いがあるのですが(……)、
対する祖父は、アメリカ名画からアメリカへ憧れるようになってン十年、という人なので、
果たして両者のフェーズが合うかどうか、生温い目で見守る私でございました。
[PR]
by senrufan | 2010-09-18 07:50 | Trackback | Comments(6)
トラックバックURL : https://senrufan.exblog.jp/tb/14042232
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by シーラ at 2010-09-20 17:49 x
そそられる解説ありがとう!数日前から、一人でDVD映画を鑑賞するというマイブームが始まったばかりの私なので、とてもタイムリー!
ヴァイオリンの音ほど人の心を絞るものはありませんね。
Commented at 2010-09-20 19:58
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by すれっぢ at 2010-09-20 23:10 x
そんなストーリーとは露も知りませんでした~。
ユダヤ人の背景とか文化は根が深くてよくわかんね~です。
何百年も別の土地に住みながら混じらないってのが不思議。
Commented by senrufan at 2010-09-21 10:12
*シーラさん
えへへ、そそることができましたか? モノクロの古い映画、しかもかなり長いので、家でDVDで観るのが一番良いかも。気に入った映画があったら教えてくださいましvv
バイオリン、いいですよねえ。泣かせるのも笑わせるのも自由自在な気がします。
Commented by senrufan at 2010-09-21 10:26
*非公開コメントさん
わあ、コメントありがとうございます!! 私の方こそ、書いては止めることが何回も(涙) 最新の記事に書いたのは長すぎて送信できなかったり~(阿呆) なので、こうやってお話しできて嬉しいですvv

海外に出ると、日本って特殊な国なんだと実感させられますが、宗教においては特にそうですよね。こちらではうっかりOh, my God!も言えなかったり。宗教という価値観を尊重することを学んだことは、とてもありがたく思っているのですが、同時に、一神教ってなんて不自由で傲慢なのか、とも思わずにいられない場面も多々あって。結局はどんなことでも同じですが、人それぞれの在り方次第なんだなあ……と、しみじみです。(ずずーっ)(お茶をすすりながら)

娘がアメリカで嫌いなところは、自分達が世界で一番と思っているところ・人には人の思いがあるということに思い至らない想像力の無さ、ですね!(笑) でもアメリカでも特にリベラルなシリコンバレーにいられるのは幸せだそうです。

わ、私こそ、いつかお会いしたいですーーー!!!
Commented by senrufan at 2010-09-21 10:28
*すれっぢさん
おおっ、どうしてこうもすれっぢさんは鋭くていらっさるんだ!(尊敬)
その通り、混じらないからこそ攻撃の対象になるんですよね、彼ら。彼らの文化を思えば致し方ないことなんでしょうけれど、傍からは……ねえ。


<< 名が表すべき本体は 私の中に積もる音 >>