共存と共栄を結ぶ鍵

「もしあなたの人生を実りのあるものにしたいのならば、あなたの考え方を変えなければならない。」
   ----- オプラ=ウィンフリー
       (アメリカ人、司会者、1954年1月29日生まれ)

* * * * *

【時事】

Breaking News。
というわけでもないんですが、お嬢の通う高校で、ちょっとした事件がありました。

Westboro Baptist Church。カンサス州はTopekaという市にある教会。
Fred Phelpsをリーダーとしたこちらは、反ユダヤ・反中東・反同性愛をモットーに、過激な抗議活動や言動で知られる、Hate Groupでございます。
(彼らについては、Wikiの英文日本文の説明をご覧ください)

それがはるばるカリフォルニアの、一高校まで押しかけて、門前でピケを張る、という情報がもたらされたのが数日前。
予告時刻が登校時間とぶつかっていた為、学校側は、
登校時間を30分遅らせて、一般生徒がかち合わないように、警察の出動を要請して、
基本的には「取り合わない、無視する」こと、と通達を出しました。

Phelps側のやり口は、相手の怒りを煽る→それをネタに訴訟を起こす、というのが常套手段。
敢えて立ち向かって、Hate ministerを喜ばせる必要などありません。

が、水面下では、Facebookなどを通して、対抗グループの結集を呼びかけていたのですね。




そして当日の朝、こんなシーンが展開されました。

GHF at Gunn High School




神は皆を憎んでいる、と叫ぶヘイト側に対して、
我々の学校で、我々の町で、ヘイト行為は認めない、と投げ返す高校側。
Facebookでの呼びかけ通り、「Gay? fine by me」Tシャツを着て、
神は誰をも愛す、愛が答えだ、などの、多数のメッセージ、絶えない歌。

中でも、
「Satan loves all」
「Dorothy left Kansas for a REASON」
ぐっじょぶです。(親指立て)

この高校だけでなく、他学区からこのラリーに加わってくれた人達も多数いたそうで。
それだけの熱意がありながら、暴力や喚き声の応酬になることなく、通り側にしっかりととどまっていた彼らに、心からの拍手と感謝を贈りたいと思います。


ただ、私というヤツは、どうしてもどこか、これでいいのか、と思う気持ちが捨てきれない小心者で。
意見を持つ、ということ自体に対しては、彼らも私も変わらない、と考えてしまうのです。

個人的には、勿論彼らの主張や遣り口は、到底賛成できるものではありません。
ですが、私は同性愛賛成、貴方は反対、そう思うのはお互い自由である、ということは否めません。
宗教の違い、文化的価値観の差、人種偏見。ほんの些細な日常レベルの考えでさえ、誰もがそれぞれの考えを持っていて。
みんな違って、それが良い。そういう風に思います。

ですが、それはあくまで、自分と違う存在に対して、"Respect"の気持ちがあってこそ、ということを前提にしなくてはなりません。


なぜ、ただ違う、ということを受け入れられないのか。
なぜ、相手に自分と同じ意見を持つように強制しなくてはならないのか。
それがたとえ平和や博愛の訴えであっても、その姿勢如何では、承服できないものになりえます。

相手を尊重する気持ちがない。相手にも意見があるのだ、ということを頓着しない。
そういう姿勢で進もうとする人の中には、
こういう意見を持っている自分の方が上なのだ、
という、相手を見下す気持ちを見てとることができ、それに嫌悪感を覚えます。

同時に、そういう形で自分を認めさせようとする裏にある、
それを通して自信を得ようとする、自分一人の力で立っていられない、
そんな姿が透けて見える時は、哀れみさえも感じます。

他人を価値ある存在と見なしていない反面、他人の目や意見を通じてしか、自分という存在を確立できない。
宗教を大義名分にした狂信者。環境保護の名を借るテロ行為。動物愛護をふりかざす強硬暴力。
誰よりも他人を必要としているのに、そんな自分に気づくこともなく。

そもそも、本当に人を尊重するのであれば、自分は自分・人は人、という足場がしっかりあれば、
反ユダヤや反同性愛などという主張を持つこともなく、それを高校生や死を悼む人々に向かって、声高に述べる、などという行為に出ることもないのではないか、と思います。

人は、一人では生きていられません。
私自身、日々どれだけそれを強く感じているか、とても言葉では表せません。
でもそれは、他人が自分と同じでなければいけないとか、自分に反対することは許さないとか、
そういうこととは、決してイコールではないでしょう。


ただ、こう思っている自分の中で、やはりこれが正しいとは言い切れない、そうささやく声があるのです。
歴史とは、勝者が後に自分視点で語るもの、という事実を、今までいやというほど目にしてきているので。
昨日まで正義と思われていたことが、翌日には反対と化していた、ということを何度も体験しているので。
どんな報道も、どんな意見も、本当のことは本人にしか分からない上、それも一人の視点でしかないのだから、と距離を置いて見る姿勢が崩せないのです。

イエス・キリストも、生前は彼らのような扱いを受けていたのかもしれませんし。
彼らの主張が、何らかの時勢の助けを借りて、大勢の間に受け入れられていくような事態が起これば、私のような意見を持つものが、現在の彼らのような扱いを受けることもありえます。

何よりも、自分という人間を省みて、彼らのような部分が全くない、とは言い切れないことを、情けなさ一杯の気持ちで認めざるをえないから。
そんな自分に、どこまで彼らを非難する資格があるのか、と問われれば、唇を噛み締めることしかできないのですが。

そう思ってはいても、尚且つ、現在の自分の信じる側に、これだけ多くの人が立っていてくれることを、しみじみと嬉しく思います。
今回の件に関して、基本的には無視すること、としながらも、同時にこれは学生達にとって、表現と言論の自由について学ぶ貴重な機会であり、それに対して教師はいつでも手助けする用意がある、と呼びかけた、そんな学校に、自分の娘や友人達が在籍していることを、幸運に思います。


学生が掲げた、「CoExist」の文字が、とても心に染みる経験でした。

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                              (地元紙の写真より)
*-*-*-*-*-*-*-*-*

今回、ヘイト側がこの高校を選んだ理由は、続いてしまった自殺騒動にあるそうです。

4人目が出てしまったことは以前に残しましたが、先日その道を選んだのは、昨年卒業の男子生徒。心の病に苦しんでいた、という話を聞きました。

これらの悲劇が、どういうことで彼らの耳に入ったのかはわかりませんが。
今回ピケに参加した、ヘイトグループ代表のFred Phelpの妻の主張によれば、
「我々は子供達に、彼らはずっとだまされていたのだ、それが電車に飛び込ませているのだ、ということを伝える為に来た」
というのです。
神は、人は、貴方を愛してないのだ、ということが彼らにとっての真実であり、子供達に伝えたいことなのであるらしいです。

彼らの主張はともかく、ここまで続いた自殺については、色々と言いたいことがたまってきております。
なので、自分なりに整理できたら、いずれ形にする、かもしれません。
が、できたらこのまま、そんな気持ちを再び起こさせるきっかけのないまま、鳥頭の私に忘れさせてほしい、と願っているのが本音であるのです。
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by senrufan | 2010-01-31 04:44 | Trackback | Comments(10)
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Commented by まきりん♪ at 2010-02-03 14:19 x
教会が高校に押しかけてこのような事件を起こすとは!
ファンダメンタルな宗派だと子どもを巻き込んでプロテストしたりのカナダの教会ですが、ここまでの行動に出るとは、さすがはアメリカですねえ。
Commented by mame-honey at 2010-02-03 17:51 x
この事件、ラジオで聞きました。Miyuki さんのお嬢さんの学校だと思い心配しておりました、、。なんと言うか、どういう主義主張を持とうとも心の中で思うだけなら勝手にすれば良いと思うのです。(いや、それもちょっと、、と思う事もあるのですが、、)ただ、今回この団体がお嬢さんの通う学校を選んだ理由が自殺者が続いたから、、と言う事が本当に腹が立ちました。この自殺に関しては、本当に色々と思う事があると思うのですよ、ティーンエイジャーの子供達にとって。そういう年頃の子達を選んで、わざわざ叫びに来るって、、。このエネルギーを他の事に使えば随分素晴らしい事が出来ると思うのですけどねえ、、。同じ日にProp.8に関するヒアリングニュースを聞いたりして宗教と言うものを考えさせられました、、。
Commented by ゆう at 2010-02-04 04:02 x
こんばんは、ゆうです♪
「今日は節分だね~」なんてノンビリムードの平和日本に住んでると
こうゆう事は普段ないので、ちょっと驚きかなぁ~?!
でも、アメリカでは現実なのよね?!
我が家も色んな国の人が来て色んな話を聞くけど、その場だけですもんね~
まぁ~日本もかなりの差別国なんだけどね~昔と違い日本の子供は戦わない・・・
私は、やはり人間は1人では生きられないんだよって思うな~
色んな形で意見を主張するのはいいと思うけど、やりすぎはどうだろう?!
信仰は個人のものと言う考えの私は、信仰の押し付けは好みません
ま~日本だから言えるのかもしれないけど・・・・
でも、教会、やりすぎだと思いました・・・
Commented by Miyuki at 2010-02-04 06:21 x
*まきりんさん
どの国でもありそうですけどね、狂信者はアメリカは結構な率で多いそうなので、その最たるものというところかもしれませんね。
Commented by Miyuki at 2010-02-04 06:26 x
*mame-honeyさん
うう、いつも優しいお心遣い、ありがとうございます~~。
おっしゃる通り、ほんとにこのエネルギーをもっと有効な方に向けやがれ!と思うんですが、彼らにとっての有効なものというのがこの手の行為だそうですから、たまったもんじゃございません。そなんです、自殺者が続いたからって……! この教会、有名人やイラク戦没者の葬式に押しかけては、「こういうことになったのは彼らに罪があったから」と叫びたてるのが常だそうですね。一家族がメインで運営している教会なので、いつか絶えてくれないか、とヒドいことを思ってしまいます。日本人の我々には、こういう事件や意見を耳にするたび、特にとまどうことばかりですねえ……
Commented by Miyuki at 2010-02-04 06:30 x
*ゆうさん
こんにちはー!
そなんですよ、現実なんです、キリスト狂信も発砲事件も。
でもおっしゃる通りだと思います。日本は無自覚に差別社会だったりしますよね。
一人では生きられない→他者への感謝、となるのが私達の常識なんですが、彼らにとっては違うようで。って、教義をしっかり聞いたわけじゃないので明らかではありませんが。でも聞いたら、それだけで心が汚染されるような気がしてできません~~(ぶるぶる)
信仰は個人のもの、賛成です。それで十分、と安心感を得られない人たちなんでしょうね、きっと。
Commented by すれっぢ at 2010-02-06 00:05 x
遅ればせながら
この宗教団体・・・暇なんですかね~わざわざそちらまでやって
来るなんて。バックに資金提供してる団体、企業、個人でもいるん
でしょうか。なんかシーシェパードと同じ匂いするんですけど。
Commented by Miyuki at 2010-02-06 10:20 x
*すれっぢさん
ざっと検索した記事たちによれば、あちこちで騒動起こして、和解金などを随分とせしめてるんですね。それが活動資金のようですが、でもどこかで援助を得ているか、もしくは脅し取ってるか、してそうですよね~。
Commented by akiumi at 2010-02-08 08:42 x
こんにちは、senrufanさん。 この記事をきっかけに、過去記事・・・・お嬢さんの学校で起きている自殺や、恩師が亡くなったときのこと・・・・や、WBCのサイトなど、いろいろなものを読み、そしてたくさん考え、泣いてしまいました・・・
昨日はJohn Grishamの "a time to kill" を映画で見たりしていたので、なんだか連続して、「人の弱さ」と「人の強さ」について、滾々と考える週末になったみたいです。
「人を貶めてしか自分の矜持を保てない」という信じられない人たちが存在しようとも、自ら命を絶つしか選択できなかったたくさんの人がいても、
「昨日の善が今日の悪」になる日が来ても・・・
senrufanさんや、恩師のかた、この高校生達のような、「自分の信じる道を行こう」と言う気持ちを後押ししてくれる人たちも、人間が生き続ける限りけっしてなくならない存在です。

曲がりくねりながらもなんとか生きるだけの力は、自分で築いたものじゃない気がします。いままでの経験と、周りにあるすべての人とものが強くしてくれました。
コメントせずにいられなかったんですけど、ほんと意味不明~~すみません !
Commented by Miyuki at 2010-02-08 13:00 x
*akiumiさん
こんばんは!
私こそ、いただいたお言葉に感激して、思わず涙ぐんでしまいました……本当に心に染みる温かいお言葉、ありがとうございます~~。
人の弱さ・強さについては、毎日どこかで必ず考えてしまいますね。
それは、日々必ず誰か彼かと向き合ったり触れ合ったりするからこそ考えられることであって。そういう「他人」を排除した世界では、自分が自分であること自体が難しいのだなあ、と改めて思います。
更にその「他人」が、こんな前向きな高校生達であったり、導いてくれる師であったり、akiumiさんのように温かく応援してくださる方ばかりであれば、どれほど幸せなことでしょう。

自分だけで築いたものではない。そう口にできること自体が、すでにWBCのような人達とは、確実に一線を画していらっしゃることの証明です。そんな方からコメントをいただけたこと、とても嬉しく思います。この手の日記にはコメントはつかないものとあきらめているところもありますので(笑)、余計に思いがけないプレゼントをいただいたようです。本当にありがとうございました!!


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