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繋げていきたい瞬間の

「脳髄は物を考える所に非ず」
   ----- 夢野久作
      (日本人、作家、1889年1月4日生まれ)

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【イベント】

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すでに三が日も過ぎているのに、クリスマスコンサートの話など。
大好きなあのゴスペル合唱団が、今回は隣の市まで来てくれたのだよ。

最初に知った時に、くわっ!と目を見開いて、即座にカレンダーにマークしたことは言うまでもない。
娘達の冬休み開始というめでたい日(…)、Rogiさん母娘と一緒に、思いっきり楽しんできたんだな。




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Oakland Interfaith Gospel Choir
彼らのコンサートには、今まで数回行っていて。クリスマスコンサートとしては、これが3回目。
なので、ゴスペルについて思うことなどは、ほとんど書いてしまっているんだな。
(過去のクリスマスコンサート、2005年2007年

ただ、今まで訪れたオークランドのホールに比べて、今回の場所はとてもこじんまりしてた上に、予約が早かったおかげで、前から3列目という好位置でもあり。
ステージ全体と客席が一体となった、その中の”一部”と感じられていた今までより、より身近に、ほのぼの度を増した形での鑑賞となったんだ。


コンサート自体も、以前よりこじんまりとした印象。
これは場所にあわせたのか、そういう方針のコンサートであったのか。
前座もなく、関係者の挨拶もなく、最初から最後まで彼らの歌を満喫できたのは良かったなあ。
彼らは12月初めに、ホームグラウンドでクリスマスコンサートを開いていたので、そちらだったら例年通りに規模が大きいものだったかも。

ほとんどの曲で、誰か彼かがソロやトリオなどで、前に出て歌っていたのも興味深く。
おかげで、どの人をとっても、相当な上手さの人ばかりなんだ、ということを改めて実感だ。

人種的にも、相変わらずバラエティに富んでいて。
白人、黒人、ヒスパニックにアジア系。ポリシー通り、multiracialなところが、惹かれる理由の一つでもあるんだな。


ところで今回、私の左隣に座られたおばさまがね。
白人で、ショートカットの金髪で、お顔からは50代後半ぐらいか、と思われるのだけど。
真っ赤なフリル付のタンクトップに、黒のエナメルベルト&黒のギャザーのミニスカート、あんど、黒のロングブーツという、大変お若いイデタチでいらっしゃってね。

最初から大変ノリノリで、手拍子もほとんど絶えることがないのはいいんだが。
「ゴスペルは裏拍」と説明されたにも関わらず、表拍子で叩いている上に、更にそのリズムがズレているとなっては、さすがに隣の私もちとツラい。
おまけに、とっても背の高い方で、長い手をかなりの大振りで叩かれるので、彼女の右手が何回も私の顔面を掠める困ったちゃん。

とは言いつつ、やっぱりゴスペルは立って踊ってこそ!と思う私にとっては、お隣さんのノリがいいのは嬉しいので、ニガワライと共に耐えていたんだな。

第2部の1曲目、3人がギターを演奏し、残りのメンバーが歌う、という曲があった時。
いきなり彼女に左腕をつかまれて、
「あの中の一番左でギターを弾いているのが、私の主人なの!」
と、思いっきり嬉しそうにささやかれたんだ。

お身内の方でいらっしゃったんですね。

そらあ、ノらずにいられようか、ってなもんだよなあ。と、なんか私まで嬉しくなっちゃって。(単純)
以降はおばちゃまと笑顔をかわしながら、共に立ち上がって踊ってしまったよ。


コンサートでも舞台でも、こういう、見知らぬ人との小さな”コミュニケーション”がとても好き。
演奏のクライマックスで、思わず目を合わせて感動しあう、とか。
悲しい場面で、涙をこらえてうなずきあう、とか。
その場限りのことなのだけど、お互いの背景も何も関係のないところで、その時に抱いた感情が共通する。
同じものを鑑賞したくて集まっているのだから、不思議ではないとはわかってても。
実生活では多分に困難だ、ということが念頭にあるから、余計に貴重で愛おしい。

難しいのは、同じ感情を共有することではなく、個々人の人柄や背景に関わらず、という点にあるんだな。


日常の、なんてことない場面であっても、無意識に外見や行動の端々から、その人のカテゴライズをはかってしまうぐらいなので。
ましてや信条とするものにおいてであれば、その”判別”は一段と厳しくなるのが、頭の痛いとこなのだ。

宗教から食の世界にいたるまで、自分と異なる意見に対して、なんて軽々しく批判を下す人が多いんだろう。
そういう苦さが、少しずつ降り積もって、時々いっそ閉じこもりたくなる時がある。(ええっ、今以上!?)
当然ながら、自分にそういう部分が多分にあることも自覚しているので、苦さ度はすでにニガヨモギ級。

世界三大宗教について考えると、一神教を信じる人々が陥りかねない危うさが怖くなるけれど。
何もそんなスケールじゃなくとも、身近にいくらでもある話。
思い込み、決め付け、傲慢、排他性。問題は対象ではなく、それに惹かれた人の中にある。
自分自身、そういう思いがふと浮かぶたび、なんとかならんかー、と日々頭を壁にぶつけてばかりなのが悲しいさ。(ぶつけたら、そう考えた脳細胞が死んでくれるかもという試み)(大嘘)

だから、コンサートなどでこうやって、言葉がいらないところで一緒になれた、という瞬間は、とても心に染みるのだ。
逆に、言葉を交わせば、感情の衝突になるかもしれないので。
すごい、良かった、大好き、そんなポジティブな思いだけを共有できる、それがいいよなあ、と思うんだ。


ゴスペル初体験だったRogiさん達も気に入ってくれて、あつゆきちゃん一家とも会場で再会できて、ほんとに楽しい数時間。
言葉を交わさないのがいい、そんな時間を過ごした後で、でもやはり。
形にして思いを語り合える、そんな時間が可能なら、もっと嬉しいのは当たり前。

それは、今まで一緒に積み重ねてきた時間があるからこそできる、大好きな人達とだけ持てるもの、であるからね。


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Oakland Interfaith Gospel Choir
by senrufan | 2010-01-04 05:49


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