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小さな足の、大きな一歩 (2)

Ascension (Christian)
Battle of Lquique (Chile)


見苦しくだーだーと垂れ流した先日の日記でしたのに、皆様から温かい言葉ばかりいただいて、本当にありがとうございました!(三つ指ついて)
勿体無く、申し訳なく、ひたすらに嬉しくて、すっかり勇気凛々・元気百倍でございます。
今日も元気に、ボケ・ツッコミ・ケンカ三昧の母子です。


小さな足の、大きな一歩 (2)_b0059565_5581420.jpgご存知の方も多いと思いますが、一応ここに記しておきたいこと。
タイトルに使わせてもらった、「ずーっと ずっと だいすきだよ」というのは、ハンス・ウィルヘルム氏の絵本の題なのです。
原題は、「I'll Always Love You」

もう長くないだろうと思われる飼い犬に向かって、毎晩この言葉をかけていた男の子。
だから、覚悟していた日が来ても、悔いなく受けとめることができ。

これだけ歳をとっても、愛情を素直に出すのは、なかなか難しいものでして。生来の意地っ張りとか、和風の恥の概念とか、脱ぎ捨てたくても重いったら。

しかし、人間相手には困難であっても、動物であれば出しやすいのはなんででしょう。
ごちゃごちゃ考えては身体を縛る「頭」を持たず、代わりに我々が失った「本能」は持っている。
そんな彼らにとって、照れとか見栄とかシガラミなんて、不可解この上ないでありましょう。食べられないもんだったらいらねえよ、ってなもんだったりして。

動物のみならず、幼い子に対しても、常に直球ストレート。
以前にも書きましたが、成長する過程において身に着けた理屈の類いは、彼らに対しては邪魔なものがほとんどで。
だから、彼らを前にした時に、それらを脱ぎ捨ててから向かい合うことは、実は私にこそ癒しであるのです。


黄色の健康に不安を抱くようになった時、真っ先に浮かんだのが、この絵本でした。
そしてこの本を知ったのも、子育てを通じて、でした。

子育てというのは、苦しいことも多いし、自分が社会的に成熟した大人になる為には、役に立たない面も数々あり。
が、視点を変えれば、大人になる過程で捨てる、もしくは、奥深くに埋めなくてはならなかったあれこれを、拾ったり掘り起こしたり、見直して考え直す過程である、と思うのです。

* * * * *

【雑事】

バイリンガル、という言葉自体は昔から存在するものの、その定義は少しずつ変わっていっているようで。
娘がバイリンガルになるまでは、興味もあってそれなりに調べたりしたものの、いざなってみたら、あとはどーでもいー、という姿勢にあっさり流れたことは、私ですから不思議ではありません。(死んでこい)
まあ実際のところ、「知りたい」という欲求のみで調べたもので、それを自分の子供に応用するかどうかは、また別問題ですもんね。

当時メインで読んだ本は、中島和子著「言葉と教育」
その他、ネットで調べたあれやこれやの雑知識、その頃あった国際結婚や海外在住日本人のメーリンググループのやりとり、でした。
今ではもっと違う定義、より細かい定義もあると思うのですが、公平を期す為もあり、私がその頃に基盤にしていたものを、ここに書こうと思います。



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1. バイリンガルとは

「バイ=2、双、複」+「リンガル=言語の」という言葉の成り立ちからいっても、「2言語を話す人」という意味を当てはめるのが、一番無難であるようですが。
言語というのは、「聞く」「話す」の会話面だけでなく、「読む」「書く」という面もあるので、これら4つの面の能力をどれほど持っているか・どういう形で持っているか、ということで考えた時、一口に「バイリンガル」と言っても、実は千差万別なのだということがわかってきます。

私が当時教わったのは、次の3つの分類でした。
二重バイリンガル : 両言語とも、その国のネイティブと同等の能力

偏重バイリンガル : 1言語はネイティブ並みだが、もう1言語はネイティブに劣る

平衡バイリンガル : 両言語ともネイティブに比べて劣る

二重バイリンガルの中でも、両言語とも更にeducatedなレベルまで到達できた人達は、スーパーバイリンガル、もしくはバイリテラシー、という名で呼ばれたりもします。
が、実際のところ、割合からいけば二重バイリンガルはかなり低く、偏重型、もしくは平衡型が一般的だとか。

会話はできても読み書きが苦手、というバイリンガルを指して、セミリンガル、という名で呼んでいた時期もありましたが、これは人権侵害に当たる可能性がある差別用語として、現在は使われないようになっているそうです。


ここでしっかりわかっておかなくてはいけないのは、
二重バイリンガルでなくてはいけない、ということではない
ということです。なんか日本語がおかしい気がするけどスルー。(殴)

確かに二重型が理想ではありますが、中島さんが本の中でおっしゃっているように、
バイリンガル=モノリンガル×2人分の言語能力を持つ人
ではなく、
バイリンガル=2言語を統合した言語能力を持つ人
のことであるので、そのうちの1言語をとって、ネイティブより劣っているからバイリンガルではない、と非難するのは間違いなのですね。
だから私が英語ができないのも、非難されなくてもいいわけです。あ、劣ってるどころじゃないから、元々バイリンガルの枠にも入らんわ。(すでに言語障害者)

日本から来てだいぶ経つのに、うちの子はまだ英語ができない……
とは、親御さんが良く悩まれることだと思いますが。
英語ではなく、母語であるべき日本語が問題なければ、その子の能力に問題はないと思うのです。
言葉の発達はご存知の通り、本当に個人差が大きいので、短期間で判断するのは危険でありますからして。


と、概略としてはこんなもんですが。
では、どの時点でその子がバイリンガルかどうか判断できるか、と言えば、ここで重要なのが、「年齢相応」という要素、なのでありますね。

(続く)
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世界に何十億といるであろう、バイリンガル人口。
マルチリンガルの人口も、数えてみれば相当なものなんだろうなあ。特にヨーロッパの人とか。
その中に、うちのお嬢も含まれるわけですね。

その何十億のうちの、というよりむしろ、世界人口約68億人のうちの、たった1人の例として。
これは標準でも何でもなくて、ただこの子はそうだった、というだけのこととして。
お嬢のことも、少し書いていこうと思います。


お嬢がバイリンガルかどうか、と言われたら、はい、と答えられるのですが。
二重型か、と聞かれたら、そう信じたいです、と答えるしか。(おい)
ましてや、バイリテラシーか、と問われたら、できたらそうであってほしい、なんて。(更に弱気)

現在の彼女の、会話と読み書きの能力について考えれば。
英語の方では、現地ハイスクールで問題なく授業についていけている、ということを考えれば、ネイティブ並みと判断していい、と思われます。
こんなに自信がない言い方になってしまうのは、私自身がネイティブじゃないので、細かいところまでわからないんですよ。(くっ…)
とりあえず成績はAdvancedに入ってるので、その辺りからネイティブ並み、と考えているわけなのです。

じゃあ、自信のある日本語の方は、というと。
教育としては、日本に展開しているとある塾の、こちら支部でお世話になっているのですが。
定期的に受けさせられる試験で、日本・米国・欧州など、ワールドワイドでの総合結果が出される中、それなりの位置にいる模様。

だから、日本語も問題はない、と言いたいのですが、そこはほら、私が日本語だけが得意なもので、ついつい小さなアラに目がいっちゃうんですね。いかん、いかん。
で、私自身が、日本にいる日本育ちの同年代の子供を知らないので、年齢相応か、と言われたら、イマイチわからない、というのが本音であるのです。


まあ、一つ言えるのは、現地校でテストを受けると、日本人の子は、「数学が良くて、国語(つまり英語)が苦手」というのが通常パターンなのですが。
お嬢の場合、一貫して、「数学が苦手で、国語(英語)が良い」という逆パターン。

これは、英語が大丈夫ということもあるんでしょうが、数学・物理が天敵だった母からの遺伝子のせいが大きいかと。
……子供って、どうしてこう、似てほしくないところが似るんだか……!(頭を抱えながら)
by senrufan | 2009-05-21 05:57


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