(        )な人がいる (その3)

世界の法の日、司法保護記念日
陸軍大将・乃木希典夫妻が明治天皇に殉死(1912年)

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【イベント】
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自然農法についても、太鼓のパフォーマンスも、集まった人達とのおしゃべりも。
楽しいこと色々のイベントでしたが、お嬢と私の一番のハイライトは、なんといってもランチタイム、でございました。

イベントの前、ランチを提供して下さる農場の方々を少しでも楽に、の願いをこめて、仲間内に、それぞれマイ皿・マイ箸を持参しようという呼びかけが。(感謝!)
しかし、当日サーブされたランチは、一皿にきれいに盛られた形であったので、せめてと箸だけでも、持参したものを使いました。




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手際よい流れ作業で、次々と盛り付けられていくベジランチ。
ずらりと並んだ人の列。皆、満面の笑顔でわくわく感いっぱい。果たしてどういうメニューかな、と前後に並んだ人達と話します。

そうして手にしたプレートは、柔らかな赤と緑と黄色の、色まで優しい絵のような。
パンを一切れつけていただいて、敷物の上でのピクニック、としゃれこみました。

お嬢と一緒に食べ始めて、お互い目を丸くして見合います。
それほどに、どのメニューも美味しくてたまらなかったのです。

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後でうかがったメニュー名は、以下の通り。
・ガドがド風サラダ
・ズッキーニ、タマネギ、エレファントガーリックの味噌クリームグラタン
・ジャガイモ、ズッキーニの青じそサラダ
・玄米の赤じそサラダ
・インゲン、なす、大豆のタイ風カレー

どのメニューも、まずは口当たりが柔らかく。そして味付けが穏やかで。
ここのところ、ベジタリアンレストランに行くことも増えてきましたが、ベースが日本でないことと、一般の人(?)にも受け入れられるように、との気遣いもあるのか、時々濃い目の味付けのものにも出会うわけですが。
こちらのランチは、マクロビ食に慣れた人達にも十分許容範囲内、どころか、かなりのど真ん中大ヒット、であったのです。

グラタンのクリーミーな味わい、微かな味噌のアクセント、サラダの酸味、野菜の甘味、そしてカレーの辛い刺激。
豆もあれば雑穀も豊富で、この一皿だけで、一体何種類の食べ物と味に出会えたことか。

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時間を置いてサーブされたデザート類は、山盛りのフルーツに、手作りのストロベリーブレッドと、ズッキーニブレッド、そしてパンが2種類。
こちらはヴィーガン仕様ではなかったようですが、しっとり・ふんわりで、どれも美味しくいただきました。
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食べ終わった後、どうしても作った方にお礼を言いたくて、美味しかったと伝えたくて、スタッフの方に尋ねてしまいまして。この、ちょーー人見知りのワタクシが(恥)
そして教えていただいたのは、とある女性の方が全部作られたとのこと。
「あ、あの人ですよ」と指していただいたその手の先には、ちょうどステージで歌ってる最中の、華やかな女性がいらっしゃったのです。

髪につけたひまわりが、とても良くお似合いのYasueさん。サンフランシスコで、ケータリングのお仕事をしていらっしゃるそうです。
100人以上(多分)もの食事を作られた上、コンサートで歌のご馳走までして下さって、さぞかしお疲れだったと思うのですが、思わず話しかけてしまった、見ず知らずの私にまで、至極温かく応対して下さいました。

その時に話してくださったこと、そしてその後、メールに書いてくださったことが、彼女のお料理と同様に、とても心を温かくしてくれたのです。


人間も、この宇宙の一部だと思っていること。
肉も魚も野菜も、一人一人が地球で、山や海、動物達からシェアしてもらっているギフトであること。
必要な分だけをありがたくいただくことが、一番大事であること。
あるのが当たり前のように思われている今、全てに尊敬の念を払い、共存していきたいこと。

昨年から、様々なジャンルのアーティスト達とコラボレイトすることを始められ、「食」という、人間の魂と身体を司る文化をアートし、クリエイトし続けていらっしゃるYasueさん。
「”愛”という名のスパイスを料理にふりかけて、身体の中から、精神の中から、自分なりに平和をクリエイトしたい」
と、力強く語ってくださいました。


現在、手作りのレシピブック制作を進められていらっしゃるそうで、出来上がりが今から楽しみでならないのですが。
ケータリング、ホームパーティは勿論ですが、更には自分の家での、一日だけのカフェオープン。Yasueさんのような方に手伝っていただけたら、どれほど素敵な時間になることか。

連絡先をいただいていますので、興味のある方はいつでもお尋ねくださいませ。
六ヶ所村の映画の上映プロジェクトにも参加中という、バイタリティ溢れる素敵な彼女のお料理、皆さんにもぜひ味わっていただけたら、と思うのです。

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【個人的事情】

この場では、マクロビオティックについて多く語ることは避けていたのですが。
ちょっと吐き出しておきたいことができたので、以下はそれについての、戯言中の戯言になります。
なので、興味のない方は、どうかご覧にならないでくださいますよう、伏してお願い申し上げます。




マクロビオテティックな人/もの/事だなあ、とは、私が最近、たまに呟く言葉です。

桜沢如一氏が始めたマクロビオティックは、幾人もの素晴しい後継者を得て、今では様々な色合いと道筋を持つものになっていますが。
私がマクロビをきちんと学ぼう、と思うに至った最初のきっかけは、そのうちのこの考え方からでした。
「自分の外側にある環境は、言い換えれば全てが『食べ物』です」

例えば衣類、住環境、通勤・通学路、暑さや寒さ、先生や友人達、ふと耳にする音楽、目に入った絵画……
口に入るものばかりが「食べ物」ではありません。周囲に存在する全てのものが、私達を作りうる「食べ物」。
生きることに食物は必要不可欠だけれど、人間は食物ばかりで生きているのではないのだ、という当たり前のことを、新しく教えてもらった気がしたのです。
ただレシピを漁って、動物性のものを使わないメニューを作っているだけの。ナンチャッテ、とか、ゆるゆる、とか、そんな言葉を付け加えて憚らなかった自分を、少しずつでも変えていければ、と思い始めるようになったのです。


「食べ物」を真剣に考えていくと、そのまま環境と人間の問題に突き当たります。正に、私達の周囲のものが全て「食べ物」である以上、これは当然向き合うべきことなので。
そう気づいた後に、覚える感情は何でしょうか。
環境破壊の最先端の犠牲者である、アフリカの人々への悲しみの念。
環境破壊を推し進める、先進国企業への怒りの念。
人によってそれは様々でしょうが、私の場合、まずは湧き上がる感謝の念に他なりません。

必要なものを、必要な分だけ。返せるものは、できるだけ返して。
そうできるだけの分が、自分の手の届く範囲にあることを、ありがたく思わない時はありません。
ごくたまに、この場でもつぶやいていたことですが、日々この思いは強くなります。
そして、誰かがそれを実行している欠片を見せてくれた時に、「マクロビオティックな人だなあ」と、しみじみと温かく思うのです。


マクロビオティック(Macrobiotic)の意味を改めて説明すれば。
マクロ(macro) = 大きい、広大な
ビオ (bio)    = 生命、命(の)
ティック(tic)    = 方法
物事を大きく広い視点で捉えること、小さな実際の行動を大切にすること。
目指すところは、心身の限りない自由です。そしてそれは、あくまで自分で見つけ出すものです。

マクロビオティックには、規則はありません。「~をしてはいけない」というものはありません。ただ、大きな法則があるだけです。
そしてその法則は、「NON CREDO(ノン・クレド)」という、マクロビにおいての大事な言葉に象徴されるように、「全てを妄信しないで、自分で考え、決めること」であるのです。


だから、私が「マクロビオティックな人だなあ」と思うのは。
その人が食べているものではなく、食べている姿勢や、食べ方を目にした時に感じることであり。

例えば、身近な旬のものを食べ、できる範囲で自分達で作ったものを食べ。
良く噛んで、じっくりと味わって。適量を食べて満足する。
作った人への感謝の思い。作られたものへのリスペクト。
必要な分だけ食べて満足して、不必要に多すぎることがない。

当然、ここで言う「食べ物」は、食物だけに限ったことではないことを。特に強く強く、心から。


マクロビオティックだ、という一言で表してしまうことに、反感や嫌悪感を持たれるかもしれませんが。
漠然とでも、包括的な意味がわかってきた今では、この一言に全てを込めてしまえるので。
それは、便利でありがたく。もっと密度の濃いものにできたら、と願ってしまい。

私自身は、自他共に認める通り、「マクロビオティックな人」からは、百万光年も程遠く。
欲しいものがいっぱいで、味わう気持ちは足りなくて。
できることが沢山あるはずなのに、目先のことばかりに流されて。

それでも、こんな私でも。20年、30年続けていけたなら。
少しは「マクロビオティックな人」に、近づける部分が出てくるかもしれない、と。
Yasueさんのような方に、農場で頑張ってらっしゃる方々に。
「マクロビオティックな人達」に会えるたび、そんな希望を持ってみて。そんな励ましをいただいて。

単なる食事療法ではなく、生活実学そのものであるところのマクロビオティックが、少しずつ暮らしの核になろうとしていることを、やんわりと感じてみるのです。
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by senrufan | 2008-09-13 13:14 | Trackback | Comments(2)
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Commented by peartree22 at 2008-09-16 16:34
Miyukiさんの貴重な体験を3部作でじっくりと読めたばかりでなく、Miyukiさんによるマクロビオティックの解釈は今まで読んだ、どのマクロビオティックの本より「すとん」と腑に落ちるものでありました。

「身の丈を知る」というのを私は長い事自分の課題としていますが、
もちろんそれが達成できるまでには本当に程遠く。
今回のMiyukiさんの文章にあった「必要な分を必要なだけ」を
噛み締めるのでした。

そう、単なる食事療法ではないのですよね。改めてはっとさせられました。ありがとうございます。

Commented by Miyuki at 2008-09-17 08:54 x
*ちゃんさま
たはは、お恥ずかしいです。そう思っていただけたのも、私が今まで触れることができたマクロビ文献がすばらしかったから、につきますね~。ほんとにありがたいことだと思ってます。

「身の丈を知る」、これ、すごく大事なことですよね。すでに人生も後半に入った私ですが、いまだに果たせてないという情けなさ(涙) でも、まだ学ぶことが沢山ある、というのがまた嬉しい励みだったりもします。

動物性のものを食べないこと=マクロビ、と思われているむきがある昨今。それをなぜヴィーガンと呼ばずに、マクロビと呼ぶのか? 考えればいっぱい出てくるものがありますね~。


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