掘り返すこと

お嬢の学校が始まれば、私も社会復帰を余儀なくされるのは、とても理不尽だと思う。(真顔)

手抜き家事の後、今日は思い切って趣味の本の整理など。
狭いスペースに詰め込んであるので、今回の便がさすがに入りきらなくなってしまって。
と言っても、主にダブった本・再録本に収録された単本を抜き出して箱にしまうぐらいが関の山だが。

岩城宏之著の「棒ふりのカフェテラス」を読む。
岩城さんの著書はずっと昔に母が持っていたもので、私も大好きだったのだけど、いつの間にか家から全冊消えていた。
どう考えても自分の蔵書スペースを少しでも増やそうとした父の仕業なのだが、本人はいまだ認めることがない。
何にせよ、大好きだった本がなくなったショックは大きく、肩を落とすばかり。
が、幸いにも今はアマゾンでさえ古本が買える。ので、数ヶ月前にふと思い出して、あちこちの古本屋サイトをチェック、3冊見つけ出して注文した。
これはその内の1冊を、母が再読した後に回してもらったものである。

本の内容は、岩城さんが自分と関わりの深い音楽家をアルファベットにそって26人選び、それぞれにエッセイを書いたもの。
私は大学時代、学生オケに在籍していたものの、マニアも多いクラシックファンに囲まれながら見事に染まることなく、何を聴いても「これ運命?」と尋ねるレベルから脱出することはなかった。
オケ内での”クラシックを知らない同好会”の名誉会員に、多いに資格ありということで、知らないうちに名をつらねられていたらしい。
演奏するのも聴くのも勿論好きだったが、それに対して知識というものの必要性をどうしても感じることがなかったのである。別名ひがみとも負け惜しみとも言う。

反面、音楽家が書いたエッセイは面白く、色々と読んでいた覚えがある。
中でも好きだったのがこの本で、妙な説教臭さは皆無な上、岩城さんの軽快な文とあいまって、何回も読み返した。
オケ内で、マニアの話の切れ端にぶらさがりつつ付き合えたのは、この本のおかげが大きかったかと思う。
オケを卒業して以来、この手の本からも離れてしまったので、あの頃のどうしようもない気恥ずかしさと少々の苦い思いと共に、今でも私の中の乏しいクラシック知識は80年代で止まったままである。
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by senrufan | 2004-08-30 15:08 | Trackback | Comments(0)
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