黙祷

ニューヨークに行ったことがある。

人がある場所を心地よく感じる時、理由は大きく分けて二つ考えられる。
一つは自分がとても慣れ親しんでいて、知ったものばかりに囲まれた場所である場合。もう一つは、逆に全く知らない場所である場合。
私にとってニューヨークは、正に後者の理由そのものによって、忘れられない場所である。
深呼吸というより、むしろ自分のいつもの呼吸がこれまでにないほどクリアになったような、そんな感覚に捕われてしまって、今でも心の片隅から消えることがない。

自由の国と謳われてきたアメリカ。あれほどその言葉を実感した場所を、私は他に知らない。
人が人を見る時、一番最初に目に入るのが例えば人種であったり外見であったりして、その後話す機会に恵まれれば、少しずつその殻が剥かれて本質が見えてくるというのが通常の道筋なのだろうけれど、最初から”その人”が見えて接することができたらどんなにいいだろうと、それが成せない自分をずっと悲しく思ってきた。
そしてニューヨークこそ、息をするより自然に、ただそこの空気でもって私にそれを可能にした街であったのだ。

誰も私を知らなくて、私は私自身として相手と向き合い、私自身の言葉を紡ぐ為に口を開く。
私から見て相手は、その人の育った環境も文化も、国籍さえも内包されたその人自身という存在でそこにいる。
ただお互いに、「そこで出会った」「そこで行き交った」、ただそれだけの、縁とも呼べないものでさえあっても、確かに私達はそこで同じ場所に同じ人間として立っていた。

持ちうる限りの材料を秘めて、自分という存在全てでそこに立つ。それは枷のない大いなる自由であり、同時にたとえようもない孤独でもある。
それでも一人の人間として声を発する為に、その地を目指した人達が集まった場所。
私にとってニューヨークとは、そういう無限の広がりを持つ街ですらあった。

犠牲者2749人・91カ国。この数字の象徴するものは、あの街以外にありえない。
国籍も政治も国同士のエゴも、そこには入る余地もない。

あれからニューヨークはどう変わっただろうか。私に一瞬で本質を伝えてくれたあの空気は健在か。

ヒーローもヒロイズムも必要ない。ただ、そこで会うことになった人と、まっすぐに向かい合えばいい。
会えないまま去ってしまったあなた達に、全て終わったと告げられる日は一体いつのことだろう。
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by senrufan | 2004-09-11 12:06 | Trackback | Comments(0)
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