そうだ、京都行こう。(その3)

【旅行】
旦那が一緒である限り、絶対平穏にはいかない。
そんな思い込みが、今回またもや当たったのでございます。

今日の夕方の新幹線で、一緒に神奈川の実家に戻り、そこから休みに入るはずだったんですが。
急な仕事が入って、昼には静岡に向けて発たなきゃいけないらしいですよ。

天気も思わしくないことだし、じゃあ私らも早めに帰ろうかねえ、ということになりまして。
それでは午前中にどこに行こう。三十三間堂なんてどうだろう。
タクシーの運転手さんに聞いてみたら、あそこは年末年始でも開いてますよ、と請合ってくださったので、そのまま向かっていただいたのでございます。




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窓口でチケットを買って、拝観入口から。ここは土足禁止で、スリッパに履き替えるのですね。
やはりこちらも、国外からの観光客が半分以上の様子。

さて、三十三間堂。天台宗妙法院の境外仏堂で、正式名称は蓮華王院本堂であります。
1164年(長寛2年)、後白河上皇が平清盛に命じてここに造らせたもので、当初は五重の搭や不動堂などを従えた雄大なものでありましたが、度重なる震災により、現在は本堂のみ、それも1266年(文永3年)に再建されたものとなっています。

なぜ「三十三」かというのは、この本堂の内陣の柱間が33あることに由来するとこのこと。
タクシーの運転手さんに教わったところでは、この「33」という数字自体、仏教では意味のあるものだとか。
観音様が人々の救済の為に変わる姿が三十三、仏教の前身であるインドの主神が三十三、など、幾つか聞いたのですが後は忘れました……(阿呆)
蛇足ですが一緒に教わったこと。仏教の完全数は「十五」だそうで。
「七五三を足すと15でしょ?」と言われて、そうだったのか!と膝と打ったです。いやあ、知らないことばかりだなあ。


三十三間堂といえば有名なのが、まずはご本尊の千手観音でありますね。
鎌倉時代の仏師・湛慶の手によるこちらの像は、十一面四十二臂の崇高なお姿。それぞれの手にそれぞれの持物を持たれて、目線は下界に向けられて、私達を優しく見下ろされていらっしゃいます。

その観音様の前面、左右にずらりとおわしますのは、観音二十八部衆と、風神・雷神を合わせた三十神。
この30体の仏像は、正に鎌倉時代を代表するにふさわしい、写実精神に溢れた傑作ばかり。表情は勿論、頭部・胴体、手足の指にいたるまで、筋の一本までリアルでまた情緒に溢れたもの。
更にそれぞれの高さが我々の身長並(150~165cm)ということで、前に立てば視線を合わせることができ。等間隔に並べられた仏像の前をゆっくりと進みながら、思い思いの像の前で、仏様と自分だけの対話を、心の中で行うこともできるのです。

加えてその後ろには、更に合計千一体もの千手観音像が、本堂の端から端まで余すところなく、整然と並んでおられます。
と言いつつ、実はぽこっ、ぽこっ、とあいているスペースも。こちらの仏像、良くあちこちに貸し出されるそうで、ちとお留守の仏様もいらっしゃいますな。
十一面四十臂の仏様群。数多の仏師が作製したこれらの像の中には、必ず会いたい人に似た像がある、もしくは自分と同じ顔の像がある、と言われております。丸顔の私も思わず探したいところでしたが、それをやってたら帰れまい。


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外に出て、改めて本堂の全体を眺めてみますと、南北120mという大きさは、かなり壮大なものであり。
ここで新年に行われる行事、「大的大会」というのがあるそうですが、これは江戸時代に行われていた「通し矢」にちなんだもの。
この「通し矢」、120mの距離を置いた的に向けて、24時間ぶっ通しで1万本以上の矢を射続ける、という、究極の体力・気力勝負であったよう。本堂の裏には、使用されていた弓や矢の展示もありました。
最高記録が紀州の和佐大八郎(当時18歳)によるもので、総矢13,053本中、8,133本を命中させたとの内容の展示を読み、お嬢と共にぶったまげました。本堂の一方の端に立って、もう一方の端を眺めやれば、その技術のすさまじさがわかります。だって端っこ霞んでる……(眩暈)

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本堂の向かい側には、豊臣秀吉の遺構である南大門太閣塀があります。両者の間には夜泣き泉
短いながらも、ぐるりと境内を一周できる散策道、ゆっくりと歩いて本堂の裏を通り、また門に戻るという道筋。
そこを歩いている時に、お嬢が耳にはさんだ面白い話を聞かせてくれました。

彼女の近くで会話していた、米国からと思われるご一家。そこのお姉さんが妹に向かって言っていたそうなんですが、
「仏教は信仰というよりも”精神の在り方”についてのものだから、もし神様がどうのとか考えるのが難しければ、仏教にしてみるのもいいんじゃない?」
ほおぉ、そういう解釈をする方もおられるか。

日本に生まれ育ったせいか、一神教への極端な傾倒姿勢に触れると、ついつい引いてしまうところがあり。多神教である神道の影響を、個人的にはむしろ幸いと考えているのでありますが。
そこに根付いた日本独自の仏教の形が、そのように映る向きもあるのだなあ、と興味深いことこの上なく。
政治や宗教の話題はできる限り避けたいものですが、同時にできるならば知ってみたい。そんな世界であることよ。

なんて呟いていたら、

でも世界の宗教人口で一番多いのはイスラム教で、キリスト教じゃないよ、

などと隣から議論をふっかけてきたヤツがおり。

イスラムは一神教の最たるもんでしょ、イスラム・キリスト・ユダヤがさあ……
日本の神道の、全てのものに神様が宿る、っていうのがいいよね……

そんなことを話しながら京都駅に向かううち、午前中は止んでいた雨が再び降り出す中、旦那と別れ、祖父母の待つ家への帰路についたのでありました。
*-*-*-*-*-*-*-*-*

そんな感じで終わった京都への小旅行でありましたが、ちょっと気になった小さなことを。

初日に嵐山を周っている時に、驚いたものがありまして。
なんとこの時期なら枯れているはずの梅の木(多分)に、花が咲いている枝がちらほらとあるんですよ。
確かにこの日はとても暖かくて、途中でコートを脱いだほどではありましたが、梅は早くても1月、と思い込んでいたのでびっくりです。それとも私が知らないだけか。
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更に、有名な天竜寺の苔について。
苔というものは、基本的に空気がきれいで、適度な湿気と低気温が育つ条件ですが、年々上がる気温のせいで、この苔がどんどん枯れてるそうで。
去年の春に、とうとう一度はりかえたそうですが、数ヶ月後には、すでにぽつぽつと枯れ始め。私達の目から見ても、茶色の穴が目につく状態。
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後日乗ったタクシーで、運転手さんが話していたこと。
「この時期にこんな雨が降って、ここまで霧が出るなんて、今までなかったんですよねえ。盆地ですから、霧は風で流されるし、降るとすれば雪であっておかしくないのに。ほんとにわからない気候です」

地球温暖化、という現象は、遠い南極や北極の世界の話ではなくて。あくまで我々の足元で、ほんの頭上で、少しずつ少しずつ起こっていること。
花鳥風月が生活の一部であったはずの日本。欧米と違い、「手入れ」という意識でもって自然と接することができる、類まれとも言える国民性は、まだまだ衰えてないと信じたいのですが。
その結果は、今後この国と国民が選択してゆく、環境問題への取り組み姿勢ではかられるもの、と思います。
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by senrufan | 2007-12-29 13:51 | Trackback | Comments(10)
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Commented by shina_pooh_at_sfo at 2008-01-09 15:09
家族旅行中もお仕事へ。お疲れ様です。たらたらいい加減に働いている男性よりはずっとずっと輝いていらっしゃると思います。(自分が当事者だったらきっと愚痴文句ばかりなくせにっ・・・!)

Miyuki さんの「京都へ行こう。」を読んでいると、ほんとーに自分の無知を思い知らされます。はふー。。ちなみに七五三は私の誕生日でして。(なんてずうずうしいっ。)

初梅、見られてよかったですね。写真が白黒っぽくてデザイナー写真のよう。食器やランチョンマットにしたい柄です。
Commented by ayumin_moo at 2008-01-09 16:22
う~ん、今回も濃ゆい内容でございますな。。。どこからコメントするか迷いながらも、コメントしたところで私の知識の無さ、思考の色薄さをひけらかすのがオチであり。。。と思いつつ、やっぱり何か言わないと気がすまないので、しばしお付き合いくださいませ。(願)

お嬢様が聞き取られた「仏教は信仰というよりも“精神のあり方”」というところに深く納得しました。私は無宗教であり、神道と仏教の関係も、正直よくわかっておりません。ただ、小学校以外すべてキリスト教の学校に通っておきながら、どうもキリスト教等の一神教はすべての物事を1人の神につなげる強引さを感じ、なじめずにおりました。日本人の血なのでしょうか。。。多神教が主の日本だから、宗教が原因の争い・乱・一揆がほとんど起こらずに済んだのかもしれませんね。

「手入れ」という意識をもっているはずが、草花を枯らしてばかりの自分に反省。
でも、環境問題に国境はありません。1人1人が意識を持ち、まずは自分の身の回りで起こるであろう変化を防いでいくことが大切ですね。
(いつもとりとめも無い文章で申し訳ございません)
Commented by マミィ at 2008-01-09 17:33 x
>「仏教は信仰というよりも”精神の在り方”についてのものだから、もし神様がどうのとか考えるのが難しければ、仏教にしてみるのもいいんじゃない?」

私もこれを読んでう~~むと唸り感心しました。「京都は綺麗だ、寺や仏像がすごいぞ!そこはまさに日本!」てな具合で、何も考えずに観光旅行するだけの外国人だけじゃないんだと知り、なんだかとても嬉しくなりました。
Commented by Miyuki at 2008-01-10 04:01 x
*shinaさん
輝いてる……! もしかして職場で見ればそうなのかも。そうなのかな。そうあってもらわにゃ困るな……(願望)

え、え、あのう、私の書いてることは、全てウケウリですからね! ここをどうかわかって下さい! shinaさんとは長いお付き合いをお願いしたいので、私の正体(=バカアホマヌケ)を知ってていただかないと~~
そでした、shinaさんは千歳飴娘さんでしたvv しかし考えてみれば、あれは神道行事ではなかったか……

この写真はお嬢撮影でございます。なんの小細工もなく、ただ「曇ってる」だけだったんですが、そう言っていただけて何より~(笑)
Commented by Miyuki at 2008-01-10 04:13 x
*ayuminさん
書いてる本人ははっきり言ってなーんも考えてない、ふけば飛ぶようなかっる~い内容でございますが(大汗)、こうやってayuminさんにコメントがもらえるなら、もうこの際何でもいいっ!!

ね、面白い見方ですよね。逆に言えば一神教が普通である世界にいるからこそ、日本式仏教がこのように映ったのかも、とも思います。おっしゃる通り、一神教は「一つの価値観しか認めない」という極端に走る人達がどうしてもいるので、その辺りが私もどーもなじめなくて。まあこれは宗教に限った話ではないし、宗教そのものはそんなことは意図してないとは思うので、否定する気はないんですが。

欧州の森の歴史を見ると、あれは「力でねじふせて言うことを聞かせる」やり方なんですよね。だから「基本共存・必要な時に世話を焼く」日本式は正解だったと思うので、この精神が続いてくれればなあ、と。ほんと、一人一人の意識がなければ、トップダウンでやれることではなかなかないのでねえ。私も日々、細々とやらなければいけません。
Commented by Miyuki at 2008-01-10 04:15 x
*マミィさん
私も嬉しかったですよ~! でね、お寺で見かけた外国人の方々、皆とてもお行儀が良い方ばかりでしてね。子供まで神妙な顔して、ちゃんと静かに鑑賞してて。むしろ日本の子の方が場をわきまえず、またそれを叱らない親と祖父母(怒) ちょっと殴っていいですか、と何度か握り拳になりました。
Commented by まきりん♪ at 2008-01-10 14:57 x
これまた歴史的名所をじっくりと探索されたのですね。
仏教の完全数は「十五」、初めて聞きました。今度仏教のプレゼンテーションを頼まれているので、この話を盛り込もう(笑)
Commented by Miyuki at 2008-01-11 10:05 x
*まきりんさん
あはは、でもちょっと調べてみて下さいね。私も聞いただけなので。
プレゼンされるですか、がんばって下さいまし~♪
Commented by usayamama at 2008-01-15 20:50
神様がい〜っぱいの神道ってある意味大らかですよね。
三十三間堂の観音様たち、じっくり観て行くとだんだんと
親しみが湧いてきます。私も大好きな場所のひとつです。
Commented by Miyuki at 2008-01-16 13:42 x
*usayamamaさん
そうそう、その大らかさ、懐の深さが良いですよねえ♪>神道
うささんはご自分に似た観音様は見つけられたかしら? あそこは私も何度も訪れたい場所、と思ったです。


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