あなたのその手と、私のこの手

Independence Day (Portugal)

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【イベント】
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久々に行ったゴスペル・コンサート。それも、今まで行った中で一番好きだった、OIGCのクリスマスコンサート。
知り合いがチケットの先行予約を手配してくれたおかげで、とても良い席をもらうことができて。総勢6人という大家族の友人一家と一緒に、わくわくしながら行ったんだ。




このOIGCは13~18歳がメンバーのYouth Choirもあって、幕開けは、彼らの歌2曲から。
見た目は「どこが18歳以下!?」とツッコミたい、大変堂々とした体格の若者達のコーラス。

確かに若さと青さを感じさせる歌声で、ゴスペル、というにはまだ距離があるのだけど。
全米内でも犯罪率の高い、オークランドという場所で。彼らがこういう活動を行っている、ということ自体にも意味があるのかもしれないなあ、と。
いろんな意味で、10年後が楽しみな彼らです。声とか。体格とか(爆)


そしてお待ちかね、メインのOIGC。おなじみの鮮やかなブルーとパープルのユニフォームで、ずらりと壇上に勢揃い。
クリスマスらしく、「Deck the Halls」のアレンジからスタート。

彼らの歌を生で聴くのは1年以上ぶりだけど、何回聴いても圧巻で。
席に座っていても、その歌声に圧されて、背中も手も宙に浮いたまま。いつしか引っ張りあげられては、立ち上がって踊らずにはいられなくなる。

歌う彼らの喉から口から、頭から、指先から、全身から。溢れ出てくるのは、無限かと思わせるエネルギーと、神という存在への賛歌。
肌の色も国境も人種のルーツも越えて、ただ高みへと手を伸ばす。届き切らないその距離に向けて、歌声という矢を放ち続ける。


ゴスペルというと、それは黒人の魂の音楽、と思われる向きが大半であろうと思う。
このOIGCの特徴の一つとして、黒人だけでなく、白人もアジア人も、いろんな人種がバランス良くまとまっていることが挙げられる。
これはディレクターであるTerrence Kellyの方針らしく、それが同時に、彼がゴスペル界から賛否両論浴びている理由の一つだ、と教えてもらったことがある。

今日のコンサートも、Terrenceが歌う側として数回コーラスに加わったのだけど、その時に代わりに指揮をしたのは、アジア系の男性で。
こういう事態は観る人によっては、反感ととまどいを覚えることでもあるらしい。

音楽こそ、宗教こそ、国境から人種から自由であるべき存在かと思うのに。実は、だからこそ譲れない一線も生まれうる、その容量と色彩が広すぎる領域で。
私が一番馴染みがあるところのクラシック音楽の領域とは、全く違う意味と色合いの壁が、厳然と在ると感じずにはいられない。


それでも歌が流れ続ける間は、ただひたすらにその声を追い、夢中になって手拍子を続けて。
お嬢を含めて4人の子供達も、いつの間にやら大人達より先に立って踊り始めるほど、ぐんぐん引き込まれて惹き込まれ続けて、最後は大歓声で終わったよ。

我々の子供達は、神という視点でゴスペルを捉えてないはずだけど、アメリカ育ちの彼らは、例えば学校で習う米国史と、重ね合わせて考えたりするのかな。
自由、平等、博愛。歌と宗教と、そして若さの世界でこそ輝く言葉。
まだまだ信じていてほしいけれど、同時にその奥深くにあるものも、逃すことなく知ってほしい。

あの天への道のりの、半分までは届いたか。そんな風に思えた歌声の余韻に浸りつつ、願ったことはそんなこと。

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【個人的事情】
英語アレルギーを自認してやまない私だけど、こんなんでも一応渡米後しばらくは、英語レッスンに通ったりしちゃったんだ。
アダルトスクールに行きたかったけど、まだお嬢がちっちゃかったので毎日はきつかったから、個人の先生にお願いしてたんだな。
……あの時のお金のことを思うと、ほんとに勿体無くて、つくづく旦那に申し訳ないんだな……


それはさておき。そのレッスンの時に読まされた英語の教材に、リンカーンの演説集があってね。
彼のスピーチは色々と有名なものが多いけれど、ある日に読んだのはゲティスバーグのスピーチで。誰でも知ってる、「人民の、人民による、人民の為の政治(goverment of the people, by the people, for the people)」の一文が入ってるやつ。

スピーチ自体は比較的短いし、少々英語は古いものの、辞書を引けば意味はわかるレベルなんだけど。
読みながら、ふと心に浮かんだのは、
私は一生、この有名なスピーチを、ネイティブの人が感じるのと同じようには感じられないんだなあ、
という思いだったんだ。

それは、英語に対する絶望とか、そういう類のものではなくて。
必死に英語を勉強して、母国語レベルに到達されている方が沢山いる中で、自分は欠片の努力もしないでの諦め、でもなくて。
ただ、そういうことだ、という事実が、すとんと自分の中で収まった。そんな瞬間だったと思う。


今日のコンサートを振り返って、なぜかその出来事を思い出したのは。
会場の数多の場所で目にした、立ち上がって上に手を伸ばし、目を閉じて歌に酔う黒人の観客の姿に、私が感じるレベルとはかけ離れた神への思い、背負う歴史、人種としての葛藤を見たような気がしたからで。

ゴスペル・コンサートに行くたび、熱中して舞い上がる心の裏で、いつもどこかに在る、「ここは私がいていい場所ではないかもしれない」という、漠然とした感情。
それは、宗教を持たないのに、神を讃える場所にいるという罪悪感だ、と思ってきたけれど。
久しぶりにその場所に足を踏み入れて、そんな昔の思い出と共に、一段階クリアになった自分の心の中にあったものは。

白人がマイノリティ化しつつあるカリフォルニアという場所にいて、移民として恵まれた環境を常にありがたく思ってきたけれど。そういう場所で、では全員が米国民として溶け合っていると感じるか、と聞かれれば、答えは断固としてNOである。
むしろ、雑多な寄せ集め。混沌とした闇鍋。鮮やかすぎるほどのパッチワーク。だからこそ良いのだ、と主張する。
誰もが自分の国の国民であって、同時にこの国を居場所としている。壁、と表現されるかもしれないが、それは決してネガティブな意味だけではないと受けとめる。


強烈なルーツを持つ音楽の場所に居て。そのルーツを決して共有することはできないのだ、と認めるということ。
それは良し悪しで判断されるべきことではないし、自分なりのアプローチがあれば良いと思うし。
百人いれば百通りの。自分が常に唱えている、そんな言葉がいつも通りに支えてくれるけれど。

ただ、違うのだ、という事実。善悪ではなく、差があるのだ、という認識。
ふるさと、と聞いた時に、思い描く風景が全く異なるように。母の味、と言われて舌を刺激するものが、千差万別であるように。

神と。歴史と。人種と。価値観と。
私達はこれほどまでに違うのだ、という事実。
普段、国籍とか性別とか、そういうことを意識するのがとても苦手で。アメリカでは、日本は、といった、決め付ける類いの発言も聞きたくなくて。
そんな自分が、感情のないままに、そのことに気づかずにはいられない。どうやらそういうことであったらしい、と。

音楽や宗教観と直面する時は、否応無しに心を裸にせずにはいられない。
私にとってゴスペルとは、そういうものでもあるらしい。
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by senrufan | 2007-12-01 15:54 | Trackback | Comments(10)
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Commented by まきりん♪ at 2007-12-06 14:01 x
ゴスペル、大好きなんです。こちらにクワイヤーがあったら入団して歌いたいくらい。

子供時代に日舞とバレエを同じ先生から習っていたのですが(昔はそんなこともあったのですね)、日舞がどうもしっくりとこなかった。浴衣を着て正座して始まり、お扇子を用い、優雅に舞うというのが性に合わなかったんだよね。

カナダに来てからリズムに対する興味がふつふつと湧いてきて、アフリカン・ドラムそしてダンスとはまっています。自国の文化よりももっとぴたっと来る感じ。そういう意味では私の魂は多国籍なのかもしれません。
Commented by すれっぢ at 2007-12-06 14:07 x
↑魂は多国籍かもしれませんが、食の好みはとっても単一民族島国チャチャチャです。(笑)わたしゃ食べ物が多国籍です~。
By めおとマンザイ
Commented by shina_pooh_at_sfo at 2007-12-06 15:16
どーーーしてこう Miyuki さんは人が感じる(というか Miyuki さんが感じられている)心の言葉を、こうも的確に言葉に出来るんでしょうね。その才能に、いつにも増して本当に尊敬です。そのような言葉を伝えられて育つお嬢様が大人びてしまうのは仕方ないですね(笑)

生のゴスペル、聞いたことがありません!来年 OIGC のクリスマスコンサートを目指します。貴重な情報、ありがとうございます。
Commented by ayumin_moo at 2007-12-07 03:43
shinaさんの言葉に賛同!Miyukiさんの文章の上手さに惹きつけられ、夢中で読んでしまいました。
私も生のゴスペルは私も聞いたことがありません。CDは何枚か持っていて、聞くたびに背中がゾクゾクするような感動を覚えます。でも、たしかにそれは歌い手と一体になるというほどではなく、どうしても音楽鑑賞者としての立場を抜け出せないような気もしたりします。。。

リンカーンの演説、懐かしい!私は中・高の部活でオーケストラをやっていたのですが、リンカーンという曲を演奏したことを十数年ぶりに思い出しました。最後に静かな音楽に合わせてリンカーンの演説が入るのですが、それをアメリカ人の先生が担当し、アメリカ人の愛国心というものを強く感じたことを覚えています。でも、今振り返ると、いつもおちゃらけていたその先生が遠い存在に感じたような気もして。。。それはMiyukiさんの言うように、私たちにはどう頑張っても感じられないアメリカ人の心を垣間見てしまったからかもしれません。
アメリカで生まれ育った日本人の方は、リンカーンの演説を聞いてどう思うのかなぁ。。。お嬢様はどうですか?
Commented by Miyuki at 2007-12-07 13:05 x
*まきりんさん
そうそう、ゴスペルって、アフリカン・イベントの一環として催されたりもしてますね~。
日舞もきっと進めば見えてくるものがあるんでしょうが、とっつきやすさという意味では、なかなか。そういう面では、アフリカ音楽の方が、純粋にリズムにのるところから始められる分、間口の広さが違いますね~。
Commented by Miyuki at 2007-12-07 13:06 x
*すれっぢさん
はい、ごちそうさまっ!(爆笑)
ま、国籍云々じゃなく、何が好きかという個人好みの話で。となると、食べ物に関しては私、は無国籍どころか無節操でございますな。
Commented by Miyuki at 2007-12-07 13:09 x
*shinaさん
ひえええ、またまた過分なお言葉をありがとうございまする~(伏してます)
や、家族とはこんな話は到底できませんのです。だって照れるじゃないですか!(じたばた) なので娘にはいつも、「ママはネガティブなことしか言わない」と文句言われてます……そうか、だから彼女は鍛えられたんだ。(ぽん)

生ゴスペル、すっごくいいですよ~! 機会があったらぜひぜひお試し下さいませ!
Commented by Miyuki at 2007-12-07 13:33 x
*ayuminさん
えーっ、ayuminさんもゴスペルお好きですか、あーんど、オケに入ってらっしゃったですか!? 私も中・高がブラスバンド、大学でオケに入ってました! なんかすっごく嬉しい~、共通点発見~vv

うんうん、それですそれ! その愛国心、または宗教観というところに、日本との温度差を良く感じますよね。国旗や国歌すらも廃しようとしている国というのはどうなんだろう、と時々思うです。
娘は日本人という自覚が非常に強いのですが、例えばキング牧師のスピーチを一緒に聴いた時、米国史を知っていることと、英単語解釈がネイティブなのとで、感動が私の数倍だった模様でございます。
Commented by マミィ at 2007-12-07 16:51 x
Miyukiさんの言葉ひとつひとつが、我が心に深く静かにしみこんで来た朝。

>ただ、違うのだ、という事実。善悪ではなく、差があるのだ、という認識。
ふるさと、と聞いた時に、思い描く風景が全く異なるように。母の味、と言われて舌を刺激するものが、千差万別であるように。

信じるもの、価値観、国籍などなど全部関係なく、なにしろ人間というものはひとりひとり違って当たり前なんだね。それを忘れて、「あの人はフランス人だから馬鹿でも仕方がない」とか「日本人のくせに情緒がない」とか「え、O型なのにそんなことにこだわるかい?」とか「罰当たりめ、クリスチャンだろが!」とか「信じられない!どういうお育ち?」とか・・・えーと、えーと・・・と書き連ねていると夜になりそうなのでここでやめておきますが、何しろこういう自分の発言を振り返り、いたく反省しております。本当です。
Commented by Miyuki at 2007-12-08 13:31 x
*マミィさん
うわははは、一言一言にオオウケしてますがなアタシ!!(爆笑中)
カテゴリー化して判断するのはとても楽なので、私もついつい……でもねえ、自分がやられた時にすっっっごく嫌なので、そういう意味でもやってはいけないですよねえ。「日本人なら、毎日スシ食べるんでしょ?」って、んなわけあるかー! と、人から決め付けられるのは嫌いなB型でありました(殴)


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