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不滅の存在に近づくものは

Independence Day (Bulgaria)
Yom Kippur (Jewish)

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【家庭内事情】
旦那がようやく戻ってきたので、ずっと待ちぼうけをくらわせていた、お嬢の誕生日祝いに行けることになりました。
彼女の希望で、サンフランシスコにあるミュージアム、METREONでの展示会。
ルネッサンス期の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ展でございます。

「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで以来、すっかり彼のファンになったお嬢は、この展示会のことを聞いた時から、行きたい行きたいと目を輝かせ。
誕生日だろうが何だろうが、ほんとに物をねだることのない彼女に、じゃあちょうどいいから誕生日祝いを兼ねて行こう、などと話していたのが先月のこと。5日が誕生日なので、その週末の7日か8日に、などと話していたのですが。

旦那が本宅(=日本)の方を選びやがりまして。
しかも3回も日程を延期しやがりまして。

どんどん延びていくのがかわいそうで、私と2人で行こうかともちかけたのですが、「パパもきっと見たいだろうから」と断られ。とにかくじりじりと待っていたのでございます。


ようやく彼が別宅(=我が家)にやって来たので、これを逃せばまたいつになるやらわからない。早速行ってまいりましたですよ。
待望の展示会で、お嬢は夢心地であちこちと歩き回り、オーディオ解説を熱心に聴き、私に色々と背景を説明し。画家としてのダ・ヴィンチが一番好きな彼女、絵画コーナーでは根を生やしたように立ち尽くして見ておりました。

出口の売店で買った、ダ・ヴィンチについての本。ようやくあげられた、13歳の誕生日プレゼントでございました。

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【アクティビティ】
不滅の存在に近づくものは_b0059565_12314713.jpg

準備に10年という歳月をかけ、世界でも類を見ないほどのスケールで構成された展示会。
それがこの「Da Vinci an Exhibition of Genius」です。
RYP Australia Major Projectsと、The Italian Anthropos Associationのコラボによって実現されました。



何故それだけの年月をかける必要があったのか。
それはイタリアで組まれた職人チームが、ダ・ヴィンチの残したノートを元に、彼のアイディアを形にしようとしたことにあります。
彼の使っていたイタリアはフィレンツェ(英語ではフローレンス)の方言を訳し、彼の時代で可能であったと思われる技術の範囲内で、じっくりと時間をかけて作り上げられたダ・ヴィンチの実物大の発明品の数々。その数は120にのぼります。
そのうち65の作品が、今回の展示会に持ち込まれました。

フロアを幾つかのセクションに分けて、ダ・ヴィンチの持つ様々な側面に、それぞれスポットライトを当てた展示会。
発明家であり、画家であり、彫刻家であり、技術者、科学者、解剖学者、音楽家、生物学者、哲学家……フロアを歩いて展示をざっと目にするだけで、これだけの面に触れることができますが、信じがたいのは、それが全てたった一人の人間の持つ面であったということ。
死後数百年たっても、まだ彼の残した全容を把握するには足りず。それはまるで、かの有名な「モナ・リザ」の微笑みのごとく、永遠に手が届ききらないものであるのかもしれません。

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あまりに盛り沢山の内容で、しかも予想通り写真は禁止。
なので、覚えている限りのことを、ざっとまとめてここに残しておく程度で。

1. Life & Time

まずは入口を入ってすぐに、ダ・ヴィンチの、生まれてから死ぬまでの間の年表・経歴がパネル状になって展示されています。
年代としては1452~1519年。ちなみに彼の生誕日は1452年4月15日。
順を追って、彼の主だった仕事が成された年が記載されています。

この時代のフィレンツェでは、教会が大変な権力を持ち、加えてメディチ家を筆頭とした大富豪が勢力をふるっていました。
教会の教え以外のものは、全て異端とされた時代。男性支配の、暴力が日常的な年月でもあったとのこと。
ルネッサンス期といえば、大勢の著名な芸術家を真っ先に思い浮かべがちですが、実は芸術家の数がまたとても多かった時期でもあり。その中で認められる為には、例えばフラスコ画だけでなく、彫刻も粘土も全てこなさなければ、到底その中から抜け出すことはできなかったという、厳しい時代でもあったのです。

身長6フィート6インチ、かなりの美男子であったとされるレオナルドは、その才能の全てでもって、数多の芸術家達から遥かに抜きん出た存在になっていきます。
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2. A Collection of Codices

今回レオナルドの発明を形にするにあたってだけでなく、彼の秘密への手がかりとして最も重要なのが、彼の残した数冊のノート(Codices)です。
実はちゃんとした読み書きを習ったことがないというレオナルドが、独学で学んで書いたもの。鏡文字を自然に書き、ところどころ彼独自の暗号も使われているこのノートは、彼の死後、弟子であったメルチが保管していたのですが、更に彼の息子に受け継がれた後は、価値のわからないまま二束三文で売り飛ばされたものでした。
現在は美術館だけでなく、個人の富豪にも所有されているこれらのノート。うち一人は、ビル・ゲイツ氏だそうです。

ガラスケースに入れられておりますが、ここでレオナルドの直筆を見ることができます。
しかし実際のところ、読み書きを習わなかった分、レオナルドはほとんど目と観察だけで、彼を取り巻く世界を知ったのであり。私達がここで垣間見ることができるのは、尽きることの無い、誠に多方面にわたった好奇心により突き動かされた天才の姿でもあるのです。
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3. Reproduction of Da Vinci's Drawing

ダ・ヴィンチの発明品の数々の展示。もう圧巻の一言です。

内容によってカテゴリー分けされていたのですが、目についたものをざっと記すと、

治水を考える :
潜水艦
スキューバダイビングの装備
Paddle Boat
浮き輪や水かき用の手袋
The Flying Bridge
The Hanging Bridge
掘削機械
Archimedes' Screw

”時”の測定を考える :
Clock Mechanism
オリジナルのバネ
Jack、Rolling Mill
Ball Bearing
湿度計

音楽を考える :
Mechanical Drum
Portable Piano
Spot Light or Projector

物理と物体の動作原理を考える :
Aerial Screw
Flopping Wing
Self-Propelled Car
ハンググライダー
大砲、弾丸

……きりがないのでやめておきます。(ぜいぜい)


生涯を通じて観察の人であった彼は、これらの原理を常に自然から導き出そうとしました。
特に「Father of Flight」のコーナーでは、鳥の解剖を通じて、飛行機のメカニズムを作り上げていった過程がわかります。

そして音楽を愛し、音楽をCreative Artsの2番目のもの、と位置づけていました。
「The poet ranks far below the painter in the representation of visible things, and far below the musician in that of invisible things」
この時代では、まだ文学の価値は高くなかったのか。自然科学を重視した彼自身、かなり優れた歌い手であったようで、音楽への興味は更に舞台装置へと発展したようです。

バネ、橋、飛行機、戦車、銃、……彼がこのルネッサンス期に独自に考案した、後々の時代に繋がる技術、これだけでも相当な数にのぼります。
尚、これらの技術は軍事的に応用されていくものが多かったことについては、彼が今の時代に生きていたら、一体どうコメントすることか。ちょっと知りたい気持ちもわいてきます。
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4. Vitruvian Man

1:1.618。かの有名な黄金比(Golden Ratio)
ギリシアのペイディアスが提唱したと言われていますが、ダ・ヴィンチもまた「ウィトゥルウィウス的人体図」の中でこの黄金比を用いて、完璧な人体像というものを具象化しています。

不滅の存在に近づくものは_b0059565_1237292.jpg人体のへそを中心として、正方形の四角はそれぞれearth・water・wind・airの、自然界の四大力を表す。
1 palm = 4 fingers、1 foot = 4 palms、1 cubit = 6 palms。
4 cubits = 人間の身長。
足~膝、膝~腰、腰~胸、胸~頭。
足=身長の1/7、顔=身長の1/10、肩~肘=身長の1/8。

などなどなど、今までただ一枚の絵として見ていたものが、実はこれだけの要素を中に抱えていたのです。アニメーションを使ってこの定理を説明したビデオもあり、その奥深さに驚嘆しきり。

彼がこれらのことを発見するに至る材料として、人体の解剖スケッチが30枚以上、壁一面を占領して展示されています。うち、世界で初とされる、胎児を描いた図もあります。
熊やネズミ、カエルなどを解剖しては、人間と比較していたというダ・ヴィンチは、動脈硬化の発見者でもあり、老化のメカニズムの解明も試みていたということです。
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5. The Last Supper

ユダが裏切る前夜の「最後の晩餐」。この1枚について立体的に説明したコーナーが、会場の一角を占めています。

ジーザスが、
「One of you shall betray me」
と発言した、正にその瞬間を捉えたこの一枚。12人の弟子のそれぞれの表情をより克明に描く為に、街に出て様々な人と表情をスケッチしたとのこと。

ジーザスの頭に焦点が結ばれるように工夫された遠近法。またジーザスを中心とする為に、他の人物より一回り大きく描かれていること。
絵画史上、大変重要な意味を持つこの絵は、しかしながら当時の未熟な技術の為、描いたその直後から劣化し始めることになり。その後、修復に20年という歳月がかけられました。
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6. Renaissance Art & Leonard

画家としても著名であったわりに、絵にサインを残さず、また未完成品の割合があまりに多かった彼の絵画は、ほとんどのものが失われ、現存しているのは25点のみ。しかもそのうちの数点は複製画という悲しい事実があります。
しかし同時に、たったそれだけの絵画の全てが、何百年も人々に愛され続けるものであったというところに、改めて彼の才に感服せずにはいられません。

このコーナーでは、「モナ・リザ」、「岩窟の聖母」、「リッタの聖母」、「自画像」など、彼の残した作品の実物大の複製が飾られています。
実際の絵画は天文学的な価値である為、保管されている場所から動かすことはできないこと、また動かすと劣化の危険があることの説明が添えられていました。

その他、ミケランジェロと競ったものの、実完成に終わった「The Battle of Anghiari」のフラスコ画についてや、破壊されていしまった騎馬像のアニメーションなどの説明コーナーも。

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展示の頭上や壁の片隅に、ちりばめられたダ・ヴィンチの言葉。
上述の通り、難解な文字で書かれた言葉を翻訳しているので、些か文法的に怪しいところも。
「Art is never finished, only abandoned」
「The human foot is a masterpiece of engineering and a work of art」
「There shall be wings! If the accomplishment be not for me, 'tis for some othe(r)」
「When once you have tasted flight, you will always walk the Earth with your eys turned skywards. For there you have been, and you will always long to return」
「I have been impressed with the urgency of doing; Knowing is not enough; we must apply. Being willing is not enough; we must do」

たった一人の人間が、決して長くはない生涯において、これだけの業績を残すことは、これから未来においてもありえないことと思います。
しかし同様に、ほとんどのものが未完であったところに、これだけの多方面に手を伸ばすことができた理由の一端を見る思いもあり。

ただ一つのことで良い、それを最後の完成まで導く努力と根気。それはダ・ヴィンチにおいて欠けていた特質であったのか、それとも余計なものであったのか。
その結論は、各自それぞれの胸の中で、つぶやけばいいことなのかもしれません。

不滅の存在に近づくものは_b0059565_12394871.jpg

Da Vinci an Exhibition of Genius
August 4 - December 31
Metreon, 101 4th Street
San Francisco, CA 94103
by senrufan | 2007-09-22 12:26


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