運命と呼ぶにはあまりにも

Epiphany(Christian)


NHKニュースで驚いた、パート2。
あんな敬語でインタビューしてもいいのか、今の日本のアナウンサー。(愕然)

* * * * *

【イベント】
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サンフランシスコのミュージアム、METREON。ここで開催されているTitanicの展示を、家族で見に行って来ました。情報提供は愛しのPんなさんから(愛)
通常チケットと、オーディオツアー付チケットの2種類があり、我々は通常で、お嬢のみオーディオ。通訳して教えろ、との親からのプレッシャーに耐えてました。



展示場内に入る前に渡されたのは、タイタニック号の乗船券の複製。裏には一人一人違った乗客の名とデータが記されています。
我が家は3人共、三等船客。私のはMiss Hanora "Nora" Hegartyという名の18歳のアイルランドの女性で、彼女はマサシューセッツ州チャールズタウンへ、尼僧院に入る為にイギリスを発ったのです。
彼女の名を借りて、タイタニックでの数日間を、数時間で体験する為に入りました。


展示は年代順にしつらえられてあり、最初はタイタニックの建造から始まっています。
White Star Line社により、1909年に着手されたタイタニック建造。1日9時間・週6日という多数の工夫達の懸命な努力。
完成した船は、全長8,826フィート・幅92.6フィートという雄大な姿から、当時のマスコミは”Practically Unsinkable”と賞賛します。
Launch Dayは1911年5月31日。R.M.S. Titanic号は、当時間違いなく世界最大の客船でした。

船長に選ばれたのは、Edward John Simith。陶工の息子から英国海軍中佐にまで昇進した彼は、1911年に引退する予定でした。が、このタイタニックの処女航海を会社に請われ、その後で隠居することを妻と娘に約束し、旅立ちの日を迎えます。


1912年4月10日、英国のSouthhampton港を出発。途中Queenstownなど幾つかの港を経由し、最終目的地は米国のNew York。
船舶の公式名称につくR.M.Sの三文字は、Royal Mail Streamer、つまり郵便物の輸送目的も兼ねた船舶であることを示しています。
一等船客329人、二等285人、三等710人。乗組員899人。総勢2,223人。救命ボート16隻。
一等の料金は、当時の労働者の平均年収の10倍と言われる$4,500(現在の$78,950相当)。三等は$35(同$620相当)。
一等客はビジネスや家族の元への帰還など、三等はより良い人生を求めての北米行---金銭的な困窮からの脱出や、宗教や政治的な自由への憧れなど、様々な願いと望みを乗せた処女航海の始まりでした。

展示は非常に細かく、引き上げられた様々な遺品や写真を数多く配置し、船客の旅支度からダイニングルームの複製、当時のメニュー、部屋の模型など、多岐に渡った内容になっています。
合間合間に船客や乗組員の言葉やエピソードを挟み、最後の悲劇に向かって展示は進んでいきます。

これらの復元品の中で圧巻は、一等船客のエリアにあった大階段。マホガニーと金箔、ステンドグラスでデザインされた階段は、映画「タイタニック」の豪勢な食事シーンを目の前に再現してくれたかのようです。
やはり一等客室の復元品の中で、ベッドの上に置かれていたドレス。あんな服でここを笑いさざめきながら降りてくる人が沢山いたのでしょう。
階級差を堂々と打ち出したタイタニック号は、ある一つの時代の象徴であったのかもしれません。


それからわずか4日後、4月14日の深夜11時40分。警告を6回にわたって受信していたにも関わらず、回避の手立てを打たなかったタイタニックは、北大西洋のニューファンドランド沖にて、高さ20mの氷山に衝突しました。
この時の模様と、いかにして沈没していったかという見本映像が展示された部屋には、氷山に似せた本物の氷の塊が置いてあり、触れることができるようになっています。
このような巨大な氷が存在できる地、つまり華氏28度という寒さの中、海中に投げ出された人々の苦痛はいかばかりであったかということを、指先に感じる冷たさで推し量り。かろうじて救命ボートに乗り込めた乗客さえ、多くの人が低体温症でその場で命を落とすことになったという事実を知るのです。

この時の様子を描いた様々なパネルの中で、胸が締め付けられるのが、艦内オーケストラのメンバーについての記述です。
乗客が少しでも心穏やかでいられるよう、最後まで演奏し続けた彼らに、救命ボートの声がかかることはありませんでした。この時の演奏曲目であった”Never My God to Thee”。指揮者が自分の葬式に流してほしいと願っていた曲であったそうです。
「Every man for himself」
スミス船長は、この言葉を残して船と運命を共にしました。
乗客2,228人、犠牲者1,513人、生存者705人。1912年4月15日、豪華客船タイタニック号の最後でした。

展示室には各等ごとに生存者と犠牲者に分け、乗客全員の名がのせられています。私が今日わずかな時間を共に歩いたNora Hegatyの名も、三等の犠牲者の中にひっそりとありました。
リストだけでは知ることのできない、一人一人の人生。その一部がパネルとなって、掛けられた壁から静かに語りかけます。
Ida Straus
アメリカの実業家、Isidor Strausの妻。Isidorは米百貨店のMacy'sを世界的な百貨店に成長させ、一時下院議員も勤める。
沈没するタイタニックから、皆は救命ボートに妻だけをのせようとしたが、彼女は拒否した。
「I will not be separated from my husband. As we have lived, so we will die together」
この最悪の海難事故をうけ、航海の安全性について国際的に議論が持ち上がり、結果欧米13ヶ国によるThe International Convention for the Safety of Life at Seaが採択されることになります。


悲劇のクライマックスの後の展示は、海中に沈むタイタニックについての広大なもの。
その中央に位置するのが、海底から引き上げられた船体の一部です。26.6フィート×12.6フィート。触れることはできませんが、非常な厚さの鉄板と多くの釘を目にすることができます。

沈没したタイタニックが発見されたのは、1985年9月1日。北大西洋の海面から2.5マイル、1インチにつき6,000ポンドという水圧がかかる海底です。
そこから引き上げられた鉄板は、注意深く水と炭酸塩等の溶液で洗われ、この場にあります。その他、キッチンにあったと思われる食器類、衣類、皮製品など、いかに海底という場所で保存されていたかという解説と共に並べられています。
何年も沈んでいたことにより物質が変化し、海の中だからこそその形が保たれるものになっていて。海中から引き上げると破壊されるであろう、かつて陸の上にあった物を眺め、当時より遥かに進歩した技術を知ることができる、興味深い場所です。
また、ほんの指先だけですが、船体の破片に触れることができるようになっています。

1912年から1985年以降へと時を進め、出口前には売店。土産物の中には、悲劇を報じた当時の新聞の複製などがあり。映画の中に出てきたローズのサファイアのネックレスや、助けを呼んだホイッスルなども売っていました。


入口兼出口に置かれている、タイタニック号の模型。たった数日の命であった美しい豪華客船は、これからもその悲劇を、名前と共に語り継がれることになるのでしょう。
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* * * * *

<追記>
帰宅してから改めてざっと追ったタイタニックの記事により、乗客の中に唯一の日本人がいたことを知りました。
細野正文氏。元YMOのミュージシャン・細野晴臣氏の祖父にあたられる方だそうです。
生還し、日本に帰国した彼を待っていたのは、臆病者・卑怯者という誹謗の嵐でした。それに反論することなく耐え続け、1939年に亡くなられています。
亡くなられた後で見つかった彼の当時の日記が、1998年に日本でのタイタニック引き揚げ品展の際に公開され、ようやく汚名を晴らすことができました。
彼のとった姿勢に対し、胸に湧き上がるものを言葉にするには、些か余白が足りないようです。

タイタニック号(Wikipedia日本語版)
Mr. Masabumi Hosono: Encyclopedia Titanica
タイタニック生存者の手記公開(Yahooヘッドラインニュース)
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by senrufan | 2007-01-06 11:31 | Trackback | Comments(9)
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Commented by peartree22 at 2007-01-08 22:02
見に行きたかったです。Miyukiさんの微に入る解説で、まるで展示場を一緒に歩いているような錯覚に。当時の乗客のチケットを模したものを手渡されるというのも、感情移入できるような見事な演出ですね。
タイタニックの映画はやはりあの演奏家たちと船長の態度に胸を打たれて涙が止まりませんでした。
本当に運命と言うにはあまりにも・・・ですね。

日本語の乱れ、いや、私も人の日本語を指摘するほどきれいな日本語を話せませんが、アナウンサーの言葉の乱れ、なんとかしてほしいものです。私は特に「すごいきれい」「すごいおいしい」が気になって仕方がありません。先日も旅番組で女性アナウンサー(いや、もう彼女はタレント?)が連発していて耳をふさぎたくなりました。
Commented by kiyo at 2007-01-09 02:00 x
今週末のお出かけ先が決まりました。ありがとうございます。丁度娘の借りている本の中にタイタニックが出てくるんです。行かなくちゃ!
Commented by Miyuki at 2007-01-09 11:04 x
*ちゃんさまvv
本当にこの展示会は良かったです! それでも帰ってからちょっと調べてみると、まだまだ知らない情報や説がいっぱいあって、たった一つの事件でさえ、知りきることはできないんだなあと思いました。
それそれ、”すごい+形容詞”! 口にする人が増えましたねー。”全然+肯定語”も、私はかなり長い間だめだったなあ。しかしタレント系ならまだわかるけど、NHKの看板ニュースで、インタビュー時に尊敬語や謙譲語じゃなくて、丁寧語を始終使うというのにびっくりしゃっくり。単に私が古臭いだけかなあ??
Commented by Miyuki at 2007-01-09 11:05 x
*kiyoちゃん
いやいや、お礼はぱんなさんに! 姫にはまだ難しいだろうけど、大人は楽しめること請け合いです。行くべし、だよー。
Commented by ぱんな at 2007-01-09 15:00 x
やっと展示の全容がわかった。うちのメンバーは口数が少なくてさっぱりわからなかったの(ボキャブラリーの問題だな、これは。笑)。どうもありがとう。いろんなエピソードがあるのねえ、、、。おキヨねえさん、展示は7日までだと思う。チェックしてー。
Commented by ぱんな at 2007-01-09 15:01 x
28日までに伸びたんだって!やったあ♪
Commented by Miyuki at 2007-01-10 11:53 x
*ぱんなしゃん
ほんとにいい情報ありがとう! すっごく楽しかったです。太郎君がリピーターになるの、わかるよ~。28日まで延長になったのもわかるよ~。
口にはしなくても、心では色々感じているのさ彼らは、ねえ♪
Commented by kiyo at 2007-01-10 13:19 x
Miyukiさん、ぱんなさん、いろんな情報ありがとうございます。28日までということで、ぜったい行ってきまーーす。
Commented by senrufan at 2007-01-10 13:26
*kiyoちゃん
日記を楽しみにしてるよー!(半分脅迫)


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