全ての線は一点に向かって

今週お嬢は、スイミング友達とWindsurfing Campにチャレンジ。
キャンプの後、私が2人を連れ帰って我が家で遊び、そのまま一緒にスイミングに行くというスケジュールの1週間。謀らずも、暑い暑いここ最近にぴったりのキャンプになったな。

朝からスイミングが終わるまで、ずーーっと水着の2人です。
せめて外で遊ぶ時ぐらいは服を着てくれ。一応年頃なんだから。

* * * * *

【読書】
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「自分を理解することにかけてはアメリカ人の右に出る者はいないが、他人を理解することにかけてはアメリカ人ほど下手な国民はいない」
メキシコの作家・カルロス・フェンテスが、どこかで引用した言葉だそうですが。
自分の映画を米国で上映するに当たって、こんな人達がひしめくアメリカに来て、契約やプロモーションの為に全米を行脚した映画監督の体験談が、2冊の本になっています。

ということで、周防正行著「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」「アメリカ人が作った『Shall we ダンス?』」の2冊を読む。
「Shall we ダンス?」は1996年1月に日本で公開され、日本アカデミー賞13部門受賞という快挙を成し遂げた映画である。かくいう私もこちらに来る前に映画館で観て、大笑いして泣かされて、いまだに大好きな一本だ。
アメリカの映画製作配給会社ミラマックスの担当者が、この映画をアメリカで上映したいと依頼してきたところから始まって、上映が決まって契約でゴタゴタして、更には全米18箇所をキャンペーンで回ることになった周防監督。その一連の数ヶ月間の出来事を細部に渡るまで書いた体験記が前書で、米国リメイク版の製作から上映後の批評までを記したのが後書。
しかしこれらは同時に一日本人の異文化体験談であり、周防氏の日米文化比較論でもあって、その点でも非常に面白い。

我々がすべからく持つ”○○人”の典型的イメージ。こちらが持つなら当然相手側も持っているのであって、それは映画という文化を介せば、また如実にわかるものであるのだな。
「Shall we~」は全米でも数々の賞を受け、日本映画最大の観客動員数記録を打ち立てた。が、実は完全オリジナル版上映ではなく、アメリカ上映にあたって再編集が行われている。まずその編集の過程で、すでに日米の感じ方の格差が多々浮き彫りになる。日本では画面を見るだけで伝わるものが、アメリカではそうはいかないから。

映画は確かに監督その他という数人の価値観の反映であるが、興行である以上、ターゲットは最大数であるのであって。日本の大多数の人向けに作られたものを、アメリカの大多数の人に受け入れてもらうようにする、その過程の議論では、お互いが持つ両国の大多数の人のイメージの交換が主とならざるをえない。
そして一人で全米を回った周防監督は、一個人であるにも関わらず、その発言は日本全員の考えと判断され。たまたま国外に住む私にとって、なんとも身につまされたり、わかりすぎてジタバタしてしまったり。文章の上手下手の問題から離れて、とにかく感情移入することしきりであった。



「日本人にこんなユーモアがあるなんて」「サラリーマンは仕事が終わればカラオケに行くと思っていた」「やはり日本の主婦は虐げられている」
断片的なニュースの欠片によって作り上げられていく日本人のイメージ。
それに対して周防監督自身も、「アメリカ人にもシャイな人はいる」などとコメントする。かと思うと、「男が人前で泣くなんて、あなたは日本の文化をどう伝えようと思っているんですか」と、怒りを露にする米国在住の老日本婦人も。
個人対個人のインタビューであっても、それが本来の個人レベルにまで深まるには時間が絶対的に必要で。あくまで一会だけの勝負(?)の連続は、どれほど精神的に疲労することか。
本であれ映画であれ、限られた時間内だけで何かを理解してもらおうとすることは大変難しいのだが、それが自分個人ならともかく、国を背負う形になってしまうところに監督の一番の苦労があるわけだ。

こちらでリメイク版が上映されたのは2004年10月。主演がリチャード・ギアとジェニファー・ロベスだが、リメイクでの役作りについてのギアのコメントが興味深い。
「日本文化では、男女が人前で抱き合ったりするのはタブーで、そこがオリジナル映画のポイント。そこで僕は、アメリカ文化のタブーとは何かと考えた。それは”自分は不幸だ”と表明すること。この豊かな社会で、自分が不幸だなんて言うことは許されないんだよ
それが彼の役作りのポイントとなったわけだが、これはなかなかに意味がある言葉であると思う。
弱さを見せることは良しとされない。苦悩するヒーローに人気が集まるたび、だったら自分達も見せればいいのにと思うが、タブーの壁はどこの国でも常に厚い。
同じくギアの分析では、この映画は男性の復権映画であるという。アメリカでは女性は結婚しても、それ以外の人生を持てるが、男性は完璧な家族を持っているのに、心の奥に満たされない思いがあり、それがアメリカの精神的病いとなっている。女性は常に強くて男性をリードしようとするが、ダンスを通して、男性がリードして女性がフォローする関係もあることを知ってほしいと。
そう言えば運転してて出会う乱暴ドライバーは、私の場合はなぜか白人女性が多いしな。(関係ねーです)(ただの愚痴)

「Shall we~」を観たアメリカの観客の感想の中で、一番印象に残ったもの。
「暴力もセックスもない、素敵な映画をありがとう」
男女の関係の行き詰まり、弱音を抱え込まなくてはならない苦しさ、CGIを多用して仕掛けにばかり凝った映画の乱発。”古き良きハリウッド”時代の映画を、またある時代のアメリカを愛する人々にとって、この映画を観て感じられるものは沢山あるに違いない。

いろんな人との出会いを通じて、監督が辿り着いた結論は。
「今、自分が一番撮りたいと思うもの、そういうものを撮り続ければ、いつかそれが知らない間に世界に認められることになる」
壁は厚くとも、通じるものは確かにあるはず。短期間と言えど、滞在数年分に当たるほどの濃さで欧米に接した監督の実感として、しみじみと噛み締めたい。
この映画以来11年という長い期間を経て、来年は監督の新作が公開される。
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by senrufan | 2006-07-24 14:46 | Trackback | Comments(0)
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