形ある成果を

【学校】
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ミドルの6年生となり、体験学習を中心とした特別クラスに入ったお嬢。それギリシャのプロジェクトだ、やれ町のビデオ撮りだなどと、グループワークで右往左往した10ヶ月。
締めくくりは学級新聞プロジェクト。
クラス全員がそれぞれ興味を持った出来事についての記事を書き、4つに分けたセクションのまとめ役であるエディターに提出。エディター会議で良い記事として通れば、コピーエディターが校正・修正して載せるという手順。

お嬢はこの中でコピーエディターを担当。記事の文法チェックと修正が主な仕事だと思っていたら、新聞のレイアウトなどのPC業務も多いし、原価計算や、他のクラスに購入してもらう為の依頼状作成と配布などもあったらしく、かなり時間はとられた模様。
記事はほとんどメールで受け取り、夜遅くまでかかってチェックして、修正版をプリントアウトして翌日持って行く、なんてことをやっていた。

ミドルに入る前に、これからは宿題でネットは必須だし、宿題をオンラインで提出することも多いので、お嬢用のラップトップを買った。根っからのアナログ人間のお嬢はかなり抵抗したが、一旦学校が始まったら、文句はぴたりと止んだ。だって日々本当に必要なんだもんさ。
4年生で学校でPCを使うようになった時、立ち上げ方もわからなくてクラスメイトに馬鹿にされていたけれど、今ではタイピングも早くなり、WORDやEXCELも使えるようになりました。
ただ時々部屋から、「あーっ、もーこのバカPC!」などという罵り声も聞こえるが。ついでに妙なゲーム音楽も聞こえるが。おバカなのは君の方だろう。

彼女なりに新しいスキルを開拓した1年でありました。
そして明日から夏休み。(すでにげっそり)



* * * * *

【時事】
'40年代に日系人収容所に送られ、抑留された日系二世のうち、Karl Kinaga氏を始めとする7人に、San Jose High Academyより高校の卒業証書が授与された。

Kinaga氏はSan Jose State UniversityとUC Berkeleyで化学の学位を取り、Santa Clara Universityで法律の学位を取得済みだが、高校卒業の2ヶ月前に始まった抑留生活の為、高校の卒業証書だけは得られないまま、79歳で2年前にこの世を去っている。
この永い年月の果ての証書という仕事を成し遂げたのは、the California Nisei High School Diploma Projectの働きである。戦時中、米国内に設けられた10の日系人収容所のメンバーを追跡調査し、卒業資格を与えるというこの企画により、何百人ものアメリカ人が証書や学位の取得を認められた。

すでに亡くなられたKinaga氏の代わりに証書を受け取ったのは、未亡人であるRoseさん。
「彼は特に気に病んでいたわけではなく、数ある出来事の一つとして捉えていました。しかし勿論、良しとしていたわけではありません。彼はアメリカ国民であり、この国で生まれ育った人間なのですから」
きっと彼はとても誇りに思っていることでしょう、と語られた。

正しいことをするのに、遅すぎるということは決してない。学ぶという行為に終わりはない。
赤い帽子をかぶって証書を受け取り、家族と共に誇らしげにカメラに微笑む二世の姿に、改めて教えられるものは多い。
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by senrufan | 2006-06-15 11:58 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ぱんな at 2006-06-19 13:57 x
おお、写真だけは見たんだー、その記事。どうして日系人の先生がこんなに多いんだろう?なんて思っていたのでした。こういう記事だったのね!感動、、、。
Commented by Miyuki at 2006-06-20 10:40 x
*ぱんなしゃん
うん、感動するよねえ。中国・韓国に言いたいことは色々あれど、こういう形の”戦後処理”を見ていると、日本は…と思ってしまうのよね……


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