強制と自主の狭間に立って

近くの高校の日本語クラスのボランティアを心ならずも引き受けて、早10ヶ月。
今日は最高学年の子供達の、ファイナルに当たる発表会があった。何でもいいから日本の物を一つ取り上げて、英語・日本語両方でのプレゼンテーションを行うことが課題。
定番の寿司から始まり、楽器や動物などについてきれいにまとめてあり、そのそつの無さはプレゼン慣れした米学生ならでは。

最高学年の子は6人で、うち3人が片親もしくは両親が日本人で、日本語の基礎日常会話はこなせる。しかし日本語学校には短期間しか通ってなかったので、読み書きに問題がある。
そういう前情報で始めたボランティアだったが、時間がたつにつれ、具体的な彼らの日本語の欠点が見えてきた。それは例えば非常に日常に密着していると思っていた語彙が、意外と欠けていることが筆頭だ。
17~8歳の彼らは、すでに家族との接触も薄くなっているであろうし、学校は現地校のみとなれば、日本の学校用語など知るはずもない。「卒業おめでとう」と言っても、「ソツギョウってなに?」と聞き返す子もいるように。
話し言葉の発音こそ良くとも、文を書かせると、ネイティブじゃない子の方が正しかったりする。日本語を基礎から学んだ子の方が、定型に忠実だ。

バイリンガル教育ということを、改めて考えさせられた10ヶ月でもあった。

* * * * *

【読書】
b0059565_14471178.jpgそんな彼らと付き合っている時につらつらと読んでいたのが、中島和子著「言葉と教育」である。トロント大教授であり、カナダ日本語教育振興会名誉会長という立場から、海外で子育てをする日本人保護者に向けての貴重なアドバイスを発信してくれている一冊だ。

自分や周りの経験を振り返っても、母国語維持はつくづく両親の努力が物を言う。
移民の母語は三代で消えると言われ、二世で30%、三世になると70%消失という調査結果がある。異国での自国の言語・文化の保持は、それほどに難しい。言葉は勿論、伝統から行動規範、価値観に至るまでの継続は困難だ。
かと言って親が在住する異国文化に抵抗を示すと、それは敏感に子供に伝わり、差別意識の基ともなりかねない。特にそれが年少時であれば、その差別意識は一生逃れられないものになる可能性も大きいのだ。
この本では母国語維持の為に家庭でどのようにサポートするか、具体的に丁寧に説明してくれている。もうすでに育ってしまった子供を持つ私にも興味深い内容だ。



一口に日米バイリンガルといっても、それは4つのタイプに分類される。両言語とも両国の同年齢の子と同レベルのタイプ・英語が強いタイプ・日本語が強いタイプ・両言語とも同年齢の子より弱いタイプの4つだ。
日米両言語がeducatedレベルに達する子は決して多くはない。個人的には、一言語がeducatedレベルまでいけば、その子自身の能力には問題はないと思う。
大事なことは、強い方の言語がその子の選択するアイデンティティの基礎になりうるということであり、それが日本語でなかった場合、親とその子がどう考えるかであろう。
この本では、両言語が高度に発達した子ほど、「国際人」と言えるような帰属意識を持っているとあったが、その「国際人」なるものが果たしてアイデンティティ不在に悩むことがないのか、例がなくて不明だ。私個人としては、どこかの国への帰属意識と、その国の文化に対する教養も身につけていることが望ましいと思うので、一言語が弱くとも、強い言語の方でネイティブ並みの語学力と教養がであれば良いと考える。それはある意味、逃げの姿勢でもあるかもしれないが。

「何語で話すかより、何語で読むかが決定的だ」という意見がある。
補修校でボランティアのお母さん方が集まり、読み聞かせの時間を設けてくれているが、これは特に低学年の子を持つ親にとっては感謝すべきことだ。私が娘にやった日本語教育と言えるものは、唯一毎晩の読み聞かせだけだったが、それでも彼女の中に根付いているものが垣間見える。

ヨーロッパで三代以上に渡って母国の維持ができたのは、ユダヤ人とジプシーだけと言われるそうだ。特にユダヤ人が子供に施す教育は、実に興味が尽きない。
アメリカに移住してくるアジア人の中で、ベトナム人や中国人の教育熱心さを取材した記事を読んだことがある。異国に骨を埋める覚悟の一世のハングリー精神を子供の教育に向けることは、方向として間違ってはいないと思う。
そこで浮上してくる自国文化の維持という問題は、各家庭で判断して実行すべきことだろう。

ふと思うのは、3人の高校生に加えて、こちら育ちの日本人の子に時々見られる共通のこと。それはTime Expressionの弱さである。
今日・昨日までは言えても、明後日からは怪しくなる。去年・来年という言葉が出ずに、「Last summerは日本に行った」と英語を混ぜる。曜日が日本語では咄嗟に反応できない、等々。
数ヶ国語を話す友人が、数字はフランス語で、色は英語で、といった具合に、自分の脳の中では考える時に言語が違うと言っていた。そんな脳の持ち主が、世界中に沢山いるんだろう。
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by senrufan | 2006-06-09 14:33 | Trackback | Comments(2)
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Commented by kiyo at 2006-06-11 15:03 x
今日もためになるお話、ありがとうございます。うーん、ちょっと考えちゃいました。「Last summerは日本に行った」よくこういう言い方しますよね。その場で指摘するほうがいいのかしら?またゆっくりまじめな話も、そうでない話も沢山しましょう。
Commented by Miyuki at 2006-06-12 10:20 x
*kiyoちゃん
えーとためになる話はこの日記にはあった試しはございませんが、そういえばkiyoちゃん宅こそこの本が役に立つかも、と今頃思い当たりました。良かったら読んでみる? ちなみにそういう場合の対処は、「Last summerね」「うん、去年の夏ね、それで?」といったように、正しい日本語をさりげなく添えてあげるのが良し、となってます。続きは次回デートの時にね。


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