姿形は変われども

旦那との会話にお嬢が口を挟んできたので、諌めたら。
「だめなの? なんで? 存在自体が罪ですか?
と言われた。

どこで覚えてきたんだ、どこで。(詰め寄る)

* * * * *

【読書】
b0059565_14212895.jpgアーシュラ・K・ル=グィン著「ゲド戦記」2~4巻を読む。
1巻を読んだのはいつだったかなーと日記をめくってみると、なんと1年半も経っていた。しかし物語の中では、更に長い時間が流れてた。

1巻ではまだ少年で、魔法の学院の生徒だったゲドは、2巻で青年期、3巻で壮年期を迎える。そして4巻では初老と呼ばれる年齢になっており、ゲドが主人公である時代の最終巻となっている。
1巻でそのすさまじいばかりの能力が故に受けた報復は、ゲドの身にも心にも深い傷を残す。その傷があることが前提となって、2巻以降のゲドの成長ぶりはめざましい。
並外れた力を持つことは、それに見合うだけの代価を要求される。常に自分を律することを命じ、一から全を見ようと試みるゲドの努力と葛藤は、ル=グィンの力強くも緻密な文章で、妥協を許さないところまで描かれている。

1・2巻は異世界ファンタジーの色合いが濃かったものの、3巻からは現代に重ね合わせられる部分が増えてくる。
アースシーの世界で魔法が消えつつあり、世界は均衡を失いつつある。この現象は何を意味するか。
死を恐れない人は少ない。死を恐れるあまりに生にしがみつき、極まると不死を願うようになるのは、潔さの対極であっても、消えることのない成り行きのようだ。
世界のバランスが狂わされたのは、そんな願望を強く持ちすぎた一人の魔法使いが原因であることは間違いない。しかしその流れが拡大したのは、それが人の心に確かに存在する願いだったからに他ならない。

自分の真の姿を知り、それに直面できるだけの勇気を持つ人間が、果たしてどれほど存在するか。この物語の鍵の一つが”真の名前”だが、それはその名を知り、そのものを支配するという俗な次元の話にとどまらない。
真の姿を見抜き、それを理解して共感するところに、事物の真の名を知る意味がある。その生だけでなく、死の運命すら受け入れる器が必要だ。
現実に確固として向き合う勇気。運命を受け入れて進むだけの覇気。アースシーという世界を借りながらル=グィンが訴える言葉は、時を超えて不変の理だ。

4巻は魔法の力を失ったゲドと、2巻での主人公であったテナーの物語になっており、ファンタジーとは言いがたい趣だ。ゲドの活躍の続きを読みたい人は、些か裏切られた思いを味わうかもしれない。
しかしこの、ある意味俗な内容の巻がまた面白い。空を飛び、海を駆けてきたゲドが、最後の最後に辿り着いた場所は、やはり大地であったというような。
空も海も陸も、どれ一つ欠けても世界は成り立たない。そして人間が生き、現実を繰り広げる場所は、この陸地の上にこそあるものだ。
ゲドが一つの時代の幕を引いて引き継ごうとする、その次世代が生まれる場所。生も死も、表も裏も、現も夢も、大地を自らの足で踏みしめてこそ、両手で釣り合いをとることができるのだ。



* * * * *

描写が難解な分、児童向けとしてはどうかと最初は思ったが、これをもし子供が理解できれば素晴らしいんだろうなあ。
スタジオジブリの次作が、このゲド戦記をベースにしたものになるとのことだが、以前にハウルの原作を読んでから映画を観てがっかりしたので、今から自分に言い聞かせる。あれは別物、あれは別物。

ル=グィン、ブラッドベリ、ブラウン、マキリップ、マキャフリィなどなど、学生時代にはまったSF・ファンタジー作家は色々。最近刊行されている、ブラウンやブラッドベリの復刻版の話を聞くたび、読み返したくてたまらない。


んだけど、日本に全部置いてきちゃったよ……(さめざめ)
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by senrufan | 2006-05-10 14:23 | Trackback | Comments(0)
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