しなやかな強さ

悪いことをしたとわかっていても、親には素直に謝れないお嬢に、長女らしい不器用さを見る。

「僕はちゃんと謝る子だったよ」と、すかさず言う旦那に、次男坊の典型を見る。

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【読書】
b0059565_1645138.jpg安野光雅著「絵のある人生」を読む。

小さい頃、「ふしぎなえ」という絵本が我が家にあった。兄も私も飽きずに眺めた大好きな一冊で、お互い長じてからも自分用にと買い求めた本だった。
お話どころか一言の言葉すらない、ただ不思議なだまし絵だけが続く絵本。その絵を描かれたのが安野氏だった。以来、氏の本職(?)の絵は知らないまま、お名前と絵本は特別な存在のまま。「ABCの本」「はじめてであう すうがくの絵本」「ふしぎなさーかす」などなど、娘に薦めて読ませたものは何冊もある。

この本は、そんな氏が絵画というもの全般について語っている。幼い頃から現在に至るまで、氏がどのように絵というものに関わってこられたか。ブリューゲルやゴッホといった巨匠の絵を題材にしたり、絵画の歴史を紐解いたりして、絵を描くということ・絵を鑑賞するということについて、平易で温かい語り口で淡々と述べてある。

絵を見るのは退屈だ。見ても良し悪しがわからないので恥ずかしい。印象派が最高だと思う。等々、人により絵との関わり方は様々であろうし、他人の目を気にしてはばかるようなものでもないので、堂々と好きなように交われば良いはずだ。なのに世間がつける相場的価値や、何人もの批評家が放つ批判などによって気後れを感じさせてしまうのも、芸術というものが持つ一側面であろうかと思う。
そんな素人に対して、安野さんは「自分の心が動かされるかどうかがその絵の価値」「作者が言いたかったことなどを勝手に断定してはいけない」という言葉をくれる。
絵を描きたい、でも自分には無理かも、と思う人には、道具の選び方から心構えまで、事細かく丁寧な説明をくれる。

バブルの時期に絵画投機が話題になったりしたけれど、そういう投資目的でない場合の絵を買う目安は、その絵にその値段を払うだけ、自分がその絵を好きかどうかにかかっている。それを安野さんは「惚れたから買う。つまり結婚と同じこと」とおっしゃる。
人生のそれぞれの時期に好きな絵があるということ。絵の描き方も人生と共に変わっていくこと。変化を否定せず、間違いも失敗も許容して進んでいくからこそ完成する。絵と出会うこと・絵を描くことは、安野さんにとって正に人生そのものなのだと感じずにいられない。
押し付けもお説教もない、穏やかな絵画論であるこの本。絵画の入門書としてとても良い本であると同時に、氏の歩んでこられた人生をも垣間見ることができる。

あの「ふしぎなえ」から醸し出される控えめな温もりは、安野さんが言葉という形をとられてもこちらに伝わってくるのだと知りました。



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【家庭内事情】
今の若いモンは、というのは年寄り側の常套句。
だが実際、今の子が我慢がきかないというのは、客観的に証明されているそうだ。
調査によると、今の小学校6年生が、30年前の小学校2年生と同程度の辛抱しかできないという。

ということは。
小学校2年生だった私と(ちとサバよんでます)今のお嬢は、同じぐらいの我慢強さということだな。と、子供時代を思いおこす。


それって、全っっっっっ然忍耐力がないということではないか。(愕然)(比較対象がまずかった)
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by senrufan | 2006-03-13 16:03 | Trackback | Comments(0)
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