重なり合って生まれる形

【個人的事情】
毎土曜に、一緒に日本語レッスンをしている彼。友人の紹介で始まり、1年半以上続けてきた。今ではお互いを誰かに紹介する時、先生と生徒ではなく、まずは友人という言葉を使う。

先月末、そんな彼に胃ガンが見つかった。
沢山の検査の末、今週の月曜に手術を受け、胃を部分切除した。
長時間に渡った手術で、終了後は集中治療室にてチューブに繋がれた日だったが、翌火曜にははずされ、少しずつ歩き始めているという。

手術直前に、彼は身近な人間に一斉メールを出してくれた。
月曜に手術を受けること、連絡をとりたい場合に備えてお母様の連絡先、そして感謝の言葉。
手術当日から3日連続、今度はお母様がその一斉メールを引き継ぎ、彼の様子を知らせて下さった。やきもきするばかりで切なかった数日、本当にありがたいとしか言いようがなかった。

私はチャンポン言葉にあまり賛成しない。日本語なら日本語、英語なら英語で、例え拙くとも一貫するのがベストだと考える。
しかし日本語より、英語の一単語で言ってしまう方がしっくりくる場合もあり。
中でもshareという言葉は、今では日本語で表す時、一瞬躊躇してしまうほど馴染んでしまった。

彼との手術前のレッスンの時、お互いの家族の反応についてしばらく話した。
母がガンになった時、私が卵巣摘出手術を受けた時、お互い自分から進んで病気について語り合おうとしたり、もしくは相手に話してほしいと迫ったりはあまりなかったと思う。
彼の場合は、病気のことを家族に打ち明けた途端、親戚まで含めて毎晩電話のラッシュだったそうで、いささか疲れ気味になっていた。
しかしそれが彼側のやり方であって、状況を詳細に知りたい、力づけたい、何より彼の悩みを分かちあって軽くさせたいという気持ちの表れだ。
与えあうこと、分けあうこと、共有すること。彼の話の中に、shareという言葉が何度も登場した。

彼からの一斉メール、お母様からの報告メール。彼という人間の置かれている状況をその周囲にshareすることで、共に輪を固め、同じ方向を見ることができる。
それが中心にいる彼の負担を軽くする。そして周囲は無力さを噛み締めずにすむ。


今日お嬢と一緒に、お見舞いのカードを買ってきた。
何を書けば彼を笑わせることができるだろうかと、カードを眺めながら思案中である。



* * * * *

身近な人が病気になるより、自分がなった方が楽と思う時がある。
それで周りに迷惑をかけることになるのはつらいが、少なくとも自分の気持ちの処理ができるのが楽だと思う。
自分は相当なエゴイストだと、その度に自覚する。

何かが起こった時、人のせいにするのは些か苦手だ。人のせいにすると、そこから進みようがない。
人には人の考えとやり方があり、それを変えようとすることを良しとはしない。変えられるという自信など微塵もない。
変えられないものを当てにしたところで、自分の中に澱がたまるだけで、そこから前に踏み出すことができない。

だから、まずは自分の行動を振り返る。どうすればそうならなかったかを考える。今後どうしたらいいかに考えを巡らす。
対象が自分である以上、自分の意志で変えられる。変わらず成長がなかった場合、それも自分の未熟さ故と言い切れる。
自分自身のことに関して、私はあくまで自分の内部に焦点を当てる。力不足に悩みはすれど、それを辛いと思ったことはない。むしろ、納得することなくそこに留まることの方が余程辛い。

しかしそれが友人や家族であった場合。大切な人であればあるほど辛さがつのる。有効な手段をとれない自分に歯噛みする。励ます言葉を持たない自分が情けなくて涙する。
自分自身の努力で変えられないものに直面することがずっしりと重い。人間として、私はあまりに未成熟にすぎる。

それでもせめて何かできることを探す為に、せめてその人が何かを吐き出す為に、そこに居られたらと思う。その思いをshareしてくれたら幸せに感じ、何かできることはないかと自分と相談する。

自分が居る輪を思う時、その中心は私にない。自分がその輪から去るのは問題ないけれど、自分以外の人に何かが起こるのは切なくて悲しい。
その人達が元気でそこに変わりなく存在してくれることが、私の元気の糧になる。自分自身のことに向き合える気力がわく。
養老先生の言葉にもあったように、自分の死より、他人の死を受けとめることの方が、私にははるかに大きな問題だ。

母が脳腫瘍を疑われた時、自分の葬式と墓の目途をつけてから、私に電話で知らせてきた。
何てことをと思ったが、同時にもしそれが自分であった場合、全く同じ行動をとるだろうことは容易に想像できた。

人には、言葉にして、行動にして、私に何かをshareしてほしいと願う。
しかし自分のことを形にして人に差し出すというアィディアは、強制でも理性でもなく、なぜか私の中には希薄である。
ただその人がその場所で、その人らしく居てくれることが、私へのこの上ないshareになる。
[PR]
by senrufan | 2005-11-25 12:23 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://senrufan.exblog.jp/tb/3833907
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< それもまたある視点 Happy Thanksgiving >>