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貴方の言葉は何倍も

「目的地に達しうるかどうかは頭のよしあしなどにはかかわらない。
信じて持続できるものを見つけたか否かのみにかかわる」
   ----- 堀田善衛
       (日本人、作家、1918年7月17生まれ)


先日見かけた車のナンバープレートのフレーム。

「My other car is a Bloom」

ハリー・ポッターの久々の新刊は、7月31日発売予定です。
……早く翻訳版が出ないかな。(死ぬまで負け犬)

* * * * *

【読書】

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しばらく前になりますが、週間少年ジャンプで連載されていた「暗殺教室」が終了しましたね。
コミックスの最終巻が4日に発売になったので、ちょうど日本に行っていた友人が、わざわざ買ってきてくれたのですよ。(大感涙)
しかも、今まで借してもらったから、と御代はナシで……
もーー、嬉しくてありがたくて、感動のハグ&キス三昧でしたよ。脳内だけだけど。

昔は10巻越えれば大長編だったのに、いまや30巻でもさほど珍しくなくなった昨今、この作品は、アニメ化も映画化もされたほどの人気でありながら、むしろその全てと歩調を合わせる形で、21巻にて堂々の最終回を迎えました。
その潔さ、畳み方の見事さ。伏線も見事に回収し、素晴らしい終わり方を見せてくれたという点でも、大いに褒め称えられるべきマンガじゃないかな、と思います。
つか、世の編集さん達は見習えよ。(暴言)

読みながら、大笑いしながら、いろんなことを考えさせられたマンガでしたが、最後の20巻・21巻で、それがきちんと言葉にされていて、改めて感心・感動。
なので、記念にちょっとぐだぐだ書いてみたいと思います。
ということで、興味のない方は勿論のこと、ネタバレ厳禁という方は絶対、ずぇーーったい、これ以上は進まないでくださいますように
そうでなくても、駄文しかありませんのでなー。




さて、一応ごくごく簡単に、設定について説明いたしますと。
進学校である椚ケ丘中学校の中、落ちこぼれ生徒だけを集めた3年E組に、ある日突然、謎の生物=タコ状がやってきます。
何本もの触手を持ち、最高マッハ20で動け、あらゆる攻撃をはねのけるという超生物の彼は、生徒達が卒業を迎える来年3月に地球を破壊する、と宣言しますが、なぜか同時に、この3年E組の担任ならやってもいい、と言うので、生徒達は1年間、彼から学びつつ、隙あらば彼を殺そうとする日々を送ることになります。

なかなか殺せない先生なので、つけられた名前は「殺(ころ)せんせー」
彼が行う前代未聞の教育で、落ちこぼれだった生徒達は、頼もしく成長していくことになる、という、SFかギャクか、いやいや、実は立派な学園モノなのですな。

生徒は28人。
仕留めれば莫大な賞金を受け取れることもあって、生徒は暗殺技術の教育も受けますし、殺せんせーとの触れ合いには、ナイフや銃が欠かせません。
同時に学生、しかも受験生ですから、普通の学科授業も受けるのですが、殺せんせーの工夫する授業内容が、超生物ならではの特殊技能を生かし過ぎてて、多彩なんてものじゃないんですよ。(爆笑モン)

連載では、その一人ひとりが主役の回があって、その子の抱える悩みや背景、夢に対して、殺せんせーが的確(…)な指導を行います。
更には、E組を見下す他のクラスの生徒や先生達との争いも色々あるのですが、それまでは悔しくても黙って我慢しているしかなかった彼らに、殺せんせーは様々な秘策を授けたり、または生徒自身がそれを考案したり。
ダメダメだったチームが、苦心の末に勝利を収めていくその過程が、面白くないはずがありません。
映画の「がんばれ!ベアーズ」「クール・ランニング」を思い出しましたですよ。(古っ!)

しかし、どれだけ殺せんせーと生徒達の絆が強くとも、国から見れば超危険極まりない生物。
世界各国が威信を賭けて殺せんせーを抹殺しようとするのを、生徒達が阻止すべく奮闘しますが、
10代前半の中学3年生の28人が、どれだけ世間に必死に訴えようとも、聞く耳など一つもありません。

自分達の願いが届かないことに泣く彼らと、殺せんせー自身の過去が絡み合って、最後に迎える大団円の形。
すっかり涙腺が弱くなった年寄りは、大いに泣かされたのでございました。


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ところで、いつの間にやら大学4年生になったお嬢。
彼女は就職しないのですが、周囲のお友達は皆、就活の真っ最中。
自分のことでなくても、悲しいことや腹立たしいことが色々ある時期なのですね。

普段から真面目に勉強していて成績も良い子が、なかなか就職できない傍ら、授業にも出てこないし、人のノートを当てにしているような子が、さっさと大企業から内定をもらってる。
ある意味、一番最初に出会う”社会の高い壁”、みたいな。
なんであんなヤツが受かって、あんな良い子が受からないの、という遣り切れなさは、頭ではわかっていても、なかなか感情では納得できないものでありますよね。

努力だけでは、どうしようもないことがある。
一生懸命やっても、報われないことがある。
育つ過程で少しずつ味わっていくことでありますが、私自身、それを心底実感した最初が、就活の時だったなあ、と思います。
バブル期にあった私でさえ、あの時期のことは思い出したくもないぐらいの経験でしたから、ましてや今の子供達は、どれほど苦労していることか。
想像するだけで胃が痛くなる思いです。


前にお嬢がとあるバイトで、ほかの子は単純作業を割り当てられているのに、彼女は英語ができるからという理由で、社員の仕事であるべき翻訳作業を割り当てられて、しかし時給は他の子と同じ、みたいな体験があった時。
不満を訴えるお嬢に、でも仕事ってそんなもんだよ、と言う私に対して、そういうのがブラックの温床になるんだよ、と言い返されたんですよね。

私自身はどっぷり昭和な人間なので、残業なども当たり前に思ってましたし、仕事があればやるもんでしょ、という考えになってしまいますが。
かなり昭和なところもあるお嬢から見ても、体育会系文化は理不尽な点がいっぱいあるし、能力に応じて割り当てられる仕事なら、その分の対価があって当然、と。
まあ、ぶっちゃけ、典型的な世代間対話をしたりしてるわけですよ。

こういう価値観の差に加えて、右肩上がりに繁栄していく社会にいた私達以上の年齢の方々と、生まれた時から不景気の中にいた若者世代。
私達から若者に向けて、ひたすら努力しろとか辛抱しろとか、上から指示されたことだけやれ、とか。
あの頃であったからこそ通じた価値観を、一方的に強要するのは、絶対にやってはいけないこと、と思います。

努力なんて、いっぱいやってるよ。
それでもどうにもならないなら、一体どうすりゃいいんだよ。

そういう時は、とりあえずハイハイと流しておけ。
陰でちゃんと、憂さ晴らしや毒出ししておいて。
そして、その上でできることを探そうよ。
そんなことにこだわるのは、エネルギーがもったいないじゃんか。

そういうことを、幾通りかの言葉で言ってみるのですが、そう簡単に心に届くわけではないんですよね。
川村カオリさんも、形は違えど、根っこは同じことをおっしゃっていたよなあ、と思い出したりしてました。


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クライマックスで、殺せんせーがE組の全員に向かって言ったアドバイスは。
「君達はこの先の人生で、強大な社会の流れに邪魔をされて、望んだ結果が出せない事が必ずあります。
その時、社会に対して、原因を求めてはいけません。
社会を否定してはいけません。
それは率直に言って、時間の無駄です。

そういう時は、『世の中そんなもんだ』と、悔しい気持ちをなんとかやり過ごしてください。
やり過ごした後で考えるんです。
社会の激流が自分を翻弄するならば……その中で自分はどうやって泳いでいくべきかを。

やりかたは学んだはずです。このE組で。この暗殺教室で。
いつも正面から立ち向かわなくていい。避難しても隠れてもいい。
反則でなければ奇襲もしていい。常識外れの武器を使ってもいい。
殺(や)る気を持って、焦らず腐らず試行錯誤を繰り返せば……いつか必ず素晴らしい結果がついてきます。
君達全員、それが出来る一流の暗殺者なのだから」

言っている内容自体は、それほど差がないのに、彼らの心まできちんと届くのは、ここに至るまでの時間で、文字通り「命の遣り取り」をしてきた時間と絆があるから、に他ならず。
殺せんせー自身が、身を持って、その見本となるべき姿を示してきたことと、実践的・具体的な指導を行ってきたから、なんですね。

本当に辛い時に、必ずそばにいてくれた。
ちゃんと見ていて、気持ちを理解して、どうすれば良いかを教えてくれた。
どんな知識も経験も無駄にならない、ということを教えてくれた。

教育。人を教えて、育てること。
たった二文字の示すものの大きさに、今更ながらため息が出る思いです。


パリでテロが起こった時、イスラム法学者の中田孝氏が、
日本では1年に3万人、1日にすれば100人が自殺しているのに、なぜそんなに騒ぐのか、
とおっしゃったという記事を読んだことがあります。

生きる為の技術、生き抜く為の力。
教育とは、人を育てるとは、学業だけにとどまらず、本来はそういうことをも教えていかなければいけないのだ、という大原則を、はからずもこのマンガで再認識させられた次第です。

あの時のお嬢に、どういうことを言えばベストだったのか。
そんなシーンが、数え切れないほど浮かんできて。
結局、彼女自身が自分で咀嚼して消化して、自分の糧にするのを、ハラハラしながら願っていただけ、なことがあまりに多すぎて。

親が良いと思って子供に与えるものと、子供が本当に必要としているものが、必ずしも一致するわけではない、というのは、自明の理でありますが。
もっともっとできることがあったなあ、と。
そばにいられるうちに、やっておきたかったことがあったなあ、と。
殺せんせーと生徒達を見ながら、後悔と、お嬢への謝罪の気持ちと、そしてこれからの希望が、ミックスされて胸に満ちるのでございます。


主人公が卒業式のシーンで考えたことは、そのまま殺せんせーの言ったことのまとめになっています。
「殺せんせーは、『E組の制度は間違ってるから変えさせよう』とか、そういう事は一度も言わなかった。
『理不尽な事が世の中にあるのは当たり前』
『それを恨んだり諦めているヒマがあったら、楽しんで理不尽と戦おう』
その方法をいくつも教えてくれた」


就活している子、受験する子、何かの困難の中にいる子供達。
皆みんな、笑顔で上手に泳いで、いつか望む場所に辿り着けますよう。

良いマンガでありました。


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by senrufan | 2016-07-17 11:54


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