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求める光の在り場所は (6)

「自分探しの旅に出かけても見つかるわけがない。
自分が変わらなければ、どこに行っても一緒だ」
   ----- 宮藤官九郎
       (日本人、俳優・脚本家、1970年7月19日生まれ)


     EST WST

ネパールで4月25日に大地震が起きてから、早3ヶ月が経とうとしています。
M7.8という規模で、死者8,500人以上、負傷者は15,000人以上という、大きな被害をもたらしました。

起こった数日後、取り急ぎ2団体に寄付したのですが、
そのお金が、果たしてどこまで被災者の直接の役に立つのか、そして何より、
その後の復興について案じる気持ちが、心のどこかにずっとあったのでございます。

そうした時、先日会ったお友達が、良いショップを紹介してくれたのですよ。
ネパールとインドの工房と直接契約し、そこで織られた生地を使い、
バッグやスカーフを製作・販売されているショップです。

EST WST Collective

サイトに説明がありますが、フェアトレードによるハンドメイドの生地、
オーガニックコットン、リサイクル材料使用のエコレザーなど、
地球環境の維持と文化への配慮を大きな目的とした、今はまだ小さなショップ。
ネパールへの支援の為にファンドを立ち上げ、売り上げの一部をそちらに寄付されているのですが、
このたびの地震により、そのファンドから、草の根の復興支援を行っていらっしゃるそうです。

寄付されたお金は、オーナーさん達と繋がりのあるネパールの方々が、
本当に必要と考える物資に変えられて、直接届けてくださっているとのこと。
こういうところを待っていた、という思いと共に、大喜びで寄付させていただきましたです。

RURAL RELIEF FOR NEPAL EARTHQUAKE


勿論、EST WST Collectiveの商品自体にも、興味津々。
タブレットやPCを持ち歩く用にぴったりなバッグが揃っていて、
ちょうどそういうのを探していた私には、そちらの意味でもありがたく。

私の趣味を知ってる友人達には、あー、アンタが好きそうねー、と言われること間違いなしな感じの商品が並んでいて、大変悩ましいのでございますが、
すでにSOLD OUTのバッグもあるので、早いとこ決めなくてはいかんです。(わくわく)

* * * * *

【旅行】

5. 共産主義博物館 (HP

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プラハの博物館といえば、アートならアルフォンス・ミュシャ美術館とか、音楽ならスメタナやドヴォルザークの博物館があるのですが。
そこで、なんで共産主義博物館なの、というのは、お嬢の希望です、と言うしかありません……
前にも書いたように、冷戦時代の東欧にすごく興味があるお嬢にとって、ここはむしろ、はずせない場所でありました。

最初、どこが入り口かわからなくてウロウロしてしまったぐらい、目立たないビルの2階にひっそりとありました。
が、その中は、真っ赤なソ連の旗とレーニン像のお出迎えから始まる、
狭いスペースにぎっしりと、あれこれ詰め込んだ博物館でございましたよ。




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博物館に展示されているのは、第二次大戦後、ソ連の影響下において、
チェコスロバキア(当時)が共産党の一党独裁開始から、
人民民主共和国となり、自由化改革を目指した”プラハの春”を経て、
ソ連の解体、及びビロード革命により、現在のチェコ共和国となるまでの歩みです。

その間、約40年。
私が生きてきた年月より短い間に、これだけの大きな動きがあったわけですね。


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展示内容は、正直いろんな意味で、胸が痛くなるものが多いです。
アメリカへの対抗心むき出しの、アメリカを悪の象徴のように宣伝したポスターや、
スターリン礼賛の建造物や印刷物の記録など、
その内情を、後になってある程度知ったからこそ、その滑稽さや、裏にある途轍もない恐怖などを感じてしまって、博物館にいる間中、私の眉間には皺が寄りっ放しでありました。
え、まだ取れてない? それは加齢です。


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働かざるもの食うべからず、どころか、なプレッシャー。
そして、次世代を担う子供達への、共産党主導による圧迫教育は、はずせません。


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ただ、ソ連崩壊までのスポーツの世界大会や芸術界において、”東欧”諸国の活躍はすごかったんですよね。
私が特に好きだった体操やフィギュアスケートでは、ソ連と東欧の独壇場かという時期もあったぐらいです。
もちろんこれも、内実は圧迫教育であったわけですが、
才能があれば上にいける、という純粋な意味においては、一つの理想形、と言えるのかもしれません。
(以前書いたグダグダは、こちらです)


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いくら宣伝で取り繕うとしても、物資の乏しさ、製造技術レベルの低さは、どうしてもダイレクトに市場に反映されるものであり。
店に行っても物がなく、ブラックマーケットでの取引が増える。
そして商品と引き換えに、医者や修理業者、人気のあるアーティストなどは、プロフェッショナルな労働を対価とする。
八百屋や肉屋が、自分達の必要な物を得る為に、店の商品の野菜や肉を交換してしまうのですから、そらあ、お店に行っても、何も売るものがないですよね。

そして1957年、第二の通貨が誕生します。
それは、何らかの手段で手に入れた外貨を、その何倍もの価値の特別国内通貨に換えるという仕組みです。
更にその通貨をブラックマーケットで、また何倍かの国内通貨に交換。
元手となった外貨は、大半が政治家や議員達の手に渡りました。


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そういう体制化では、軍備及び、国民の監視体制の強化と、反体制派への圧迫は、当然のようにペアリング。
そして反体制気運の高まりと、現行政府の弾圧も、です。


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1968年から、”人間の顔をした社会主義”を目指したドプチェク政権において、
検閲の廃止や企業の自主性の奨励など、様々な改革が行われ、「プラハの春」と呼ばれるようになります。
このチェコの動きが国外に波及することを恐れたソ連と東欧諸国は、危機感を募らせ、
様々な会談や交渉の末、とうとうソ連がチェコに軍事介入するに至ります。

1970年、ドプチェクを始めとする改革派首脳陣が共産党から除名されることで、プラハの春は終焉を告げました。
館内では、当時のビデオを流しているコーナーもあり、短いながらリアルな迫力に満ちていました。


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しかし、プラハの春が国内外にもたらした影響は、決して小さいものではありませんでした。
チェコ国内やポーランドで芽生えた革命の芽は、ソ連のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカを待って、冷戦時代の終焉、スロバキアとの分離を経て、現在の姿に至ります。


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博物館では、ちょっとしたグッズやアンティークの軍バッジなどが販売されていて、コレクターの方にも面白いかも。
コンパクトに良くまとまって、この時代についての何らかのきっかけを提供してくれる場の一つだと思います。

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6. ヴァーツラフ広場

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「プラハの春」といえば、多くの方が思い出されるであろう、一つの象徴的な事件があります。
プラハのヴァーツラフ広場で、民主化運動のデモが行われていた時、ソ連の戦車が現れ、広場を占拠したのです。

このソ連の侵攻に抗議して、1969年1月19日、当時大学生だったヤン・パラフが、
広場で焼身自殺を遂げたのでした。


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こちらの広場は、国立博物館の正面から続いていて、ブランドショップやデパートなどが立ち並ぶ、プラハでも有名な観光地となっています。
博物館近くに建つのは、ヨゼフ・ヴァーツラフ・ミスルベクの騎馬像です。


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人通りも車通りもにぎやかな、この繁華街で、40年前にそんなことがあったとは。
今では、その面影も残ってない場所です。

が、騎馬像の前にあるパラフの、そして彼の1ヶ月後にやはり焼身自殺したヤン・ザイクの、小さな記念碑があります。
良い写真が一枚も撮れなかったのですが(しくしく)、入れ替わり立ち代わり、大勢の人が見に来ていましたよ。
繁華街なだけに、かえって多くの人の訪問を呼んだということであれば、ありがたいことかもしれません


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by senrufan | 2015-07-19 08:04


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