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纏う鎧を脱ぎ捨てて (後)

「自分をごまかしてはいけない。
同時に、欠点を見つけても、自信を喪失させたり、自尊心を傷つけるまで自分を責めてはいけない」
   ----- アーノルド・シュワルツェネッガー
       (オーストリア→アメリカ人、俳優、1947年7月30日生まれ)


Stone Fruitsの旬の真っ最中。
毎週ファーマーズマーケットで、桃やネクタリンを買い込んでおります。ほくほくです。
オーガニックを選ぶので、お高くはなるのですが、桃は残留農薬の多さはトップクラスだそうなので、これはいたしかたない、ということで。
勿論、皮ごと食べますよー。

しかし、ずらりと並んだ桃の中で、どれが一体”当たり”であるのでしょう。
桃の買い方・保存の仕方について、こんな記事がありました。

 All About Peaches

香りが大事なんですねえ、なるほど。
んじゃ、これからマーケットで、一つ一つ手に取っては、犬のようにくんかくんかと(ヤメロ)

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【アクティビティ】

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さて、数回に渡ってNVCの勉強会に参加させていただいたおかげで、
いろんな方に会えたり、ご意見をうかがえたりして、楽しい学びの時間でございました。

ざっと概略を教えていただいたとはいえ、NVCでは実践とトレーニングがかなりのウェイトを占めていますので、あくまでその、概略に触れただけの段階での感想ですが。
これはアメリカの、そして心理学者のローゼンバーグ博士だから生み出されたメソッドなのだなあ、としみじみ思ったのでございます。




日本語でのNVCの勉強会でしたから、資料としていただいた「言葉リスト」も、当然日本語。
一通り拝読して、翻訳された方はご苦労されたのでは、と改めて感謝いたしました。
というのは、ご存知の通り、1英単語=1和単語、とはならないわけで。
加えて、英語では自然な「感情」言葉であっても、日本語ではやや不自然に思える言葉もあるわけで。
ぴったり重なる単語はない場合もある中で、極力近い言葉を選んでくださったのだと思うのですよ。

そういうところから始まって、アメリカで英語でやりとりする分にはいいかもしれないけれど、
日本語だったら、もっと言い方や、話のもちかけ方も考えていった方が良いのでは、と感じることが多かったこと。
そしてメソッドそのものも、多種多様な価値観が溢れるアメリカという国だからこそ、こういった、言葉という形をとったコミュニケーションが重要であるということ。
何十年も前から言われてきたことを、ここでもまた認識したのでございます。

人の気持ちを考えろ。 空気を読め。
その是非については、各自各様の考えがあるにせよ、そういう”風土”があるのが、日本という国で。
ですから、そこで育った私にとって、「評価」を交えずに「ニーズ」を見つけよう、ということ自体は、うん、そうだよね、と普通に受けとめられることなのですが。
それを、より普遍的な方法にするべく、考える・口にする「言葉」を、ここまで具体的に絞った、という点に、なるほどぉ、と感じ入ったのでございます。

また、自分自身の中を探ること。自分が本当に欲しているのは何か、常に見つける努力をはらうこと。
口で言うのは簡単でも、実はなかなか成し難いこれを、やはり「言葉」を用いることで、よりわかりやすくしたこと。
そして、その「言葉」で、「自己表現」と「要求」を試みようと呼びかけること。
ローゼンバーグ博士の様々な経験から作り出された、素晴らしい方法、と思います。


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白状すると、なんでこんな理屈が必要なんだろう?という、身も蓋もない気持ちも覚えたりしたのでございますよ。
人の身になって考えようとするなら、自分の中を掘り起こして、似た経験がなかったか、思い起こそうとしたり、自分がそうだったら、と想像してみたり。
人の気持ちを知りたいと思うなら、個人的意見を口にせず、聞き手に徹しようとしてみたり。
それができている、とは口が裂けても言えないのが情けないですが(くそう)、それでも、そういうものだろう、と思ってきましたので。

そんな小難しいことを考えながら練習しなくても、できることがあるんじゃないかなあ、と感じたのも事実です。
これには、先述した通り、日本という国で育った、というのも大きいのかもしれませんが。


加えて、これはテクニックとして、はまるタイプの人がいるのでは、という、危惧めいた思いもあり。
上手く言えないのですが、決められた「言葉」内で、リスト化された「ニーズ」を見つける、という知的高揚感を味わうことを繰り返していくにつれ、これが真のコミュニケーションであって、これが真の私なんだ、と思ってしまう人がいるのではないかと。

そこに、相手に伝わる”共感”がないと意味がないのに、それこそ事務的なカウンセラーのように、表面的なものになってしまって、しかしそれに気づかない人。
もしくは、今まで「自己共感」や「自己表現」が上手くできなかったのが、この方法を知って開放された結果、別方向に傾いて、過大な期待と他人批判に流れていきそうな人。
NVCを、ディベートのテクニックとして使う人。

NVCとは、一つのツール。
ですから、その効果も価値も、取り入れ方も、それを使う人次第、であるのですよね。


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ほんとに、人が心の奥底で何を考えているか、なんて、早々わかるものではありませぬ。
勉強会の間、参加者同士でペアを組んで、色々と練習もしたのですけれど。
私は、相手の人の望む「言葉」をなかなか見つけられず、相手の人も、私がぴんとくる「言葉」を示すことができなかったりしたものです。

人はそれぞれ、自分の「言葉」を持っているんだなあ、とつくづく感じます。
自分が抱く感情に気づいていて、「表すとすればこれ!」という言葉をぼんやりと持っているのに、
それが「リスト」になかった場合、ボールをピンそば5cmまでつけることはできても、ホールに入れることができないのですよね。
他の参加者の方々を見てても、「うーん……」と首をひねってる人が多かったのは、そういうことも原因ではないか、と勝手に思っておりました。

「私はトレーニングしているから、人のことも分かる」と言い切る方にお会いしたことがありますが。
その方が私の話を聞いて、要約されたり、「それは~ということですね」と推測されたりしたことが、全部斜め40度だったこともありましたなあ……(遠い目)

あと、些細なことですが、NVCに出てくる会話例で、「あなたは~と思ったのですね」という言い方が沢山出てくるのも、微妙に引いていた部分です。
まあこれは、英語から訳しているというのもあるのでしょうが。

思い出したのは、以前にやりとりしたことのある、カウンセラーさん。
「Miyukiさんは~と感じたのですね」とか、「~と思ったのですね」という言い方を良く使われていたのですが、正直、これがかなり苦手でありました。
大変ゴーマンで、自分のことは自分で探る、と思い込んでるワタシには、この手の言い方には「決めつけ」色を感じてしまって、かなり反発しちゃうんですよねー、あははー。(乾笑)
今思えば、心理学を学んだ方は、NVCとまでいかなくても、こういう言い方と手法を身に着けていかれるのかもしれませんね。

結局、自分と似た「言葉」を話す人達とは繋がりやすく、そうでない人達とは難しい
勿論、母国語が違っても、通じ合える人達は沢山いますから、不可能なんて全く思っておりませんが。
だったら、通じる人同士で楽しくやっていこう、と自分の身近なところでは、それで良いと思うのですけれど。


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NVCが目指すのは、世界中のどんなところでも、人と人を繋げて、平和を広げていくこと。
だったら、「あの人とは考え方が合わない」、では済まされない。
「空気を読む」とか「常に人の気持ちを考えよう」とか、それだけでは到底無理でしょう。

Golden Ruleとして有名な、「自分が人にしてもらいたいことを、人にしなさい(自分がしてほしくないことは、人にもするな)」という一文が、様々な国に形を変えて存在するにもかかわらず、守られているとはとても言えない状況で。
NVCが目標の一つとするのは、「相手が望むことを、相手にしてあげる」という、その上をいく、プラチナルールでありますから。

「言葉」が通じないのが原因であれば、「共通語」を作るしかない。
それを使って、コミュニケーションできる相手の範囲を、もっと広げていくしかない。
NVCとは、そういう意味と目的を持った、新しい「言語」である、と個人的に解釈しております。

自分の欲求も満たしながら、相手の欲求も満たすことが可能な、魔法のようなコミュニケーションの方法。
そう聞いて、興味を持って参加させていただいたワークショップですが、実際NVCを、そういう言葉で表現しない方が良いのではないか、と思ってます。
むしろ、相手も自分も、自分と互いの気持ちに寄り添うように試みることで、一番良い落としどころを見つける為の方法、と考えています。

世界平和は、身近な平和の積み重ねから。
参加者の方も、悩みの例として挙げられたのは、ほとんどが家族との間の葛藤や不満でした。
機会があったら、インストラクターの方に張りついて、日々の実践を目の前で拝見したいなあ、と都合の良い願いを持っているのです。

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もう一回だけ、脇道にそれた個人的な思いを、次回にて。
by senrufan | 2013-07-30 14:28


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