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四本足、二本足、三本足

「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」
   ----- 田中正造
       (日本人、政治家、1841年12月15日生まれ)


日本での選挙結果が出ましたね。
これほど苦しく思った選挙は、初めてです。

それに、投票締め切り時間の繰上げ、ってどおゆうことですか。
全国の投票所で、最大で3時間の繰り上げが行われたそうで、
例えば福島1,312カ所(100%)、秋田774カ所(85.05%)、岩手726カ所(64.57%)、宮城557カ所(57.18%)、山形114カ所(13.39%)、青森62カ所(6.15%)……

場所が場所だけに、天候やご高齢の方々の事情などもあったのかもしれませんが、
これを民主主義と呼ぶのかなあ、と呆然としたというのが、正直なところでございました。

色々がっくりしているところに、唯一の笑いネタを、Twitterで教わりましたです。
あー、この番組、全部見たかったー!

【選挙】攻めすぎているテレビ東京まとめ【池上彰さん】

* * * * *

【時事】

あまりにグダーリとしてしまったので、いっそ更にグダグダ考えよう。

再生JALの心意気/さかもと未明(漫画家)

さかもとさんのこのコラムについては、一時期随分とネット上で話題になったので、ご存知の方も多いかと。
赤ちゃんは泣くものなのに、なんて理解のない、という意見と、気持ちはわかる、という意見が多数寄せられて、正に”炎上”したコラムでございますね。

それに対して、とある方が書かれたmixiでの日記が、オンライン上に掲載され、これもまた一部で話題をよびました。
そうそう、私もこういうことが言いたかったの! という賛同意見を多く目にした、素敵なお話です。

さかもと未明さんの乗り物マナー騒動に思う。「乗り物で、赤ちゃんが泣かない国もある」

こちらを拝読して、以前読んだツイートを思い出しました。
「電車で泣いちゃった赤ちゃん。『ちょっと、子ども黙らせなさいよ!』とキレるおばはん。
そのおばはんに『じゃああなたは場をわきまえて泣く赤ちゃんだったんですか。誰にも迷惑かけず自分の子ども育てたんですか』って言った男子高校生。高校生かっこよかった。」

赤ちゃんは泣くのが仕事、と昔から言う通り、赤ちゃんは、泣く以外に辛さを表現する手段を持たないのです。ただ、それだけのことなのです。
それ以外の方法をとろうとしても無理、ということと、誰もが通ってきた道なのだ、ということだけは、ある程度の年齢になったら、わかってしかるべき事で。
それに対しての好き嫌いは勿論あるでしょうし、それについての議論ではないのです。

理屈や理論で片付けるものではない、ならぬものはならぬ、ということが。
沢山、たくさんあるのだ、という、たったこれだけのことが、どうしてこうも難しくなってしまうのか。

この事件(?)に直接関係はないのですが、こちらをきっかけに、いろんなことを考えてしまったので。
それが、今回の日本での選挙に、自分的にぼんやりと繋がるように思ったので。
ぐちゃぐちゃ拡散の頭を、少し整理するべく、戯言を並べ立ててみたいと思います。
ので、どうぞこの下は、あくまでそれをご承知の方だけご覧くださいますように。(願)(や、ほんとにタワゴトですから!)




まずは、さかもとさんがJALにクレームした、ということから、つらつらと。
以前に書いたのですが、給食費を払っているのだから、「いただきます」を言わせないでほしい、という親がいる、という話。
これに対して、見事に答えてくれたツイートがありました。

先生に対して、「ひらがなを覚えたら、どんな得があるの?」と聞く小学生。
友人が話してくれた、「結婚って、どんなメリットがあるんですか?」と若い女性から聞かれたというエピソード。
ほかの客の粗相で迷惑したとして、店にクレームをつける客。

払ったものに値すると自分が考える分について、声高に主張する。
自分の範疇だと思ったことに対しては動いても、少しだけそれからはみだすことは、他の人の為であっても、絶対動かない。むしろ、人の為だからこそ、動かない。
ましてや、自分にとって「何の得にもならない」赤ちゃんとお母さんへの気遣いなど、するはずがないのでしょう。

給料が高すぎるから要検討、とか、人を集められない芸術なら切り捨てる、とか。
理論・理屈でおした時に正当に見える事は、実は一面からしか判断していない、自分の狭量さと無知を暴露しているだけかもしれない、ということに気づかずに。

「役に立たない」と見える事、イコール、「価値のない」事、ではないのです。
しかも、役に立つか立たないかの判断基準が、「自分にとって」、または「目先の状態に対して」であるのに、
それを、さも周囲全体がそう考えているかのように理論を展開し、自分ではなく、他をそのレベルに引き下げようとする。
その論理に則って行うことは、「自分にとって役に立たない」ものへの攻撃です。

揚げ足取りや弱いものいじめが、これだけ大人世界で蔓延しているのに、子供社会で広がらないわけがないのです。

実際、論理・理屈で統制しようとする社会において、一番持て余されるのが「子供」です。
自然そのもので、理屈が通じない存在が、どれほど邪魔であることか。


しばらく前にお嬢と、日本とアメリカの自己中の違いについて、話したことがあるのです。
というより、お嬢のおかげで、自分を含めた日本型自己中に気づかされたのですけど。

お嬢が見たところ、日本型では、自分が思うことについて、他人もそれに合わせて変えようとする。
実は個人的な主張に過ぎないのに、「それが普通でしょ?」という言葉で、自分一人の意見ではないように見せようとする。
自分が思うこと、自分にとって都合の良いことを、一般論にしようとする、という印象があるそうです。

日本で良く使われる、「常識」という言葉。
英語だと「Common sense」と訳されることになってますが、お嬢の周囲では、滅多に使われない言葉である上、せいぜい「怒ってる動物に手を出すのは危険」といったような、かなりの人が賛同するような事例に対して、だそうで。
確かに、これだけの多民族国家で、誰もが思う「常識」なんて、それほどあるわけがないのですよね。

何か悲しいことがあった時、傷ついているのは自分なのに、勝手にそれを世間の「常識」にしてしまおうとするならば。
そうでない側のせいにしたり、攻撃したりといったことに対して、抵抗感や罪悪感がなくなります。
日本人は無宗教と言われつつ、実は「世間」が宗教のようなものですから、
その「世間」のお墨付きということにしてしまえば、どれだけ心理的な箍がはずれることでしょう。


ところで、日本に行って、電車通学になったお嬢ですが、その電車の中での色々を話してくれるんですよ。
「イマドキの若者は」と良く言われますけど、お嬢が一番眉をしかめるのは、50~60代の方々、特に男性、というのです。

先日も、座っていた若い男の子が、目の前に妊婦さんが立ったので、すかさず席を立ったら、
横からおじさんが、その妊婦さんを押しのけるようにして、横取りして座って、目をつぶって寝たふりに入ったんだそうです。(死んだふり)
このこと以外でも、若い女の子にえらそうに絡んでたり、説教モードだったりと、「呆れるのは大体おじさん族」と断言しておりました。

高度成長時代に、企業戦士として働いて、日本を世界有数の先進国に押し上げてくれた世代の方々を、尊敬しないわけがありません。
右上がりで豊かになっていく、あのカーブ。努力すれば前に進める、という信仰。
年功序列を当然として、年月を経れば、自分も許されるものがある、と信じていた。

戦中世代で、本当にご苦労されたことに対して、なんら異論があるわけではありません。
その果てに、今まで拠って立っていた足場が崩れ落ちていく悲哀を味わって。
だからこそ、自分が良いと信じていた価値観、自分が心地良かった場所に、しがみつきたい思いもあるでしょう。

疲れて、悲しくて、でも、泣いて訴えることはできない自分。
だから、無条件に泣いて甘える赤ちゃんや子供に、自分より下だと自分が信じたい存在に、捌け口を見出してしまう人もいる、のかもしれません。
それが、どれほど自己中な行為か気づかずに。
もしくは、気づく前に、「乗り物でのマナー」「年功序列」という”常識”の形にすりかえて。

老害、という言葉を、しみじみ噛み締めることになった選挙でもありました。


グダグダが絶好調にグダーリとしたところで、最後に、タワゴト中のタワゴトを。

美しい日本の領土領海を守りたい。(……)
それを、軍事力をもって行おうとするのは、少なくとも私の思う「美しい日本」ではありません。
日本国憲法が、アメリカに押しつけられた内容も多分に含んでいるであろうことは、知っています。
それでも私は、第9条を持つ国にいられることを、幸せに思います。

国際社会において、日本がふるまうべき姿。
それは、東日本大震災の時、被災地の方々に見られたものでもあったはず。

政治学者のサミュエル・ハンティントンが、著書「文明の衝突」において、世界八大文明の中の一つに、「日本文明」を挙げています。
西欧、中華、イスラムなどと並ぶ、世界の中の一国のみで成り立つ文明。
それは決して、「孤立」を意味するものではない、と思うのです。


また、勉強すべきことばかりが増えました。
何かを知ったと思えば、その10倍もの量の無知さを思い知らされることの連続です。

自分がああなる前に、変われなくなってしまう前に、もっともっと。
そんな反教師的な見本を沢山目にできた、という意味でも、学ぶことの多い選挙でありました。
by senrufan | 2012-12-15 17:02


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