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出会う前から愛してた

「ためこんで頑なになるより、多少弱音を吐いて消化した方がいい」
   ----- クルム伊達公子
       (日本人、テニスプレーヤー、1970年9月28日生まれ)


周囲が、おめでたラッシュです。(嬉)
10月~来年1月の間に、4人のお友達が出産予定。
すでに孫の誕生を待つ祖母の心境で、楽しみに待っているところです。

その中で唯一の初産は、ありすちゃん。日本からいらしたお母様と3人で、出産前ぎりぎりランチを楽しんで参りましたです。
訪れたのは、こちらのイタリアン。3回目の訪問だったのですが、2回目に行った時に出会ったウェイター@ホスト出身疑惑のお兄さんは、今回も健在でした。

おめでた姿のありすちゃんは、もーー、輝くばかりの美しさ。
大きなお腹でしんどい、と笑って言うので、そおゆうのは、赤ちゃんが生まれたら忘れちゃうんだよ~、とお母様と私ではやし立て。
私も臨月の頃は、さすがに重くて辛くて、もー早く出てきてくれーっ!と思ってたはずなんですが。
今思い出すのは、お腹の中の赤ちゃんと一体化していた、あの幸せ感だけ、なのでございます。

胎動が始まって、嬉しくて。
大きくなってくると蹴られて、ぐえっ!ということも多々ありましたが。
いるんだなあ、ということを少しずつ。母になるんだなあ、ということを少しずつ。
そうやって、互いの絆を作っていった日々。
父親はこれが味わえないのかー、と考えると、かわいそうに思ったりしたものです。
でも、どうせならそれより、出産の辛さをシェアすべきだよね。(鬼)

生まれて、産湯をつかわせてもらって、看護婦さんがそっと、私の枕元にお嬢を置いてくれた時。
ほぎゃほぎゃと泣いていたのに、私が、がんばったね、良く出てきたね、と話しかけた途端、
ぴたっと泣き止んで、私の目をじーっ、と見たんですよ
それから、またぴゃあぴゃあと泣き始めたので、また話しかけたら、再びこっちをじーっ、と見るんですよね。

お腹の中に私の声が届いていて、覚えていたのかなあ、と思うと、それまでのあれこれ痛辛涙死うぎゃああああ、な”産みの苦しみ”が、文字通り吹っ飛んだ瞬間でございました。


出産も子育ても、死んでも無理、つか、またやったら絶対死ぬ、と思う年寄りになりましたが。
恥ずかしながら、ありすちゃんを見ていて、妊娠だけはまたしたいなー、なんて思ったり。
といっても、私が欲しいのはお嬢だけなので、彼女に縮んでもらって、またお腹に入ってもらうしかないんですけどね。(超自然願望)

余談ですが、赤ちゃんのお嬢がぐずって大変だった時は、
「いっそ、里に帰れーーっっ!!」
と言って、お腹に押しつけていたこともありました。いや、ほんとにどーでもいい。

* * * * *

【家庭内事情】

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9月も、もうすぐ終わりですね。
お嬢のハイスクールの友人達も、大学生活が始まっていますが、親元を離れての寮暮らしは、どんな感じなのかなあ。

高校で相当に鍛えられてきた子達ですが、大学は更に厳しい勉強が待っているわけで。
家族がそばにいないということに、じわじわと慣れていきつつ、同時にじわじわと寂しさが溜まっていくような、そんな感じなのかもしれず。
考えてみれば、ハロウィンから始まるホリディシーズンが目前にあり、感謝祭やクリスマスで家族に会える日が予定されている、秋からの新学年開始は、なかなかに良いことなのかもしれません。




我が家の方は、6月に別れたものの、9月にまた会えて、12月にもまた会えることになっていて。
信頼できる祖父母に世話してもらいながら、毎日のように私とスカイプで話しているという環境は、とても恵まれている、とお嬢もしっかりわかっているのです。

それでもやはり、10数年と離れていた祖父母と孫が、家族として共に暮らす、という状況は。
どうしたって、軋轢が生じないないわけがないのでありまして。
年寄り2人で静かに暮らしていた両親は、何十年ぶりかのティーンとの生活に、戸惑い、心配し、疲労して。
基本、自分で決めて動きたいお嬢は、その心配が重荷にしかならず、さりとて怒るわけにもいかず。

どちらが悪いわけではなく、どちらも相手のことを思ってのことなので、あとはそれぞれで、互いとの在り方を見つけていくしかないのですが。
母やお嬢の、わかっていても溜まっていく辛さや不満を、せめて私に向かって吐き出してもらうことしかできない、という時期が続きました。

知り合いの方では、やはり祖父母とお嬢さんがうまくいかなくて、途中でアパートを借りて一人暮らしに移った、というご家族や、
同居が終わってから、預かっていた先のお母さんが入院されたご家庭など、
大なり小なり、どこでもある苦労なのですよね。

大学の寮に入り、相部屋暮らしになった子達も、様々な葛藤や摩擦を経て、学んでいくことが沢山あるのでしょう。
願うは、どうか吐き出し場所が彼女達のそばにあること、ただそれだけなのでございます。


志望校に受かったお嬢ですが、予備校は3月まで続きますので、まだまだ勉強の日々。
それでも、ほとんどの私立文系の帰国子女受験が終了した今週は、授業がほとんど休みとなって、ほっと一息つけそうです。
そうやって、気が抜けたところで出てきたのは、今まで積もっていたあれこれでありまして。
具体的に何が起こったわけではなく、ただ、ああ、疲れてたんだなあ、と実感したということを、スカイプで話してくれました。

ほんとに、一つ一つは些細なことなのです。
尊敬する友人達と共に、自分で選択し、その責任も自分で負うことが当たり前だった毎日。
それが日本に移り、帰国子女クラスといっても、やはり日本人の集団なのだと思い知らされる、あれやこれやの出来事達。
仲の良いクラスで、仲の良いお友達と一緒に、楽しく過ごしつつ、やはり背後にいつも存在する意識や価値観の差が、
たとえわずかなことであっても、降って積もって、重さを増していくのです。

なんで私の点数や志望校を、皆が知ってるの?
どうして、そんなに他人が気になるの?

なんであの先生は、生徒を叱る時、学力やレベルを引き合いに出して叱るわけ?
そんなの、その人の本質と関係ないことなのに。

○○ちゃんはすごいよね、ううん、△△ちゃんの方がすごいよ、とか、
あの褒め合いは、一体どうしたらいいんだろう。
上手な謙遜の仕方がわからなくて、疲れるばかりだよ……

思いっきり日本旧人類の私としては、あるあるあるある、ってなことばかりでありますが。
十分日本人と思っていたお嬢でも、やはりアメリカで育ったからこそ、身についたものがあるのでしょう。
それらを好ましく思う母ちゃんとしては、失うことなく、でも柔軟に、上手く付き合う術をも得ていってほしい。
少なくとも4年間は日本で暮らす予定である以上、そう願うしかありませんので。

これについても、ひたすらに私を吐き出し場所としてもらえるよう、物理的な距離はあっても、言葉の届く範囲にいられるよう。
お嬢のスケジュールに合わせて、PCの前で待機していたりするのです。
なんつって、私が彼女と話したい、というのが一番なんですけどね。(てへぺろ)(ストーカー)


そんな風に話していたところ、お嬢がぽつん、と言ったんですよ。
ハグが欲しいなあ、って言ったのです。

思い出したのは、ずっと以前に読んだ記事か何かで。
日本のとあるご家庭で、アメリカからの留学生の女の子を預かって。
とても良い子で、毎日がんばっていたのですが、ある日、彼女が部屋で泣いていたそうなのです。
そのご家族のお母さんが慌てて、どうしたの?と聞いたら、
「Please give me a hug ……」

ハグ? ハグって、あのハグ? どうしよう、ただ抱きしめればいいのかしら。
困惑しながら、でもかわいそうで見てられなくて、恐る恐る抱きしめたところ。
堰を切ったように、女の子が激しく泣き出して。
そんな彼女を抱きしめながら、お母さんもどんどん涙が溢れて、2人で泣きに泣いたんだそうですよ。


私がアメリカで好きなものは、色々ありまして。それは例えば、「Have a nice day!」の挨拶、とかなのですが。
ハグは、↑のお母さんと同様、最初は照れくさくて、かなりぎこちないハグを繰り返していたような気がします。

ですがやっぱり、お嬢へのハグは特別で。
大好き、と思う気持ちをどうしようもなく、彼女をぎゅっと抱きしめることで満たされるものが、とても大きくて。
ハグを与えながら、与えられているのは、実は私の方なのです。

ハグが欲しいよ。ハグをちょうだい。
何も言わないで、黙って抱きしめてくれれば、それでいい。

それこそ、お腹の中にいた頃のように、包んで、守って、守られて。
そう願う気持ちの元は、あの十月十日の間に、芽生えて育まれたのかもしれませんけれど。

お嬢達だけでなく、最近転職した彼女や彼女、新しいチャレンジを始めた彼女など。
ハグをし合える人が、いつも彼女達のそばにいてくれますように、と祈っているのです。
by senrufan | 2012-09-28 05:29


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