支えてくださった皆様へ

こちらで寄付をお願いさせていただいておりました、ヨシダシャノンちゃん。
3月10日に、新しい世界へ旅立っていきました。

ご両親が、闘病ブログにアップされた挨拶文を、こちらに転載させていただきます。

寄付やメッセージで、温かいお気持ちをお寄せくださった皆様に、心から御礼申し上げます。
どんな言葉でも足りないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

新しい世界に誕生したシャノンちゃんが、その誕生日を、胸いっぱいの深呼吸と笑顔で迎えられたのでありますように。

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シャノン永眠しました

アメリカ時間3月10日午前3時(日本時間3月10日午後8時ごろ)シャノンは呼吸停止し永眠しました。

亡くなってから3日ほどホスピスで遺体をおいていただき、今日火葬会社に引き渡し、シャノンの体とお別れしました。

クリスマス前にひどい自覚症状に見舞われ、小児科、Urgent care、2度のER検診を得てやっと発覚したときにはがんは彼女の脳と脊椎に散らばって手術ではとりきれませんでした。年末救急車でLPCHに運ばれて数時間後、すぐに手術、その後もすべて含めて計4回にわたる手術と放射線、抗がん剤治療で彼女の体はぼろぼろでした。

5週間のICUとキャンサーセンターでの治療、全部で2か月に及ぶLPCHでの病気との闘いの後、ホスピスに移り10日の出来事でした。

その間私たちは病魔に恐れおののき、看病の精神的、肉体的疲れと、先の見えない暗闇の毎日の苦しさに心身疲れ切っていました。彼女を何とかして救いたいけど何の情報もなくどうしてよいかわからずネットで治療法を必死に探していました。彼女の症状はどんどん悪くなり、私たちはただ彼女のそばにいるしかできず、彼女を治してあげられないもどかしさにやりきれない気持でした。

現代医学に見捨てられ、ホスピスに移ってからも必死に体をマッサージし、代替医療も試み、彼女を生かそうという気持ちと亡くなるかもしれないという心構えとで複雑な気持ちでした。

でもゆったりとしたホスピスの時の流れに、たとえ10日間でしたが、家族3人の静かな時間が持て、少しずつですがたとえ死の方向に行っても向き合える準備ができました。

亡くなる数時間前、私が寝る前に、私たちの作った歌を聴かせたり、ネットでいくつかリラックスできる音楽を探してシャノンに聞かせてあげていました。うつろだった目が、音楽を聴いているうちにしっかり聞いていたように思えます。気持ちよくリラックスしているようでした。

その日の夜中は看護婦が1時間おきにチェックしに来ていたので1時間前の時点では呼吸も今までと変わらずしていました。片方の肺がもう機能していなかったのでいつものように呼吸が大変で、体温調節ももうできなくなり、熱は数日間微熱でした。
看護婦が朝3時過ぎに来た時には呼吸が止まっていたので私もだれもなくなる直前を見た者はいませんでしたが、おそらく眠るようになくなっていったのではないかと言っていました。

安置部屋では、ピンクのバラの花を周りにちらし、義理の母手編みの白いニット帽をかぶり、白いニットの半そでワンピースを着ていました。すこしピンクのほほ紅とピンクの口紅をして氷のよう に体は冷たいですが、手をおなかに組んで、苦しまずに穏やかな表情でまるで昼寝で眠っていてしばらくしたらおきそうでした。家族親戚がそばに寄り添い最後の別れができました。

シャノンが もう痛みから解放され、天国で安らかにそしてのびのびと思いっきり走り回っていることを祈ってます。

今まで皆さんからのたくさんの励ましとお手紙とドネーションをいただき大変ありがとうございます。皆さんから支えられ、私たちは勇気をもらい、こうして今まで病気と死に立ち向かうことができたと思います。

人は一人では生きられないこと、困った時は声をあげていいこと、家族、親戚、友達、お会いしたことのない日本の、アメリカの、世界の方たち。みなさんとつながって大きな力を頂けることを感じられました。今まで本当にありがとうございます。
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by senrufan | 2012-03-12 17:49 | Trackback
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