東日本大震災より、一年を経て

「道が窮(きわま)ったかのようで、他に道があるのは世の常である。
時のある限り、人のある限り、道が窮るという理由はないのである」
    ----- 大隈重信
        (日本人、政治家、1838年3月11日生まれ)


ヨシダシャノンちゃん 癌治療の為の寄付のお願い

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それぞれの3月11日。(「ほぼ日刊イトイ新聞」より)

Nuclear Free California Members Issue Statement on Fukushima’s One Year Marker
カリフォルニアの「原発のないカリフォルニア(Nuclear Free California)」の声明

Japan - One Year After the Catastrophe
あれから1年-独シュピーゲル誌の東日本大震災1年後のインタビュー映像特集

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【個人的事情】

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東日本大震災から、一年が経ちました。
昨日までに死亡が確認された方は1万5,854人、今も行方不明の方は3,155人。また、避難先や仮設住宅などで不自由な生活を強いられている方は、岩手・宮城・福島の3県を中心に、34万4,000人にのぼっているそうです。

震災当日、私が一番覚えているのは、彼のUstreamをずっと追っていた記憶です。

あれから1年~震災直後、NHKを無断でUstream配信した広島県の男子中学生


いまだ思うこと、考えることが多すぎて、それだけの月日が流れたとは、到底信じられない思いです。
震災数日後に、その時の思いを綴って、以来、前を向いたはずだったのですが。
何も知らずに、ただただ案じていただけのあの時の方が、まだ楽だったのではないか、とまで。

胸の中にとどめておけば良いことなのですが、一年という節目の時に、自分はこう思っていた、ということを、肝に銘じておく為に。弱い自分から、目をそらすことのないように。
ここに残しておこうと思います。
と言っても、膨大過ぎて、一体どこから始めたらいいのかもわからないので、思いつくままに、とりとめなく。

自然と人間の関わりを問い直す、という意味で、今までの多くの自然災害や戦争を越えた、類を見ない天災。そして、人災。
今回の震災、そして以降の日本の世情などについては、ここに残すことはありません。
多くの素晴らしい方々が、世相について語ってくださっているので、私ごときが述べることはありません。
よって、ごくごく個人的な事情や思いの一部のみ。
先日、ゆかさんが開いてくださった原発勉強会での写真をはさみながら、書いていきたいと思います。




震災を機に、今まで見えなかった、今まで知らなかったものが、数多の槍となって降り注いでくるようになりました。
それは知識であったり、物事の側面であったり、行政や企業の姿であったりしましたが。
同時に、周囲の人達が見せてくれる顔に、尊敬・戸惑い・怒り・感動と、様々な感情を呼び起こされることになったのです。

自分で調べて、自分で考えて、自分で選ぶ。
アメリカに来たことで、マクロビオティックを知ったことで、ますます自分に言い聞かせるようになって、少しずつ努力もしていたこと。
それが、どれだけ大事で、どれだけ自分ができていなかったかということを、この1年ほど思い知った年はありません。

ソーシャルネットワークで、Twitterで、Ustreamで、と、無数の情報が行き来する中、
どれが正しくて、どれがデマなのか、自分で見極めなくてはいけないのに。
そういう時に判断できるよう、日頃から幅広い知識を得ていなければいけなかったのに。
情報の嵐の中でおぼれそうになりながら、何度も後悔を繰り返し。

また、それに伴って目にせざるをえなかった、多くの諍いも。
詐欺や騙りは論外にしても、善意から真剣に取り組もうとしているが為に、違う立場の人を攻撃したり、上から目線で見下したり、ということも。
尊敬していた人が、更なるすごさを見せてくれたこと。もしくは、強いと思っていた人が、意外な弱さを露呈したこと。
非常時になって見えた、その人の別な姿、別な面。それによって、震災前と後で、随分と世界が変わることとなりました。

時間が経って、振り返ってみたらわかること。これから何年も経ってから、ようやくわかること。
すでに、常に、一瞬前の世界ではないのですから。
1年経った今、後悔や納得、謝罪や感謝など。胸によぎるこれらの感情は、またいつしか姿を変えていくかもしれず。

絶対的な正義や悪、というものはなく。全ては変わっていくもの、と考える。
一神教の世界では考えられない、その価値観があるからこそ、日本という国に住む人々が、震災後に世界を驚かせることができたのでは、と思います。

作家・高橋源一郎さん「午前0時の小説ラジオ」・「あの日」からぼくが考えてきた「正しさ」について


Help Japan with Clean Bottles! を覚えていらっしゃいますでしょうか。
Toshitaka君が自分で考えて、自分で立ち上げたこのプロジェクトは、彼が手ずから運んだ400本のクリーンボトルの形をとって、被災地へ届けられました。
募金、ボトルの購入、スポンサー探し、現地への配達等、私の大事な友人であるお母さんの助けを借りながら、見事にやってのけてくれました。

彼の活動については、Facebookで報告されています。
11日に震災が起こり、22日には、日本の大学に入学する為に、アメリカを発とうとしていた彼が、その時の自分ができることとして選んだプロジェクト。
その時の状況が状況だったので、お金の方が良いのではないかと、親身なアドバイスも色々もらったそうですが。
結果として、あれだけの寄付が被災者の手元に届いているわけではない現在、規模は小さくとも、確実に手元に届いて、役立てられたボトル達。
考えついてくれた彼に、企画して援助してくれた彼とお母さんに、心から感謝しております。

私はオンラインで活動を見守るしかできなくて、当時も今も、彼から直接話を聞いたことがないのですが。
きっと彼にも、何らかの批判や非難の声が寄せられたのでは、と勝手に推測しております。
お母さんにも愚痴をこぼすことはなかったそうなので、確かなことはわからないのですけれど。
その批判が、彼のことを思っての言葉ならともかく、彼のことを良く知らないのに、子供であるということに対してだったり、自分はその位置から動こうとしないくせに、自分なりに行動を起こした彼に対して、だったりしたら、本当に情けないことで。

自分で情報を集めて、スポンサーを見つけて、NPO申請をして、寄付金に税金が課されることのないように。
寄付金分が終了した後も、お母さんと彼で、ボトルを希望する自治体に向けて、自費での援助を行ってくれました。
あれから一年が過ぎ、振り返ってみたら、何が見えるのか。
彼に会うことがあったら聞いてみたい、と願わずにはいられません。


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彼が日本の大学進学を決めたのは、震災より前のことでしたから。
震災後、しかも原発事故による放射線被害が確実になった場所に彼を送り出すことに、ご両親はどれだけ心配されたことでしょう。

それが、とても他人事とは思えないのは。
実はお嬢も、同じことをしようとしているから、なのです。
3歳前にアメリカに来て以来、ずっとここで育ってきた彼女は、今年6月にハイスクールを卒業したら、すぐに日本に行くのです。
日本の学年で、4月から高3になる彼女は、祖父母の家に世話になりつつ、日本の予備校に通いながら、日本の大学を受験するのです。

それこそ、ずっとずっと、何年も前からの彼女の夢、なので。
本当は行かせたくなくて、行ってほしくなくて、正に身が切られる思いをしていても。
だから、せめてできることといえば、できるだけ安全な水と野菜を手配するとか、内部被爆を少しでも減らせるよう、学び続けることなどを。

アメリカという地にいる私でさえ、子供のことを思えば、これだけ不安になるものを。
実際に現地にいる親御さん達は、どれだけ胸のつぶれる思いをなさっているのでしょう。
放射能を怖れるお母様方を、ヒステリーだと非難する声を、幾度も耳にしておりますが。
一人の親として、その声に与することは、到底できません。

ママ原の思いを聞いて下さい
 

かといって、原発反対!と声高に叫ぶこともできない自分がいるのです。
原発はなくなってほしい、と真摯に思う気持ちに、嘘はありません。
ですが、自分がそれを口に出すことに値するのか、その自信がないのです。

福島の原発のことを、考えたことがありませんでした。旦那の、大切な義家族の故郷でありながら。
何回も書いてきた、「『知らない』ということを知らない」こと。その怖さを、これほど実感したことはありません。
それは、原発についての知識にとどまらず、ずっと目の前にあったのに見ていなかった「社会の暗部」を、突きつけられたが故、のことであるのです。

知らなかった、ではすまされない。
「知った」日以来、ずっと自分を責める気持ちが止みません。
なのに、何もかも捨てて、その渦中に飛び込んでいくこともできない。
更なる責めを抱えつつ、結局、勇気ある人達に任せているだけ、というのが、今在る自分の姿です。

原発収束作業の現場から   ある運動家の報告


何ができるかなあ。お嬢の為に、大事な人達の為に、こんな自分じゃない自分になる為に。
もう、やだよ。また「知らなかった」と思うのは、もう嫌なんだ。

だから、まだまだ、まだまだ、学ばなくてはなりません。
特に、ゆかさんという素晴らしい先生を始め、自分が信じられる、と思う方々から。
知れば知るほど、自分が無知であることを自覚します。でも、それで良いのです。
そして学ばなければならないのは、原発や時事問題について、だけではありません。

世の中には、無数の専門分野に、無数の専門知識を持つ人達がいて、それらを全て把握することなんて、私には到底できやしないので。
できるのは、「どんな分野の人が言うことであっても、その本質を理解できる能力」を、少しでも身につけること、と思うなら。

本を読んで、古典を読んで、歴史を学んで、芸術に心身を触れさせて。
必要なのは「教養」だと思うのは、それが全ての分野の、人間の活動の根のようなものだから、に他なりません。

内部被爆のデトックスにしても、結局立ち返るのは、日本の昔ながらの伝統食、であったりしますよね。
津波については、科学的なデータより、ずっと昔に引かれていた線の方が正しかったように。
歴史から、人の営みから、学ぶこと。過去を振り返ることは、現在と未来を否定するということではない、と思ってます。


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さて、ここベイエリアでは、いまだチャリティーイベントが企画・実行されています。
本当にありがたく、心から御礼申し上げます。

皆様が開いてくださる素敵イベントに、客として参加するのがほとんどでありましたが。
今回初めて、スタッフのハシクレとして参加させていただくセールが、来週末の17日(土)に開かれます。
ガレージセールとフードセール、2つのセールが開かれるのですが、私はフードの方でお手伝いさせていただきます。

え、オマエが!? と思われた皆様、どうぞご安心くださいませ。
リーダー始め、スタッフ・ボランティアの皆様が、あまりに有能で素晴らしい方々ばかりなので、私の無能さが見事にカバーされております。(死んでこい)

チラシはこちら、ネットでのお知らせはこちらです。
メールでのお知らせをご希望の方は、bahelpjapan@gmail.comまでご連絡くださいませ。

ということで、17日に向けて、今週アップする日記では、冒頭で何かセール関連のお知らせができたらいいなー、なんて思ってます。ええ、思ってはいるんです。けど。ね。
(その為には、頻繁に更新しなくてはいけないというぷれっしゃー)


最後になりますが、被災地で大活躍してくれた「スコップ団」の皆様が、10日夜に、2万発の花火を打ち上げられました。
空に向けての献花を、以下のページで拝見しつつ、黙祷させていただきました。

2011年3月11日14時46分。
忘れることは、決してありません。

「ほぼ日刊イトイ新聞」:僕たちの花火の連絡、見えますか。

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by senrufan | 2012-03-11 11:47 | 東日本大震災 | Trackback
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