あの日、あの時、繋いだ手 (6)

「共同責任とは何か、それは無責任のこと。無責任とは何か、それを知るのが私の責任」
   ----- クララ・バートン
       (アメリカ人、慈善事業家、1821年12月25日生まれ)

* * * * *

【雑事】

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ティーンの鬱や摂食障害について書いてきましたが、実はティーンだけに起こることではなく、思春期に起こること、と言い換えるべきかもしれません。
誰でも大なり小なり、子供時代からの葛藤や、ティーンになってからの感情の揺れ、親との関係からくる複雑な思いなどを抱えていて。
それが何らかの形で、確実に咀嚼・消化されていない限り、幾つになっても、鬱などの症状の形で外部に出てくることがありうるのです。
そう考えれば、思春期というものは、年齢を限定できるものではないのかもしれないのですね。

子育ては自分育て、とは、何度も聞かされた言葉でありますが。
私がこの言葉を本当の意味で実感するようになったのは、お嬢が思春期を迎え、その葛藤の只中の時でした。




前回書いたように、私は自分の子供時代から現在に至るまで、親に対して不満を抱いたことはほとんどありません。
家族なりの諍いはあるものの、それで親への尊敬や感謝の思いが薄れることはなかったのです。

ところでお嬢という人は、外見は98%まで旦那似のくせして、中身はかなりの割合で私似でございまして。
つまり、大変コンジョ悪の黒い血持ち、でして。(……)(ごめんよおおお)
それでも、さすがに旦那の遺伝子のおかげか、子供の頃の私よりはまだマシな根性、と思うのは、親の欲目でございます。あ、儚い希望か。

なので、彼女の行動を黙って見守ることは、自分という人間を全く価値あるものと思ってない私には、かなり難しいことでありました。

彼女が周りと逆らった行動をするたびに、嫌われやしないかとハラハラしては叱ったり。
好きなことに熱中して、肝心のことをおろそかにするたび、そんなことじゃあとで苦労するから、と説教したり。

自分で身を持って学ばない限り、傍からいくら言ってもムダ、と思って、随分と突き放してきたつもりではありましたが。
結果、数少なくなった機会のたびに、説教や諌める言葉が多くなってしまったのは。
自分と似ている彼女が、自分のような人間になってほしくない、という一心であったのです。


ほめて、大らかに、のびのびと、自立心を養って。
百万回も唱えられている「子育てへのアドバイス」は、十分に分かっていて、そのように心がけているつもりでも。
私の場合は、あくまで表面的な部分であがいているだけで、”実”が伴ったものでは決してありませんでした。

それが、彼女が思春期に入って、自分への嫌悪感や様々なストレスを抱えて、どっぷりと落ち込み始めた頃。
いつかは通らなくてはいけない道だから、と突き放し、黙って見ているのが良かったのかもしれませんが。
私がそこに見たものは、親に頼りたくとも頼れない、プライドは高くとも自分に自信を持てない、そして、誰にも弱みを見せられずに泣いている娘の姿であると同時に、
一番大事な時に何も打ち明けてもらえず、言葉にせずとも伝わっていると思っていた愛情が、望む形では全く伝わっていなかった、という事実であったのです。


私自身は、家族から言葉にされなくとも愛されている、と信じられるようになりましたし、
親の言葉より、他人から言われた言葉や、家の外での経験が自分を作ってきた、という自覚があるので、お嬢にも、その道すじを見ていたのですが。
いくら似ているところがあっても、私の分身ではない彼女が、その通りに進むはずはない、ということは、理性では問題なくわかっていた事実でありましたのに。

欠点は色々あっても、私が何を聞いても答えてくれて、何でもできて、年をとっても、常に「親」として頼れる存在でいてくれる、私の母。
そんな母になりたかったけれど、いくら血が繋がっていても、到底その器ではない自分。
それより、お嬢が辛い時には一緒に泣いて、楽しい時には肩を組んで笑い合える母がいい。

母と私の形があるように、お嬢と私なりの形があるはずだから。
もう10数年経ってしまったけれど、今からでも間に合うのなら、と強く願い。

知って、選んで、進もうとしたのは、お嬢をできる限り受け入れることへの邁進と、自分の思春期のやり直し。
つまりは、お嬢のみならず、自分自身をもありのままに受け入れること、でありました。
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by senrufan | 2010-12-25 22:04 | Trackback | Comments(6)
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Commented by lizzyco at 2010-12-27 04:30 x
そうなのです、そうなのです、そうなのです!
先にも述べました『失敗しましたなぁ』の我が長女・・・。
まさしくMiyukiさんと似た気持ち、感慨、そして結果。
その当時、私にとっては衝撃的な『自分自身をありのままに受け入れること』。それは私にとってはきつい所作であり、未だ、それを模索している所があるのかもしれない、と日々感じています。何故か、引き続き拝読し、引き続き、ああ似ている良かった、ああわかる、わかる、と涙が出ます。ちなみに我が長女は満25歳。気づいた日から十数年経ちました。親子の形態は私が変わる事によってのみ、初めて変化しましたねぇ。すなわち、私が私を見つめる事によってのみ。すみません、連日。。。
Commented at 2010-12-27 09:38 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by senrufan at 2010-12-28 07:06
*lizzycoさん
うわあん、そう言っていただけて、本当に本当に嬉しいです!!
一人っ子で、他に比べるアテもなく、暗中模索の連続でやっていることなので、lizzycoさんのようなお母様からそういうお言葉をいただけて、これで良かったのかもしれない、と素直に思えて、涙が出てまいりました。おっしゃる通り、この年になっても、や、この年だからこそなのか、『自分を受け入れる』ことのなんて難しいことか。改めて娘には、早くからありのままの自分を愛してあげてほしい、と切に願わずにはいられません。
lizzycoさんのブログも、コメントこそなかなか残しておりませんが(言いたいこと満載すぎて)、欠かさず拝読しておりますよ~。いつもいつも感謝・感謝でございます~(愛)
Commented by senrufan at 2010-12-28 07:12
*非公開コメントさん
おかげさまで、連日誰か彼かと出歩いて、大変楽しい日々を過ごしております♪ そちらも素敵なイブ&クリスマスだったんですね~。そう、本来のクリスマスは、実はごく内輪で温かくお祝いするものなのですよね。娘は、日本のクリスマスは絶対おかしいと呆れてました(笑)

えっ、そのニュースは全く知りませんでした! なんということでしょう。それが本当だとしたら、情けなくて申し訳なくてたまらないことですね……私も娘の意見をぜひ聞いてみたいです。

そんなこんなも含めて、年明けには絶対!お会いしましょうね~vv
Commented by matsathome at 2010-12-29 06:34
Miyukiさん、
年末ムードでいっぱいのそちらはいかがお過ごしでしょうか?私はまた飽きもせずガーデンフレッシュに行ってきたのですよ、ははは。そうではなくて、私はMiyukiさんのお嬢さまをとても尊敬しています。「日本人だからこれぐらい知ってて(出来て)当たり前」とさら〜っと言ってのける影にどのくらいの努力を積み重ねてきたのだろうと考えただけで、頭の下がる思いです。それもこれもMiyukiさんの信念のある子育てがなかったら現在のお嬢さまはいないはず...。そして↑のような経験を乗り越えて現在のお二人の関係があるのですね、などと考えながらしみじみ読ませてもらいました。
Commented by Miyuki at 2010-12-29 21:54 x
*Sarahさん
おかげさまでエンジョイしております♪ すっかりあのお店の常連さんになられましたね~(笑)
いやいや、それは優しいSarahさんの買いかぶりだと思いますが(汗) 彼女の場合、努力というより、意地や拠り所と言った方があたっているのかもしれなくて。そういう気持ちを抱いてしまう性格が、また母の心配どころでもあるのです。でも、そんな彼女に、母として、どれだけ学ばせてもらっていることか。本当にありがたいことだと思っているんですよ~。


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