あの日、あの時、繋いだ手 (1)

「真実を探している者を信じろ。真実を探し出した者を疑え」
   ----- アンドレ・ジッド
       (フランス人、作家、1869年11月22日生まれ)

* * * * *

【個人的事情】

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大切な友人がいます。

彼女を描写するに、一番に浮かぶのが、「明るい」という言葉で。
それから、朗らかとか、元気とか、それに類する言葉が続くかな。
アイディアが豊富で、アクティビティやイベントが好きで、人を祝うのも、人から祝われるのも大好きで。アートや音楽、ダンスにも長けていて。
文が上手なので、メールでやりとりするのも楽しいのですが、直接話す時の方がもっと楽しくて、ついつい誘ってしまいたくもなるのです。

そんな彼女が、母親が境界性人格障害で、父親はアルコール症による抑鬱状態、
幼い頃から、主に母親による身体的虐待、感情的虐待、性的いやがらせ、そして、父親からのネグレクトを受け続けていた、と想像できる人はいないでしょう。

彼女の子供の頃の話を聞くと、ただどうしようもなく、その時の彼女を抱きしめたくてたまらなくなります。
そうすることでかばえたら、と何度祈るように思ったことか。
だからこそ、そんな傷を抱えながらも、表に見せることなく、笑っている彼女を、すばらしくも誇らしくも思うのです。




鬱や摂食障害、パニック症候群、睡眠障害。これらの病いで悩んでいる、もしくは、家族の誰かが悩んでいる。そういう友人は、実はそれなりの人数います。
無力で無知で、何のアドバイスもできない私は、ただただ話を聞くしかできないのですが。
まずは、この手の心の病の源が、幼少期に受けた”傷”にあることが非常に多い、ということ。
そして思うのは、幼い子供の理解力は、親が投げかけた言葉のどこまでを受けとめることができるのか、ということです。

大人は大人の感覚で、何の気なしに放った一言。実際、それなりの年齢でいけば、ほんの言葉でしかありえない言葉。
それが、子供がその時に感じていた思いと、相反することだった場合。
その言葉を咀嚼する力をまだ持っていない子供は、傷として受けてしまうのですね。

その子が大きくなって、その大人に向かって、あの時、自分は傷ついたのだ、と訴えたとします。
大人からしたら、青天の霹靂。
なんでそんなことで? と呆然とするかもしれません。しかも、今まで何年も? と唖然とするかもしれません。

「思いをくんでもらえなかった」と感じることは、それほどに大きなインパクトを持つものなんだなあ、と頭を振りながら、しみじみと感じ入ってしまいます。


でも考えたら、結局大抵の不満や諍いは、この「思いをくんでもらえなかった」というところから来ているような気もして。
これがいい大人であれば、「~もらえなかった」なんて甘えたことを、と思うこともできますが、でも歳を重ねたからといって、やっぱり自分の気持ちがはじかれることは辛いので。
ましてや幼い子であれば、やりとりを理解することができない分、更に辛く感じられること。

私の気持ちをわかってよ。
ぼくの思いを馬鹿にしないで。

自分にとっては些細なことが、相手にとっては些細じゃない。
そしてそれは、価値観の相違でさえない。

ひたすらに、その時、自分が本当に思っていた気持ちをくんでもらえなかった。
理屈も理由も理性も善悪も、全て後付けのもので。まず底にあるのは、自然発生的な”気持ち”であるのですね。
幼児であっても大人であっても、それこそ、老年という域に入っていても。いつでもそれは、変わらずに。

そういう場面に直面した時に、その経緯と背景を理解する力があれば。
もしくはその場面が、その力の範囲内におさまる程度の出来事であれば。
大きな傷が残ることは、そうそうないのでしょうけれど。
それは成長の過程における、様々な経験が養う力であるわけですから、いい大人にならともかく、小さな子供に要求するのは無理があるでしょう。


幼い子に対して、その子が抱く”気持ち”を、まずは批判することなく、真っ直ぐにくんであげられれば良いのですが。
対する大人も、その時の”気持ち”があるからして、大人として譲ってあげれば無事なところ、何の気なしに取り合わなかったら。
そしてそれがその子に、思いもしなかった傷を与えたのだとしたら。

その子がその傷を忘れられないまま、大きくなって。
例えば肥満への嫌悪から、拒食症へと発展してしまった時。
直接のきっかけは、TVの向こうで輝いているように見えるアイドル達や、心無い男の子からのからかいの言葉であったとしても。
心の奥を探っていけば、”気持ち”をくまれなかったと感じている子供が、報われないままに泣いているのかもしれなくて。

そう考えれば、親のハシクレとして、どうしようもなく辛くて、やり直せるものならば、と強く願ってしまいながら。
同時にこれは、家族に限ったことではないことも知っています。

友達同士の何気ないやりとりや、先生のふとした一言や。
くまれなかった”気持ち”は、小さなものでも積み重なっていけば、そちらに至る道筋を作ってしまうのか、なんて。

自分自身に限って言うならば。
”気持ち”がおさまらないのは、自分の器が小さくて、その場面を上手く咀嚼・消化できないから、であって。
ならば自分の能力を上げて、相手の気持ちや物事の推移を、きちんと把握できるようになれば、大抵の出来事を理解して、自分の中に収めることができるだろう、と。
もしくは、相手を不快にさせることなく、気持ちをくむことができるだろう、と。

そう考えてはいるものの、一朝一夕どころか、何歳になってもダメダメダメダメ、むしろ退化の方向(つまり幼児化)に向かっている気がしてなりません……

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様々な虐待によって引き起こされたものは、私なぞの手が及ぶものではなく。
ただ、今の若い世代を中心に増えつつある、鬱症状摂食障害について。
両者とも、日本国内の患者数は、世界の中でもトップクラスだそうで。
生真面目で世間体を気にする、メディアに飛びつきやすいという国民性も、一役買っているのか、とも思えます。

お嬢が受けた授業、Skills for Living
興味深い内容から、以前にも2~3回記録を残しておりますが、このクラスでやはり、鬱・摂食障害についての授業があったのですよ。
なので、新シリーズのような顔をしていながら、実は過去シリーズの続きでもあるのですな、これ。(白状)
前回記事にそのまま繋げるつもりが、あれやこれやで大延びしまくって、気づいたら2年が経っていた、というテイタラク。(愕然)

言い訳以外のナニモノでもありませんが、実はこのテーマについて、考えることがあまりに多くなり過ぎて、到底続きという形ではまとめきれなくなった、というのが主な理由。
今、こうやってシリーズを始めようとしていながらも、どこでラインを引くべきか、実はまだかなり迷っている、というのが本音でございます……


ただ嬉しいことに、とても心強い味方を得ることができましたので。
お嬢の授業という、ごく簡単な内容から大きく踏み出すことなく、あくまで素人の範囲を崩さずに。
また、重いテーマであるので、無理に続けることなく、ぽつぽつと不定期に。

ひっそりと始めます。
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by senrufan | 2010-11-22 13:46 | Trackback | Comments(10)
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Commented by akiumi at 2010-11-24 16:11 x
' 傷を受けたこども” の側から見ると、こどもがまだ理解できないのではなくて、親や教師など子供に多大な影響を与える大人の中に、精神的にあまりに未熟な人が多いのではないかと思ってしまいます。

親の年齢になってみて、親が親として初心者だったこと、親自身が人として発展途上の初期段階だったこと・・・・が理解できるようになり、子供のころ「大人」として信頼しなければ生らなかった人たちが、実はこどもよりこども染みていた・・・とわかってはじめて、親を許す気になりました。私の場合は幸いなことに、両親が、未熟ながら・道を大きく間違えながらも、彼らなりにとても子供たちを愛していたので、(そのことが今はわかるので)、いまはとてもよい親子関係を築けています。

教師たちのことは、いまでも許せません。

みゆきさん、お久しぶりです~~
ブログの記事のコメントを含め、近況報告のメールをお送りしたい~~~と日々思いながら、ばたばたしておりました・・・
今日は思わず反応してしまいました・・・・
Commented by Miyuki at 2010-11-24 23:57 x
*akiumiさん
おおお、お声が聞けて嬉しいですーー!!(抱きつき攻撃っ)

うんうん、その通りです~。
事態の理解と書いたのは、子供側が「この人は未熟でどうしようもない人なんだ」とわかることも含めているのですよ。虐待を受けている子は、それをやっている大人が間違っているということがわからず、自分を責めたり大人をかばったりするけれど、理解力がついた時には、あれは大人が間違っていたのだ、と知る。それが”治癒”の過程ですね。
akiumiさんが体験されたように、子供が親を一人の人間としてみることができるようになって、その頃のことが腑に落ちる。そして、愛情や信頼、親側の柔軟さ等々があれば、そういう間違いをも受け入れて、尚且つ良い関係を築けるようになるんだなあ、と。
だから、そういう形で事態を咀嚼することができない子供に対して、大人側の責任は大変に大きいわけで。が、大人も所詮人間ですから、自身のことを含めて早々簡単にできることではない……葛藤ですねえ。そんなことも書いていきたいと思っておりますので、どうかこれからもよろしくお願い致します~~~!!
それはそうとして、またお会いしたいですわあ~、とラブコールvv
Commented at 2010-11-25 07:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-11-25 10:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by senrufan at 2010-11-25 12:05
*非公開コメント1の方
なんと、そうでしたか! それはぜひぜひぜひぜひ!
この後、ソッコーでメールしますので、しばしお待ちを~~。
Commented by senrufan at 2010-11-25 12:26
*非公開コメント2の方
初めまして! コメントくださって本当に嬉しいです、ありがとうございます~~。

いえいえ、どうか情けないとはお思いにならないでください~。むしろ、お母様のことを理性で理解される段階に至られたこと、今まで多くの学びを得られた証だと、しみじみと頭が下がる思いです。身体の傷だって、薬をつけながらでも完治には時間がかかるのですから、外的な処置ができない心の傷が癒えるのに、どんな方でも相当な時間がかかって当たり前ですし、逆にそれだけ時間をかけて治さなければ、あとで反動がくるものと感じております。

おっしゃる通り、日本の良い点は沢山ありますが、それが欠点と表裏一体になっているものも多いですよね。かく言う自分自身、子育てを振り返って、娘に押し付けた”日本流”を、何度も繰り返し謝って、取り消したい気持ちでいっぱいです。お言葉をいただいて、こういう言い方はアレですが、被害者と加害者、双方がそれぞれ歩み寄って認め合うのが、理想の”癒し”の形なのだなあ、と改めて思いました。

貴重なお話を、本当にありがとうございました!! 五里霧中のシリーズですが、またお声を聞かせていただけますよう、精進してまいります~。
Commented at 2010-11-25 22:04 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by senrufan at 2010-11-26 03:37
*非公開コメント3の方
ええええ、ほ、本当によろしいのでしょうか!
嬉しいなんてものじゃありませぬ。ほっぺをつねったらちゃんと痛いです!夢じゃないようです!
お言葉に甘えて、早速メールを送らせていただきます~~~(土下座)
Commented by mimosa at 2010-11-30 12:49 x
こんにちは。
いろいろ考えさせられる記事でした。
虐待とまでは行かなくても、親からの愛情を感じ取れなかった子供、
足りなかった子供は、大人になっても他人のことより自分のこと優先、
欲しがるばかりで与えることができないのかな・・と身近な人を見ていて
最近感じていました。
子供の気持ちは100%受け止めていこう。
誤魔化さず、丁寧に話をしよう。そう思っています。
Skills for Living、楽しみです。
日本ではこのようなクラスってあるのかしら?

Commented by Miyuki at 2010-11-30 14:20 x
*mimosaさん
こんにちは! コメントありがとうございますvv
ああ、そういうことは私も時々感じます……そして、愛されたから愛せるようになるのか、それとも愛することの方が先なのか。卵が先か鶏が先か、のようなことを考えてしまうのです。
愛情への”飢え”を何で埋めていくのか、一人ひとりが葛藤しながら試行錯誤を繰り返していかなければならないんでしょうね。
mimosaさんのお子さんは、そう考えてくれるお母さんを持って、とても幸せだと思います~。
日本でもこういうクラスがあればいいですよねえ。心療分野に関しては後発国だし、人目を気にする気質などもあって、なかなか難しいとは思いますが。


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