辿り着くべき場所は一つだけ

「歴史は人々の記憶である。記憶がなかったら、人は低俗な動物に成り下がる」
   ----- マルコムX
       (アメリカ人、指導者、1925年5月19日生まれ)

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【読書】

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先日の日記を書いたその夜、たまたま読んだ本に、旭山動物園の前園長でいらっしゃる小菅正夫さんのインタビューがのっていたんですよ。
動物園についてつらつら考えていた時になんと、と、またもや引き寄せの法則。
前にも読んだはずなのに、その時の自分によって、違うものが違う角度で目に入る。
本は長~い友達、であるわけです。

そして旭山動物園についての本(末尾)を、お嬢が私の母からプレゼントされていたことに思い至り。
私は未読だったので、早速読んでみましたら、なるほどなるほど、と感銘を受けたのでございます。

旭山動物園は、数年前に大変話題になったので、ご存知の方も多いと思います。
なので、良くご存知の方は、どうぞスルーしてくださいませ。いつものごとく、下らないグダグダが並ぶだけですので。(だったらヤメロ)
そうでない方への概要は、Wikiの説明におまかせするとして、私が今回改めて興味を持ったのは、旭山が生んだ、動物園における「行動展示」なるものでございました。




小菅さんのご説明によれば。
今までの動物園の展示方法は、「形態展示」もしくは「分類比較展示」と言うそうで。
これは読んでわかる通り、動物の姿形が違うことが見えればいいと。ライオンとトラは違うんだよー、ということがわかるように、という趣旨で。
ええ、微妙にわかります。しましまがあるかないかの違いだよね(殴)

その後、アメリカなどが始めたのが、「生態展示」。
その動物がどういう環境に棲んでいるのかもわかるようにしよう、という試みで、世界の動物園の流れは今、そちらの方に向かってるそうですよ。
例えばオランウータンの檻なら、木を植えるなどして、彼らの棲むボルネオのような環境を作った中に置く。確かに、今見る動物園は大体このタイプのような。
動物園の面積が広いアメリカなどではやりやすいでしょうし、動物の為にも良いと思いますよね。

実際、初めてSan Diego Zooに行った時は、かなり感動したんですよ。
うわー広い、これなら動物ものびのびできるよね、緑いっぱいで良かったね。
あんまり動物が見えなかったりするけど、好きに動けてるんならそれでいいよ。
そんな風に思ってました。


ところが小菅さんによると、オランウータンから見たら、コンクリートの檻にいようが森の中にいようが、同じこと、なんだそうで。
餌は飼育係が、決まった時間に決まった場所に運んでくるから、食べる為に努力することもない、活発に動く必要もない、という風になるんですって。
「動物は基本的に明日の食事が保証されないから、あるうちに食べておこうと餌を取りに行こうとする。だから、餌を隠して自分で探させる。それが能力の発揮に繋がる」
そういう風に、動物が基本的な活動パターンを取れるように考えているのが、「行動展示」のやり方なのだ、と説明してくださいます。


例えば旭山で造ったのは、屋内の「おらんうーたん館」。中には、高さ17mの「空中運動場」があります。
高さ30mの木の上で生活する野生のオランウータンは、握力が400キロ以上。しかも用心深い。
落ちるんじゃないか、安全ネットを張った方がいいんじゃないか、と心配する向きに対して、オランウータンがオランウータンである限り、それはない、と決行。

空中の柱の根元に置かれたブドウを目当てに、するすると登っていくオランウータン。
それにより観客に伝わるものは、オランウータンの持つ本来の力の「すごさ」です。
その「すごさ」はそのまま、彼らの「魅力」となって、観客に強い印象を与えます。
その他、ペンギンや北極熊、あざらしなどでも同様に、彼ら本来の姿を引き出せるように、「見せる仕掛け」を施した展示を拡げていかれたのですね。

動物の魅力を知ったお客さんは、再び動物園を訪れます。
そして、その魅力を伝え聞いた人達が、新たなお客となってやって来ます。
実際、日本の動物園では最北に位置するこちらが、小菅さんが園長に就任した時には、閉園の危機にあったこちらが、2004年の夏には来園者数が、上野動物園を抜いて日本一になりました。

ところが、それでもまだまだ、と小菅さんはおっしゃいます。
旭山の目標は、お客さんを沢山入れることではなく、
動物の魅力を伝えることによって、多くの人達がその動物のことを考えるようになってくれれば、人間は絶滅するような道は進まないだろう、それで地球上の全ての生き物を守っていければいい
というところにある、と言われるのです。

「好きな人のことは気になるでしょ。動物に興味を持てば、動物に関係することが気になってくる。動物を育んでいる自然を大切にすることは、自分達の住んでいる環境そのものを大切にしようとする思いにつながるはずです」

一人でも多くの人に伝われば、日本のどこかで野生動物が危ないとなった時に、立ち上がって活動を起こしてくれるかもしれない。
全国の動物園でやって、日本人がみんなそういう気持ちになれば、地球温暖化だって防げるかもしれない。
動物園の役割、目指すゴールの一つの形が、ここに確かに在るのです。


動物愛護の気持ちから、ベジタリアンになる人は多いです。
私は別な道から菜食に入りましたが、それでも食について考えることは、結局動物愛護・環境保護に行き着く、ということを繰り返し教わっています。
全は一、一は全。あらゆる生き物は、あらゆる形で、あらゆる場所で繋がっていて。
その関わりの在り方は、自分で考えて行動に移すべきもの、と思います。

個人的に思うその形は、自分の生活から、動物由来のものを一切排除する、というものでは決してなく。
保護するものがあって、触れない場所があって。もらうものがあれば、それは必要な分だけで。
返すものは返していきながら。渡せるものは渡していきながら。

先日の日記では、”共存””手入れ”という言葉を使いましたが。
それは上下という縦の関係において、と限定したつもりはないのです。
むしろ”動物”という言葉を聞いた時、脳裏に思い浮かぶのは、以前に動物園で猛獣の食事風景を見て感じた、はっきりとした畏敬の念。
全く異なる種族に関わろうとすることが、どういう意味を持って、どういう結果を招くことになるのか、あの時に垣間見た気がするのです。


最後に、旭山動物園のワシやタカの飼育担当の、木榑(こぐれ)さんのお話から。
木榑さんは鷹匠の訓練を受け、旭山でその実演を披露してくださってるんですが。
腕から高く舞い上がり、合図でまた降りてきて、餌のヒヨコをついばむオオタカ。その一挙一動を、子供達は息をつめて見つめます。

子供達から、
「このオオタカの名前はなんですか?」
と聞かれて、木榑さんは答えます。
「名前はありません。皆さんはいま驚いたでしょ。もしこのオオタカにタローという名前をつけたら、皆さんはタローに驚いたことになります。動物に名前をつけると、ペットのように見られることがあります。でも、オオタカはみんなこうやって生きています。それを知ってほしいから、名前はいらないんです」


アメリカの動物園や博物館も、子供向けに様々な工夫を凝らしています。
それが旭山と違う形であっても、目指すところはかなり近いはず。

それぞれのアプローチを模索しながら、
幼い心に、自然への畏敬と愛情の念を育んで、
地球全部を繋いでいる水の流れにのって、大きく広がっていけばいいですね。


旭山動物園 (公式HP)

「旭山動物園物語」古館謙二・文、篠塚則明・写真
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by senrufan | 2010-05-19 16:05 | Trackback | Comments(2)
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Commented by shina_pooh_at_sfo at 2010-05-22 06:52
命あるものに従事する仕事って、人間に対しても動物であっても大変責任と覚悟のいる仕事だな、、と、Wikipediaを読んで思いました。飼育方法へのチャレンジから動物を死なせてしまったときの周囲からの批判も大きかったことと思いますが、そうしたチャレンジへの勇気と責任を受け止める強さと動物への愛情が、小菅さんの素晴らしさですね。

そして、こうした様々な素晴らしい人たちの生き方や取り組み、考え方に広く触れよういう心がけが、Miyukiさんの博識と思いやりの深さに磨きをかけているのだなぁ、とも。そんな生き方を惜しげなく共有してくだることに感謝です。(電信柱の影から愛。)
Commented by Miyuki at 2010-05-22 11:06 x
*shinaさん
子供一人、ペット一匹でも、命を育てるというのは大変なことだと思うので、飼育員の方々のご苦労は計り知れませんね~。うまく言えないのですけど、”都市型”の人には向いてないというか、本質を見る目というものを改めて考えさせられたことでした。

いやあ、Miyukiさんって素敵な方なんですね~。博識と思いやり、同じ名前であってもここまで差があるなんて。私もぜひ見習いたいと思いますので、どうか今度一緒に電信柱に隠れて、「あの人だよ」と指し示してくださいませ。(真顔)


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