選択するは我にあり

「偽りの自分を好かれるぐらいだったら、本当の自分を嫌われるほうがましだ」
   ----- カート・コベイン
       (アメリカ人、ミュージシャン、1967年2月20日生まれ)


We Are The World 25 For Haiti - Official Video



ハイチ地震から1ヶ月以上。
今月の13日に開幕したバンクーバー冬季オリンピックの開会式で、世界に初放映されたこの歌と映像を、ご覧になった方も多いことでしょう。
元歌(?)の「USA for Africa」の時は、マイケル人気もあって、本当に印象が強かったです。ボス(ブルース・スプリングスティーン)とスティービー・ワンダーとか、忘れられない人ばかりだったんですよねえ……青春真っ盛りの時代でございました。(遠い目)(年齢バレバレ)

私自身は、オンラインで心ばかりの寄付をした後、あの時にご紹介した、クリックでできる寄付を毎日のように。
あれからも続々と、募金活動が立ち上がっているようです。


寄付ということに関しては、果たして本当に信用していいのか、考え始めると躊躇してしまう情報も溢れていて。
実際、善意につけこんで、の場合も多々あるので、だから寄付したくない、と考える方がいらっしゃっても無理のないこと、と思います。

ただ私は個人的に、寄付しないことより、何もできないままの状態に耐えることの方が辛いので。寄付という形で行動できるならば、そちらの方法を選ぶのです。
ボランティアでも寄付でも、ひたすらに善意からだけ行えればいいのでしょうけれど。
私にとってその手の行為は、利他的と共に、利己的な思いがあるからできることなのです。

「There’s a choice we’re making
We’re saving our own lives」
ここで見られるのは、このチャリティーソングに参加することを「選んだ」人々の姿です。

* * * * *

【読書】

b0059565_6514896.jpgルアン・ジョンソンという、米国海兵隊出身の女性が書いた本があります。
退役後に選んだのは、とあるカリフォルニアの高校教師という職。治安が悪く、貧困家庭の子供がほとんどのこの学校で、不良や落ちこぼれ、ドラッグ、妊娠という問題と、日々格闘する様子が描かれているんですね。
ルアン先生にはさからうな」「ルアン先生はへこたれない」という邦題の2冊で、ミシェル・ファイファー主演で映画化もされているので(「デンジャラス・マインド」)、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

日本にいた頃から持っていた本なのですが、しばらく前に読み返したら、実はこの高校は、うちの隣の市にあるのだ、ということを発見して驚きました。




隣の市は、私が渡米した頃は、全米犯罪発生率トップという、大変治安の悪い場所でありまして。
何年も前に、日本人一家が乗った車がここに迷い込み、大勢に囲まれて殺害されたという悲劇も起こり、極力足を踏み入れることのないように、と言われ続けてきた街です。

それが、まずは市長と市民の努力によって、犯罪が徐々に減少し。
周囲の市の地価が高騰し、この市に家を求めてやってくる人々が増えたことにより、エリアによっては比較的安全な場所になろうとしているところです。

海兵隊勤務の後、ルアン先生が赴任したのは、そういう市の高校であったわけで。
おそらく'70年代の後半か'80年代初めであったことから考えると、治安事情は相当に悪かったことでしょうし、高校内も推して知るべし。
先生はその高校で、アカデミー・プログラムの担当教師の一人に任命されます。

アカデミー・プログラムとは、”学校内の学校”というべきもので、政府の基金により、少人数のクラス(多くとも25名)で、生徒に親身な教育と指導を行えるようにするために、かつ教師がゆとりある時間を持てるように援助するもの、と説明されています。
3年間から成るクラスで、編入は任意。同じ教師・同じクラスメートと3年間一緒にいるので、お互いの間に絆が生まれます。
本を通じて、その”絆”を育むために、ルアン先生はどのように働きかけていったか、生徒はどのように成長していったかが、希望・喜び・悲しみ・絶望といった感情と共に、刻々と描いてくれています。


ある日ルアン先生は、生徒にとある課題を出します。
最初は、
「”やらねば”と”できない”を使って、それぞれの文章を完結させなさい。考えないで、まず”やらねば”と言った時に頭に浮かぶことを書きなさい」
生徒達はすぐに書きます。
「次に”やらねば”の”らねば”を消して、代わりに”ることにする”で置き換えてみよう。次に”できない”の”でき”を、”したく”で置き換えてみよう」
ここで、生徒達からの反発が一斉に起こるのを、先生は逐一さばいていくわけです。

「学校へ”行かねば”。私の母が行かせるから」
「いいえ、行かせてはいないわ」
「父はぼくを学校に行かせる。知ってるだろ?」
「お父さんがあなたを抱えて、この建物に押し込むわけ? それか、学校へ行けって銃をつきつけるの?」
「いいや」
「じゃあ、学校に来なかったらどうなるの?」
「お仕置きさ。そしてぼくは学科に落ちる」
「ということは、どちらも気の進まない二者択一の中で、学校に行くことを”選んで”いるのよ」

ここら辺りから、生徒の反応が変わってくるのですね。

じゃあぼくは数学でAがほしくないってことか、ずっとAが取りたいのに、取ったことがないんだぜ、
と迫る生徒に、
この全宇宙のどこにも、あなたが真剣にがんばっても、数学でAが取れる方法がないのか、
と返す先生。
そりゃあ家庭教師について、一晩中数学やって、宿題を全部やって、学校休まなきゃ取れるかも。
じゃあ、真剣にAを取りたければ取れるってことじゃないの。
でも、誰がAを取るためにそんなバカなことやるよ?

先生は生徒に、やりたがれ、やらなきゃいけない、とは言ってないのです。
求めていたのは、生徒達自身が、ただ正直に認めること。
本気になってやりたければできるのだ。でも、やりたくないのだ、ということ。
つまり、できないと言ってるのは本当じゃないのだ、という一点なのです。

以来、授業中に誰かが”できない”とか”やらねば”と言おうものなら、
「ほんとにやりたいと思ってないからさ!」とか、
「自分がそうすることを選んだんだろ!」という叫びが飛んで、話し手を正すようになった、
と書かれています。

自分の身に置き換えて、応用してみますと、
私が英語ができないのは、本当にやりたいとは思ってないからで、自分でできないままでいることを選んだからだ、
ということでございますね。はい、わかってます、わかってます、わかってます……(エコー)


ここで理解しなくてはならない大事な点は、
たとえば勉強しないことを選んだとしても、先生はそれを責めているわけではない、
ということですよね。
それを自分で選んだのだ、と認識することによって、それに伴って発生する責任を負う、という自覚を持つことが大切であって。
だから、勉強ができない→面白くない、という図式を通そうとしてはいけない。
自分でそうなるように仕向けたのだから、不満を持つのではなく、前向きに受けとめよう、とうながしているのです。

同時にそれは、
君達の抱える現状に対して、実は無力ではないのだ、
という、とても大切なことを指摘してくれています。

勿論、中には自力ではどうしようもないこともあるけれど。
それでも、別なやり方を選ぶことで、今の状況は少しでも変えられるのだ、ということ。
不満を口にする前に、それを改善するための努力をどれだけ払ったか、自分に問いかけてみること。
まだまだだ、と思えばそれは、愚痴る前にできることがある、ということで。
言葉を変えれば、”希望”という名で呼んでもいい、大なり小なりの可能性。

そして一旦「選んだ」ならば、それを自分の範疇のものとして、良くしていくのも悪くしていくのも自分だ、ということを忘れないように、と。
自分で「選んだ」その決断を吉とするためには、今を受け入れることが最初に来るべきで。その時点で不満があるなら、改善策を探すことを「選ぶ」こと。

ルアン先生が投げかけた、たった一つの課題から、引き出されるものはあまりに大きいのです。
*-*-*-*-*-*-*-*-*

しばらく前から、この「選ぶ」ということが、自分の中のキーワードの一つになっておりまして。
いろんなことを見聞きしても、「選ぶ」という言葉と関連して考えるようになっちゃって、あーら一体どうしたの。(聞くな)
振り返ればそれは、マクロビオティックに真剣に向き合い始めた頃から、かもしれません。

なので、これからも駄文の中にちょこちょこと出てきますので、どうかアシカラズご了承くださいませ。(ぺこり)
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by senrufan | 2010-02-20 07:50 | Trackback | Comments(6)
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Commented by ゆう at 2010-02-22 19:16 x
こんばんは、ゆうです♪
なんか、1冊の本を読んだようです・・・

寄付、難しいよね?!我が家には、色んな国の人が色んな話をしていきます
災害地とか、発展途上国などはたいがい必要としてる所に届かないそうです・・・
悲しいわね~そうゆう話しを聞くと人間って?って基本に戻るのよね・・・
クリックでできる寄付、普通の人の方法の一つですよね?!
お姑さんは、貧乏国、争いの国の立場の弱い人の所に場所に行って
直接寄付してたわね~偉い人を信じない人だからね♪
ハイチの復興を祈るしか出来ない私だけど、やっぱり何か役に立ちたいわね。

アカデミー・プログラム、今の私に教えてもらってる感じで読みました。
「認識、責任、自覚、改善、愚痴る前にできることがある」
ほんと、そうよね?!「今を受け入れること」全て考えさせられました・・・
今の私にも、まだまだ考える余地がイッパイある!ありがとう~(^^)v
Commented at 2010-02-23 08:21 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by こっぺ at 2010-02-23 08:51 x
いいお話だなー。。ほんとに、一冊の本を読むような深みのあるお話でした。私も自分の英語力のことを思いながら読んでいました。そうなんです、英語ぺらぺえらになればいいこといっぱいあるだろうなあと思いながらも、日本語を失いたくないので。このどっちつかずは自分で選択した結果なのだなあと。。。あら?居直ってる自分?
デンジャラスマインド、昔コミカレの課題で見ました。そうなんですよね、あの市の話なんですよね。軍人さんだったんですか。肝が据わってるわけですねー。いい映画でした。
Commented by Miyuki at 2010-02-23 13:40 x
*ゆうさん
このエピソードは本のうちの2~3ページにしかすぎなくて、他にもてんこ盛りに色々詰まってるんですよ~。もっとご紹介できたらいいんですが。

直接寄付、それができるならどんなにありがたいことか! そうなんですよね、中間搾取や意図外の使われ方や、実際に調べたら腹立たしいことがかなりあるんですよね。
お義母さまの行動、すばらしいです! ジャワ地震の時、現地に住んでる日本人の方が独自に寄付を募って、ボランティアを集めて、どのように寄付金を使ったかを逐一ブログで報告してくれたことがありました。理想の形でしたねえ。

現状を「選んだ」のであっても、なかなか割り切れるものではないし、情けなさにかられることも多々ありますが、先生の言葉を思い出していかなきゃいかんなあ、と自分に言い聞かせております~。でも難しい~(涙)
Commented by Miyuki at 2010-02-23 13:41 x
*非公開コメントさま
わあ、すっごく嬉しいです!!
この後、ソッコーでメールさせていただきますね♪
Commented by Miyuki at 2010-02-23 13:46 x
*こっぺさん
いやいや、居直りできることはいいんですよ~。私の場合、これでいいんだと決めたくせして、すぐにでもやっぱり、とぐずぐずすることの繰り返し。そんな暇あったら、少しでも前進せんかい!と渇を入れる。ことも繰り返してますな、そういえば……あ、いかん、また落ち込んできたです……
おお、映画ご覧になりましたか! 日本で読んだきりだったので、まさかこんな身近な話とは思いませんでした。私も図書館で探してみようかなあ。


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