続・邂逅と選択が造る道

「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」
   ----- シモーヌ・ド・ボーヴォワール
       (フランス人、作家、1908年1月9日生まれ)

* * * * *

【個人的事情】

旧ソ連や東欧圏での、スポーツや芸術教育。エリート教育と称されたこれらには、数多の批判がなされましたが。
今回のベルリン・フィルの音を聴いて、現在の状況の一端を知って。
東西統一後のドイツのみならず、ロシア・東欧圏の津波のような混乱の中の、特に文化面での変化に考えが及びました。




大好きな米原万理さんの著書に、こんな記述があります。
ソ連が崩壊した後、ソ連を代表するバレエなどの芸術が、西側に来ることによって”商品”になってしまい、媚びてだめになっていった、それはソ連にはなかった、と。
同時になかったのが、才能に対するひがみや嫉妬であった、とおっしゃるのです。

米原さんが親しかった名チェロ奏者・ロストロポーヴィチの言によれば、
ロシアにいる間は、才能があるだけで皆が愛し、支えてくれたけれども、西側に来た途端にものすごい足の引っ張り合いと嫉妬で、自分はこういう世界を知らなかったから、それだけで心がずたずたになっている、
というのですね。

彼にとって、才能は自分のものではなく、神様が与えてくれたもの、なのだそうです。
あまり練習しないのにすごく上手く弾ける人と、懸命に努力しているのに下手な人。自分が努力して得たものなら、それは自分のものだが、これは神から与えられたものだから自分のものではない、そう考えるんだそうです。
それが、あの社会主義の世界で、皆の共通の認識だった、ということに感じ入りました。

日本やアメリカの学校で、クラスの中に、絵や歌にとびきりの才能を持つ子がいたとして。
その子のことを、自分のことのように喜べる子供が、一体どれぐらいいるでしょうか。
同じ空気を吸えることで幸せに感じられる子が、果たして何人いるでしょうか。
劣等感を持つことなく、人の才能を心から喜ぶ。理想ではありますが、だからこそ滅多に遭遇できるものではありません。
彼によれば、そして小学校をチェコのプラハで過ごした米原さんによれば、それが普通であったのが、社会主義下の学校だった、というのです。

社会主義や共産主義を、良しとは思いません。というより、判断するには知識が足りません。
昔のベルリン・フィルが、そのような環境から出来上がった楽団であったかどうかもわかりません。
ただ、あの時代の、あの環境だからこそ、花開いた才能があった。成し遂げられた成果があった。
賛否を別にして、それは認めるべきこと、と思うのです。


片や、Rogiさんの抱いている思いとは。
私達がベルリン・フィルの音と出会ったあの頃から、時代は着実に前に進んでいるはずで。
管弦楽一つとっても、技術的には格段に進歩しているのが当然と思うのに。

演奏している側も、鑑賞している側も。
あの頃のような強さで、胸に迫るものを抱えることのないまま、日々を送っているような。
そんな漠然とした不安感に、寂しさと諦めがないまぜになった、混沌としたものであるようです。

15歳の時に、ベルリン・フィルに魅了された我々。
今回一緒にコンサートに行った娘達も、奇しくも15歳という年齢。
同じ年であっても、彼女達と私達が感動する対象が大きく違うのは、至極当たり前のこと、とは承知しているのですけれど。

今と比較すれば、恵まれているとは言えなかった、あの頃の環境で。
心ならずも東西に分断された国の片方で、男性団員ばかりで構成された、そして恐らく、ドイツ人ばかりで成り立った。
「枠」があるからこそ、一層の力をこめて、遠くに向かって手を伸ばす。
そんな時代が生んだ芸術があったことに思いを馳せると共に、我々の娘達世代は、一体そういう思いを味わうことがあるのだろうか、と。
ないとすれば、それは果たして幸せなことなのか、それとも。

語ってくれるRogiさんの目に映っていたのは、遠くを歩く娘達の姿でありました。
*-*-*-*-*-*-*-*-*

選択肢が限られている場合、我々は束縛の感を抱きます。
ましてや、否応なしに選択肢が一つしかない場合、それは悲劇に繋がる可能性もあり。
しかし現在、ある程度以上の経済・社会状況にいる人間がとまどっているのは、むしろ「選択肢が多すぎる」状況なのでしょう。

私達が15歳の時に比べれば、相当に恵まれた環境だと思うのに。
何をしたらいいのかわからない。夢中になれるものがない。
彼ら世代が抱くのは、過剰な供給から生まれる飽和感。飽和から生まれる空虚感。
そのくせ、それだけある選択肢が減ることには、警戒と危機感を感じたり。
余るほどのものに囲まれながら、自分にないものを持つ人に対して、嫉妬や羨望の念を抱いたり。

制約がないことは、「自由」と必ずしもイコールではなく。
そして「自由」であることは、「無責任」に置き換えられることではないのであって。
無数の選択肢の中から、明確な意思を持って一つを選ぶことは、実は大変な強さを必要とするのであり、大きな責任を引き受けることを意味します。
大人にとっても困難な作業であるこれは、まだ10代の子供にとっては尚更のこと。

何らかの「枠」があることが、かえって人の中に安定感を築き上げ。
手を伸ばす目標が見えることで、向上心をもたらす場合も多いのでしょう。
社会主義のもたらす益の中には、このような点もあった、のかもしれません。


数年前にいただいたコメントで、

「普通の人間一人が、いかに世の中変えようとしても無理。人と人とは友好できるけど、所詮国と国とは無理かも・・・」

というご意見があったのですが。それに対して私は、

「これからは文化や宗教より、地球環境をどうしようかということで国々が協力していかなければならなくなるのではないか。それには、一人一人の日々の小さな努力が必要。勿論国同士はまた違った対立模様を見せるだろうけれど、少なくとも個人の心がけはそんな俗事と関係なく、前に繋がる分、良いと思う。むしろ自分にも何かできることがあるんだ、と思えるのが嬉しい」

とレスさせていただいたことがあります。

社会主義という、国単位での壮大な実験が崩壊に向かう一方、資本主義がますます大手をふって闊歩する、そんな環境にいる若者達は。
苦しい経済状況などの枷がない、という条件下において、ですが。
このまま、満たされない気持ちを抱えながら、前進の歩みは遅くなるまま、進化のカーブは頭打ちに向かうのか、と問われれば。

例えば、地球環境保護の対策。例えば、食の安全への関心の高まり。
今広まりつつあるのは、共通の新しい目標が立ったことによる、「協力」の新しい段階であり、個人の「選択」作業の鍛錬、と思います。
今、自分が手にしたいと思うものは、本当に必要なものなのか。
今、自分が手にしているものの、背景にあるものを知っているか。
個人をとるか、環境をとるか。その為に選ぶべきは、AかBか。……
自分自身、「このぐらい、いっか」「うー、わかっててもアレが欲しい」などのオロカな行為を繰り返しているので(恥だらけ)、本当に自戒度230%で考えることなのですが。

飽和状態に見える現代の状況でも、その豊富な情報量と技術を生かしてこそ、できることがある、と感じます。
今は迷いの中であっても、新しいステップに”進化”していける可能性を持つのは、正に彼ら世代であってほしい、と願います。

「NON CREDO(ノン・クレド)」という、マクロビオティックにおける、大事な理念。
「全てを妄信しないで、自分で考え、決めること」を芯に置くことで。
溢れるソースを感謝して受け入れることで、真に必要なものを「選択」していけたらいい、と思うのです。
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by senrufan | 2010-01-09 05:50 | Trackback | Comments(4)
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Commented by マミィ at 2010-01-11 17:15 x
「選択肢が多すぎる」という現実と、そこから生まれる「飽和感」「空虚感」…本当にそうですよね。

うちの怪獣たちを見ていて懸念するのが、何の努力をせずとも、永遠に自分が何かを選択できる立場でいられると思い込んでいるところ。しかも、「あれはいや」「これはいや」という否定的な自己主張ばかり強く、では何が欲しいのか、何がしたいのかという問いには答えられない。自分の人生は自分で切り拓いていかなくてはいけない、誰に与えらるものでもないのだということ、そして生きて行く上では人との、さらには社会とのつながりがいかに大切であるかということを学んでほしい。そういう教育を学校に求めるのは、自己中心主義であるフランスにおいては到底無理なことであるのが本当に残念です。
Commented by ゆう at 2010-01-11 20:56 x
こんばんは、ゆうです。
我が家には、昔風に言うと、西側北側の人がやって来ます
もちろん、信仰も違います、そのような人たちから色んな話を聞く機会が
ありますが、自由のとらえ方の難しい事、争いについてもその国によって
まったく考えが違うこと。私は平和日本に生まれて育っているので
嫁に来て役30年たっても、とまどいはあります・・・
日本に対する考え方も世界観の中では色々あって・・・
昔、ロシアのバレエプリマと話すチャンスがあり、ロシアの良さを説明してくれました
当時、ロシアに怖いとイメージしていた私には、考えさせられる出来事として
この記事で思い起こしています。
毎年のように、バカンス時期、お正月、旧正月には色んな外国の人が
集まりますが、その国事情も信仰もありますが、結局はマミィーさんもお書きのように
”自分の人生は自分で切り拓いていかなくてはいけない”でしょうか・・・
それさえ許されない国もありますが・・・
Miyuki さんのお話は、いつも、私に原点に戻らせてくれるので
とても貴重と思っています。pcを縁しての出会いに感謝しています。
Commented by Miyuki at 2010-01-12 12:01 x
*マミィさん
こんなぐだぐだ文までお付き合いくださって、ありがとうございます~~。

マリオンちゃん達もやっぱりそうですか。自分もね、あの頃のことを振り返ったら、正に彼女たちのようだったなあ、と思い出します。だからある意味、若者特有のものという面もあって、時期が来たら前へ踏み出していくんだろうという期待もあるのですよね。
ただその後、どういう方向に踏み出していくかには、その時までの環境がベースになるわけで、それが自己中心的な見方ばかり教えられていたら、なかなか難しいですよねえ……自尊心はとても大切なものですが、自分以外を見下せ、というのをペアにしてほしくないですね。
Commented by Miyuki at 2010-01-12 12:10 x
*ゆうさん
海外のお客様も沢山いらっしゃるとは、すばらしい! それはお子さんにとっても素敵なことですね♪
ロシアは、政府こそアレですが、国民はとても素朴でいい人たちだ、と聞いたことがあります。アル中が半数であっても(笑)
自分の人生は自分で。それは、自分で進む方向を決めていいが、その後の責任を自分で負うのだ、ということがわかってなくてはいけないのですよね。昨今ますます「人のせい」にする人種が増えてきたことに、危機感がつのります。
帰れる祖国を持っている日本人は、本当に幸せですよね。国旗や国歌の論争があるたび、なーにを贅沢言ってんだ、って思ってます。
私こそ、ほんとにゆうさんとのご縁に感謝しておりまするvv(愛)


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