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【舞台】

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ミュージカル「Wicked」を観に行って来ました。
ついに、とうとう、念願の。(じ~~ん)

思いおこせば、「Wicked」を初めて知ったのは、この映画を観に行った時の予告編にて。
うあ、行きたい、でもニューヨークまで行けやしない。そんなことを思ったのですが、とうとうサンフランシスコまで来てくれたのでございますよ。びば、大ヒット御礼。
夏休みに入って、平日の安めのチケットを買えたので、Rogiさん母娘と一緒にいそいそと。予想通り、割り当てられた席は大変アレでしたが(涙)、それでもついに生で観られたフルストーリーは、数年待ってた甲斐がありましたぞ。

こちらの原作は、Gregory Maguire著「Wicked: The Life and Times of the Wicked Witch of the West」ですが、大元の原作は、誰もが知ってる名作、「オズの魔法使い」
すでに舞台鑑賞済みのfrogfreakさんshinaさんから、映画の「The Wizard of Oz」を観ておいた方が良い、というアドバイスをいただいていたので(感謝!)、この日は一旦我が家でDVDを鑑賞してから、いざ劇場へ向かうという、気合の入り様。
足先から頭のてっぺんまで、オズの世界にどっぷりと浸った一日でございましたよ。




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さて、あらすじは、というと。
冒頭は、オズの国の北の良い魔女・Glindaが、西の悪い魔女が死んだ、と国民に告げるところから始まります。
そして続く、過去の回想。2人の魔女の間の小さな歴史、そこに綴られた数々の。

緑の肌で生まれた為に、父親から疎まれて育ったElphaba。足の悪い妹・Nessaroseと共に、大学の寄宿舎に入り、そこでグリンダ(当時はGalinda)と出会い、相部屋にさせられます。常に人気者の金髪のグリンダに対して、黒髪で緑の肌のエルファバは、ここでもまた疎まれ、避けられてばかり。しかし学長のMadame Morribleは、彼女の魔法の才能を見抜きます。
動物達も人間と同様に話し、暮らし合うこの世界で、なぜか口がきけない動物が増えてきているこの時期に、王子であるFiyeroが入学。グリンダとカップル扱いになりますが、山羊のDillamond教授の拘束騒ぎを通じて、エルファバに惹かれるように。グリンダとも、いつしか親友同士となり、秘密を打ち明けあう仲になるのです。

偉大な魔法使いのOZによばれて、エメラルド・シティに出向いたエルファバ。しかし、そこに潜んでいた陰謀に気づき、戦うために立ち上がります。
プロパガンダにより、西の悪い魔女として悪名を広められたエルファバは、善の象徴として人々を率いるグリンダと、敵対関係におかれることになるのです。

とまあ、書き続ければきりがないので、この辺で。


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それにしても。それにしても。
予想はしていましたが、いやもうほんとにどうしよう、と思うぐらいに、全然英語がわかりませんでした。(真っ暗)
普通のセリフでさえ四苦八苦の私、更に歌詞となると、お手上げなんてもんじゃございません。同行のバイリンガル3人から向けられた哀れみの目が、痛かったのなんのって。(ちくちく)(ぐさぐさ)
それでも何とかかんとか、ストーリーはオボロゲに理解。えーと、少なくとも、そのつもり。(弱気)

歌のすばらしさは、圧巻、という一言に尽きます。
特に主役の2人、Kendra Kassebaum(グリンダ)とTeal Wicks(エルファバ)のすごさは人間離れ。だって、魔女だから。(違)
歌に加えて、演技も大変、見応え・笑い応え・泣き応え。
エルファバは役柄的に、ドラマティックなセリフや動きが多かったというのもあるのでしょうが、グリンダに扮したケンドラの動作の一つ一つに、何度笑わせてもらったことか。
全編通じて、見事にアメリカン・クラシカル・ビューティー。要は、あっかる~い金髪おねーちゃん@グラマーで皆の人気者。ポンポン持って踊ってほしい。
この人のシリアス演技を、いつかぜひ見たいものでございます。

脇を固める役者陣も、決して負けてはいませんよ。バックシンガーまで、誰をとっても不足なく。
中でも今回嬉しい驚きだったのが、Madame Morrible役のPatty Dukeです。ヘレン・ケラー役での鮮烈な演技を、いまだに思い出すことができる彼女と、こんな形で再会できるとは思ってもみませんでした。
堂々と胸を張りまくった「悪役」のパティは、大女優の貫禄プラス、茶目っ気に溢れていて、何回も拍手を贈りましたです。


ストーリーについては、なるほど、そうきたか、という感じ。永遠のロングセラーの児童書の、裏の世界の覗き見の心境。
原作は読んでないので、なんとも言えませんが、大元の原作と照らし合わせてみれば、細かい齟齬が少々。案山子やブリキの木こりは、そういう生い立ちじゃなかったよね、みたいな。
でもそれを言ったら、ドロシーなんかはっきり悪者だし。東西の魔女がかわいそうでならないし。
ひっくるめて、それもこれも、子供の世界だったら思ってしまうこと、であって。大人の今では、むしろこちらの方が納得の。

私が歴史やミステリーが好きなのは、視点を変えればこう見える、という、多面的な面白さが常にあるから、というのが理由の一つなんですが。それでも、幼い頃から身に染み込んだ御伽噺は、どこか聖域のような気がして、そういう目で考えたことは無かったのです。
この世界は、善は善・悪は悪、とはっきりと把握できる場所じゃない。
百人いれば、百通りの正義がある。
歴史は、勝者の側から語られやすい。
今ではそんなことを知っている身であることを、この話に会って再自覚して。ちょっぴり味わった泣き笑いのような、幸福感と寂寥感。


このラストは、果たしてハッピーエンドか、逆なのか。人によって、意見が分かれるところなのだろう、と思うのですが。
最後になって、私の中に真っ先に湧き上がったのは、グリンダへのたまらない同情心でした。
最も心を許せる2人に去られて、決して真実を語ることができないまま、誰の前でもいつも笑顔で、隙を見せずに生きていかなければならない。
勇敢な彼女であっても、それが続く時間を考えた時に、どれだけ酷いことか、と切なくて。

エルファバは、といえば、彼女が本当に安らげる場所は、この世界に果たしてあるのでしょうか。
緑の肌という、一見しただけで、彼女を周囲から切り離してしまうものを持ちながら。
それでも、大きな支えがある今となっては、それは些細な障害になったのかもしれませんが。

今までの人生で、辛い思いをしてきたエルファバは、報われるように幸福に。
幸せに過ごしてきたグリンダは、それに相当する辛さを引き受けて。
子供の世界での常識の一つ=因果応報は、大人の世界にまたがった寓話でも有効であった、と言えるのでしょうか。


エルファバや動物達が味わった仕打ちは、そのまま「差別」という名前をまとって、我々の現実社会に繋がります。
割り切れないものばかりの年になっても。
幾通りもの視点ではからなくてはならないものばかりであっても。
それでもやはり、どうしても。

譲ってはいけない、守らなくてはいけない、目をそむけてはいけない。
生まれた時から変わることのない、そんなものがあるのだ、と。

重力に負けることなく、空に舞い上がった西の魔女のように。
辛くとも人前では涙を見せることなく、陽気に両手で髪をはねさせながら、高らかに笑う北の魔女のように。
常に頭を高く掲げる為に、忘れてはならないことがあるのだ、と教えてくれる作品です。


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Orpheum Theatre
1192 Market Street
San Francisco, CA 94102
by senrufan | 2009-06-23 07:27


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