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名が無い無限の存在を

Waitangi Day (new Zealand)

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【アクティビティ】
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以前に、Walking Tourに参加した際、外から眺めただけだった、スタンフォード大学内のMemorial Church
嬉しいことに、とうとう行くことができたのです。付き合ってくれた友達のおかげなのです。>感謝!

辿り着いた教会内に、ちょうど響き渡っていた、パイプオルガンのたえなる調べ。練習か調律かは不明でしたが、ラッキー、幸先いいぞ、ってなもんですね。




改めて、この教会の概略は、というと。
スタンフォード大学の設立者の一人であるJane Stanfordが、宗派を超えて、大学の拠り所となる場所を思い描き、夫のLeland Stanfordに捧げる形で、建設されたものであります。

完成したのは、1903年の1月25日。
1906年の地震により、再建を余儀無くされましたが、80フィートの尖塔はそのまま使われました。
1989年の地震では、再び修復が必要となりましたが、その時は主に、教会内部のインテリアが中心であったようです。

教会を設立するにあたって、スタンフォード夫妻が主張したことは。
「高度な教育の中心たる大学において、精神的・倫理的な拠り所として在るべきだが、同時に、『どんな信仰でも、いかなる理由であっても、人に強いることがあってはならない』ことは明確である」

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1. Vestibule
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建物のドアから入った部分、教会のポーチ。
床は大理石タイルのモザイクで、壁はガラスタイルのモザイク仕様です。


2. Nave
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向かって右側のドアを開け、いよいよ中に入ります。予想以上の広さに驚き、数々のステンドグラスの美しさに圧倒される瞬間です。
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Naveと呼ばれる会衆席から、正面の祭壇まで。その祭壇の左右に、また席が設けられており、全体は十字形に設計されています。
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樅の木製の窓と、樫の木製の会衆席。窓や天井を通して射しこむ、決して強くはない光の中、温かくも落ち着いた色合いで。


3. Side Chapel
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聖書より、「パンと魚」「良き羊飼い」などのシーンを再現した、ステンドグラスとモザイク。
創立者のジェーン・スタンフォードが望んだように、女性が前面に表現されたものが多いのが特色。


4. Chancel and Altar
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中央祭壇の上の窓、ステンドグラスで描かれているのは、「キリストの降誕」「十字架上の処刑」「昇天」の3つの場面です。
大理石でできた祭壇は、背後に「最後の晩餐」のモザイク画を、左右には預言書を抱える天使像、キャンドルリース、聖母像などを従え、厳かな距離を置いています。

ちなみに「最後の晩餐」の絵は、ローマ法王の許可の下、ローマのシスティーナ礼拝堂から写したもの、だそうです。

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5. The Dome
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天井を見上げれば、4人の大天使に支えられている天窓が目に入ります。
同時に、ツタの帯と、十戒や公現日の星などのシンボルも。
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6. Organs
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祭壇から振り返って入口側を見れば、そこにあるのは、2台の大きなパイプオルガン。
更に、祭壇に向かって右側のSide Chapelにも、2台のオルガンが置かれています。

こちらの教会では、定期的にオルガンのリサイタルが行われており、スタンフォード生は無料で聴くことができます。


7. Sandstone Carving
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教会内のアーチや手すり、壁などに刻まれた題字などは、ベイエリアはSan Joseの、Almadenから運ばれてきた砂岩から。
やや灰色がかった色合いの白さが、木の濃茶と穏やかな濃淡をなし、天窓からの陽と相まって、教会内を柔らかな光で包みます。


8. Mosaics

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壁に据えられた「アダムとイブ」、そして「預言者の予言」の2枚の巨大なモザイク画。
ニューヨークのステンドグラス・アーティスト、ベニスのモザイク・デザイナーなど、多数の職人によって完成されたものです。
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車の音も、鳥の鳴き声も、人の話す声さえも。
敷居から先が結界であるように、許されるものが限られる。
そこに入るには、ただ心と身体があれば良い。
宗派に関わらず、聖堂と認められる場所に、それは共通したことであるのでしょう。


私の母の実家は、浄土真宗の寺で、母方の親戚はほぼ全員が、住職か坊守であります。
にも関わらず、母が私を仏教に導こうとしたことは一度もなく、それどころか小学校高学年の間は、当時住んでいた家の裏にあったプロテスタントの教会に、近所の子と一緒に日曜学校に通っておりました。(とんでもねー) 勿論、親戚には内緒、だったと思うんですが。

結果、私がクリスチャンになったかというと、そうではなく。
ではどうかと問われれば、特定の宗教は持っておりませんが、神様、というより、「人間の手には及ばない力の存在」は信じている、というところ。
それは人によって、仏であったりキリストであったり、自然やお金であってもいい。その前では絶対に謙虚でいられる、そんな存在を心に持っていればいい、と思ってます。

アメリカの大学のハードさは、日本の及ばないものがありますが。
ましてや、国を離れての在籍であった場合の孤独感は、相当なものと思いますが。

そんな辛くてたまらない時に、少なくとも心を鎮める場所が学内にある、というありがたさ。
形上は、キリスト教とユダヤ教の伝統に則っていても、その手はもっと多くのものに差し伸べられて、拒むことがないように感じます。


1903年に、ここにスピーカーとして招かれた、ラビのJacob Voorsanger師は、その時の様子を、後にこう記しています。
「スタンフォード夫人は、そこを訪れた全ての人々 --- ユニタリアン、トリニタリアン、不信心者、バラモン教徒、仏教徒、イスラム教徒、物質主義者、そして無宗教の人間であっても、全員と目線を同じくして言葉を交わし、全員を受け入れていた」

日本では眉を顰められがちな、宗教、信仰、という観念。
本来の意義を、本当の価値を、改めて考えさせてくれる場所でありました。

名が無い無限の存在を_b0059565_1141594.jpgStanford Memorial Church
450 Serra Mall
Stanford, CA 94305
by senrufan | 2009-02-06 10:07


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