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大きな輪の内に在る

権利章典の日、観光バス記念日
榎本武揚らが蝦夷地を占領し、五稜郭を本営とする(1868年)
GHQが国家と神道の分離を指令(1945年)
婦人参政権などを含む選挙法改正案が成立(1945年)


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私が日本語を教えているのは、韓国人の素敵なおばさまです。
すんごいお金持ちなのに、全然気どらなくて、いつもいろんなプレゼントをくださって。
勉強熱心で、学位も3つぐらい持っていらっしゃって、彼女とのレッスンは、いつもあっという間に過ぎてしまうほど、楽しく充実してるのです。

多才な人の例にもれず、お料理上手でもいらっしゃる彼女から、先日いただいた手作りキムチの美味しかったことといったら。
白菜3個分(といっても、日本の白菜よりぐっと小さい)もくださったのに、お嬢と私で、すでに2個半平らげてしまいました。
極甘党だった私が、キムチを食べられるようになったのは、ほんの2年ほど前から。それから口にしたキムチの中で一番、と思うほどの幸せです。


そんな彼女から聞いた話。
彼女は毎年、旦那様にクリスマスカードを渡すそうですが、旦那様ときたら、ちらっと見て、そのままぽいっ。
なので彼女は、それをこっそり拾っては、翌年にそれをまた渡す、ということを繰り返したそうなんですよ。

とうとうある年、
「あれ、このカード、どっかで見たことがあるような……」
と言われたので、その次の年には新しいカードに変更。
それまでに、すでに16年が経過していたそうですよ。


新しいカードに変えて、今年は4年目になるとのこと。果たして次は、何年後に気づかれるやら。
「全く、韓国と日本の男はねー!」
と、朗らかに笑ってらっしゃいました。
いやもう、全くその通り。うちの旦那なんぞ、私がばっさり髪切ったって、カケラも気づかないもんなー。

* * * * *

【個人的事情】

さて、いい加減カタをつけたい「食の呟き」。だったらやめればいいのだが、ここまでくるとやめられない。(ちょっと涙)
ということで、またまた以下は大変マニアックな世界になっておりますので、一般のお客様(…)は、ここまでで引き返されますよう、切にお願い申し上げます。





マクロビオティックの陰陽理論から見れば、ローフードは陰の極地の料理と言える。
材料が生、ということに加えて、調理法も機械を使うので。

「陰」は拡散、分散、静、冷。ゆるめて上昇する力。
「陽」は融合、収縮、動、熱。引き締めて内に向く力。
その中間でバランスがとれた状態を、「中庸」という名で呼ぶのだね。

自然界のものも、食物も、人間も、人間の性格や服装までも、全てはこの陰陽を併せ持つ。
私の思うところでは、どちらも必要なものであって、その時々の側面で、どちらかに寄ることを考えていくものであるのだけど。
マクロビを真剣にやる人達の中には、あまりに頑なに玄米菜食にこだわって、身体を締め過ぎた「陽」に傾く人もいらっしゃる。

何かを思いつめて、何かにとらわれすぎると、身体は締められて苦しくなる。
それで疲れて倒れる前に、「陰」を上手く摂り入れられれば、ゆるめて楽にしてあげられる。

しかし、この「陰」の質が問題なのだ。
例えば白砂糖は、陰の中でも極陰で。牛乳やヨーグルトも、かなりの程度の陰である。
が、同様に陰とされる果物とでは、身体に入った時の反応が、私の場合ははっきりと違うのだ。

私には、思いっきりストレス状態になると、お菓子のドカ食いに走る、というユルシガタイ悪癖があるのだが。(告白)
お菓子を食べて食べて、食べ続けると、その果てに待っているのは、「立ち上がる力がなくなり、口を開けて寝てしまう」という、ナマケモノ属の姿、なんである。オプションとして、ヨダレもある(ヤメロ)
極度の陰を取り入れすぎて、身体がゆるみすぎて、どうする気力もなくなるの。無理に立ち上がると、ふらふらと歩いて、どこかに身体をぶつけて、青アザを作っちゃったりね。

それが、果物や生野菜になると、全然違うことに驚いた。
身体の中を、すっきりと低めの温度の何かが、滞りなく流れていく。気力がなくなるどころか、かえって何かをしたいエネルギーが沸いてくる。
陰の「上昇」の力を、はっきりと体感できるのだ。


最初は、ローやナチュハイと正面から付き合うことになるとは、思ってもみなかった。
それが予想外に少しずつ踏み出すことになったのは、すべてお嬢が理由、だった。

初めてCafé Gratitudeに連れて行った時、食べながら美味しさに目を丸くした顔と、食べ終えて帰る時の、「お腹いっぱいなのにすっきりしてる!」との嬉しそうな声。
以来、彼女の喜ぶ顔が嬉しくて、ローフードへ歩み寄っていった、というのが、私の正直な過程だったのだ。

ハイスクールに入って、宿題の量がぐんと増えた上に、毎日テストに追われる日々。
真面目で頑固で、人の意見を聞き入れず、要領よく手抜きのできない彼女には、かなりのストレスがかかってる。
彼女の友達を見ても、感情のアップダウンが一際激しくなってしまった子や、家から出たくないと涙ぐむ子などが沢山いて、改めてアメリカの高校の厳しさを見せられている。(勿論、学校によりますが)

しっかりした朝食を食べて学校に行くと、午前中にお腹が痛くなる。
昼食にお弁当を食べた後、午後にお腹が張ってくる。
学校に行きたくなくてお腹が痛くなるのは、幼児期に見られることだけど。それは心の問題だけでなく、身体の消化の問題でもあるのでは、と思うようになったのは、ナチュハイやローフードについて、聞きかじるようになってから。
実際、ストレスが増えると、体内の消化酵素が消費されてしまうらしい。


がちがちに張り詰めて、苦しくて。ゆるめる力が必要で。
通常の食べ物がうまくこなれていかないほど、消化器官に負担がかかってて。
マクロビからでも、ナチュハイからでも、どちらからのアプローチであろうとも。
果物や生野菜といった食べ物は、この両方の解決策の一つとして上げていいのではないか、と思うようになったのは、ローフードに対するお嬢の反応と、それに続いて試してみた自分自身の経験から、であったのだ。

Raw Foodを、Raw Living Food、という名で呼ぶことも多い。
正にLiving Food(生きている食べ物)なんだなあ、との実感が、ここ2ヶ月ほどの経験を通じて得られた、貴重なもの。
その水分は、ボトルや水道の水とは異なって。その甘さは、精製糖の甘さとは質を異にする。
身体に与えられるものが違うのも、考えてみれば当然の。


マクロビオティックでは、「常食は避けた方が良い」とされる、果物や野菜の生食。
大真面目にマクロビに取り組んでいらっしゃる方々からすれば、今の私の食生活は大丈夫なの? とは、ふと友人の心に沸いた疑問。(心配してくれて感謝だよー)

この、「がちがちマクロ」を声高に謳う人達を見て、マクロビとは怖いもんじゃー、宗教じゃー、と思われる人達も多いらしい。
かといって、流行りの「ゆるゆるマクロ」という言葉を聞いて、真面目にやってる方は、悲しく情けなく思われることもあるらしい。
でね、あくまで私という一個人の意見、だけなのだけど。マクロビオティックって、そんなに狭い世界のものじゃない、と思うのだ。

以前にも少し書いたことだけど。マクロビオティックとは、「大きな・生命の・方法」で。
法則は2~3あっても、規則はなく。大事なのは、大きな世界の中で、自分で考え、自分で決めて、自ら選びとる、その姿勢。
陰陽ではかることはあっても、それは善悪でも上下の優劣でもないことを、決して忘れてはならないの。

お嬢がローフードに出会って、それが必要だ、と身体で悟り、積極的に食べたがったこと。
私が彼女につられて、ローフードを試すことを自分で決めて、続けたこと。
実際に良い効果が得られて、身体も心も楽になったと喜んだことを、否定する必要は全くなく。
それも「大きな・生命の・方法」の中の、「バランス」の一部、であるだけだ。

例えば、外で働く男性は。陽性の力が必要なので、肉や魚を時に必要とするように。
その時々で、陰や陽や、様々な要素を摂り入れて、その局面にふさわしいバランスを得ようとする。
「何が今、必要か」ということを、見極める目を持てるよう、自らを磨いていくことを。周りにまどわされることなく、自分の足で立ち、自分で選択することを。
それがマクロビオティックの根幹、と思うから。

最初こそ、「いいのかなあ…」というためらいはあったけど、いつしかこんなところに行き着いた。


その後、これでいいのだ、と思えるエピソードも幾つか知った。
真面目に玄米菜食をやりすぎて、締めて苦しい状態の生徒さんを見たマクロビの先生が、果物や生野菜を摂った方がいい、とアドバイスされたこととか。
現在のマクロビを作られた九司先生が、とある生徒さんの「生野菜を摂ると体調が良くて、玄米が入らない」という質問を聞いて、
「食べたかったら食べていい。またいつか欲しくなくなる時が来るよ」
とおっしゃったこと、とか。

身体が求めるものと、心が望むものと。それぞれのバランスをとっていこうとする、この方法。
それは、とても柔軟で。計りきれない幅がある。


また新しいことに出会えて、学ぶことばかりがどんどん増えて、ますます楽しい毎日です。
by senrufan | 2008-12-15 14:04


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